【全国の山・天狗のはなし】  

▼06【寅吉の天狗の世界】

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▼06「天狗空を飛ぶ・うちわの使い方」

【概略説明】
江戸時代後期の文化9年(1812)、江戸下谷七軒町の長屋の子どもが
天狗にさらわれました。寅吉という少年で、さらったのは茨城県愛宕
山(岩間山)の十三天狗の首領杉山僧正だという。国学者の平田篤胤
は寅吉を自宅に引き取り、天狗の世界のことを聞き出し「うちわの使
い方」、「空の飛び方」などを記録しました。
・茨城県笠間市。
【本文】

 茨城県筑波山系の端っこに岩間山(いまは愛宕山ともいう)という
標高306mほどの低山があります。山頂に愛宕神社があり、その裏の
石段を上がったところに長野県飯縄山(山の名は縄)から勧請した飯
綱神社があります。


 その後ろに青銅の六角堂があり、お神輿(みこし)形の屋根の天頂部
に鳳凰を載せて、堂の扉には、金色の菊の紋章が輝いています。その
奥にある、大きな祠を真ん中にして左に6基、右に6基、計13基の祠
こそ、この山の名物十三天狗の祠です。ここの天狗たちの首領は杉山
僧正という大天狗だという。


 この高台がこの山の一番高いところで、かつてはこのあたりに三角
点があったそうですが、いまは、神社の北東側の257.78m地点に設置
されています。境内の石尊さまの岩場に、「十戒、大天狗・小天狗」の
文字が刻まれているように、ここは岩間天狗の修験道場だったところ。
 突然ですが江戸時代後期の文化9年(1812)、江戸下谷七軒町の貧
乏長屋の7歳になる子どもが天狗にさらわれるという事件がありまし
た。


 寅吉という少年で、寅吉は上野の、「東叡山の山下に遊びて、黒門
前なる五条天神のあたり(仙境異聞から)」(※当時、東叡山寛永寺の
時代には黒門があったので元黒門町と呼び、五條天神社があったとこ
ろは五條町だったそうです)と、まあそのあたりで遊んでいました。


 するとそばにいた髭の長い怪しい老占い師が、「口のわたり四寸ば
かり」というから、直径12センチくらいの壷に、丸薬を入れてあった
小つづらや敷物を入れ、また自分も片足ずつ中に入れはじめました。
そして全身が入ってしまうと、その壷は空に舞い上がりどこかへ飛ん
で行ったという。


 不思議に思った寅吉少年は、それからもたびたび怪老人を見に行き
ました。するとある日、寅吉を見て老人が「お前も壷の中に入ってみ
るか」といいました。寅吉が入ってみようかなと思ったとたん、もう
体は壷の中にあり、遠く飛んで常陸国(茨城県)の南台丈(嶽・なん
だいだけ)(いまの難台山)の山頂にいたという。


 ここは岩間山の奥ノ院でやはり天狗の行場です。寅吉少年を連れて
きたのは愛宕山(岩間山)の十三天狗塚の首領の杉山僧正天狗だった
のです。こうしてさらわれた寅吉は、断続的ながら5年間の修行を課
せられ、武術、書道、加持祈祷、神道護符、薬方、占易、秘文呪文な
どを習得したという。


 そのころから寅吉の異能が効力をもちはじめ、祈祷、予言、医療な
どが奏功し、江戸中の評判になりはじめ、「天狗小僧」とか「仙童寅
吉」と呼ばれていました。そして寅吉が14歳の時ほんとうに失踪しま
した。こんども岩間山の師匠の杉山僧正天狗に連れられて、各地の山
々を巡り歩いたという。


 各地の山々から帰ってきた寅吉のうわさを聞いた、山崎美成(よし
しげ・江戸時代の随筆家)が寅吉を自宅に引き取って、見てきた天狗
の世界の話を聞き取って『平児代答』という本にしました。その当時
は寅吉は「白石平馬」という天狗名を授かっていたという。のち杉山
僧正から高山嘉津間という狗名を与えられます。


 そんな話を聞いた国学者の平田篤胤(あつたね)は、山崎美成から
奪うように寅吉を自宅に引き取り、「天狗に寿命はあるか」とか、「天
狗は何を食べるか」、また「天狗も夜は眠るのか」など、こまごまと
聞き出すのでありました。


 その中でここでは羽団扇(うちわ)の使い方、空の飛び方、どこま
で飛べるかを取り上げました。もちろん寅吉は師匠である、茨城県岩
間山(愛宕山)の十三天狗の首領・杉山僧正に連れて行ってもらった
時のものです。


 掻い摘んでいいますと、空を飛んでいるときは、なんだか綿を踏ん
でいるような気分で、風に吹き飛ばされているようで、耳がグンと鳴
るのを覚えている。飛ぶときは、羽団扇で空を指し、方向を決めてか
ら飛び上がり、飛んでいるときは、団扇を梶に使い、降りるときも着
地点を羽団扇で指して降りる。寅吉のような小輩は団扇は持っておら
ず、師匠のものを借りるという。また、この羽団扇は悪魔や悪獣を退
治するときにも使う。


 寅吉は、宇宙にも飛んでいたことがあるらしく、月の近くまで行っ
たときはすごく寒かったが、太陽の近くを通った時は暑くてたまらな
かったなどと話しています。以下の一問一答は、ちょっと長ったらし
いですが、平田篤胤が寅吉から聞き書き膨大な資料を著した『仙境異
聞』(子安宣校注邦・岩波書店)から引用させて戴きました。


【空の飛び方】:「問ふて云はく、師に伴はれて行くに、大空をのみ行
くか、地をも行くか」。「寅吉云はく、地を歩き行くことも有れど、遠
くへ行くには、大空をかけり行くなり」。「問ふて云はく、大空を行く
に足にて歩むか。又は矢の如くついと行くか。絵にかける如く、雲に
乗りて行くか。其心もちはいかに」。「寅吉云はく、大空に昇りては、
雲か何かは知らねど、綿を踏みたる如き心持なる上を、矢よりも早く、
風に吹送らるる如く行く故に、我等はただ耳のグンと鳴るを覚ゆるの
みなり。上空を通る者もあり、また下空を通る者もあり。譬へば魚の
水中にあそびて、上にも泳ぎ、底にも中にも、上下になりて游ぐが如
き訣なり」。


【羽うちわ】:「問ふて云はく、……師(杉山僧正)はいかに、羽団扇
(うちわ)を持たれざるか」。「寅吉云はく、羽扇は座右を放たずおき
て、空行のをりはまづこの羽団扇をもて空をさして目的を定めて飛上
り、空より下る時もこの団扇をさし、其所を見定めて下る。譬へば羽
団扇は、?(くい)の如き物なり。然れど□空行のうち、常に此れを
もて?のごとく用ふと云ふにてはなし。唯昇る時と下る時とに用ふる
のみなり。


下る時など、此の目的一分も違へば、下にては四十里、五十里ばかり
の道は、忽に違ふ故に大切のわざなり。其は高みより礫をおとしてだ
に、寸分を違はず、糸を引たる如くは落ざるものなり。是をもて羽扇
を用ふるわざの、大切なる事を知べし」。「問ふて云はく、羽扇は、大
空を昇り下りの時のみに用ふる物か。余に用ふ道ありや。其の図はい
かに」。「寅吉云はく、羽扇の用はなほ有り。


まづ形は、(【闕・欠図】)□□ かくの如くにて、羽は十一枚なり。
雁股(かりまた)に図のごときさやを入れて、真紅のふさを下げて空
行の途中は更なり。住座のときも、妖魔の仇をなし向ふ時に、さやを
取り、羽先をもちて、手裏剣(しゅりけん)をうつ如く打ちつくるな
り。


それ故に羽元に、孔雀のとさかの毛をさし交へて、打つくる時に、水
にても唾にても、其の毛にひたし付けて打つなり。孔雀の頭毛ほど毒
なるものはなく、鴆毒(ちんどく)といふも此の事なる由きゝたり。
また悪獣悪鳥などにうち付けて殺すことも有るなり。右の如く用ある
物ゆゑにいくらも作りて有り」。


「問ふて云はく、この団扇に用ふる羽は何鳥の羽ぞ。鷲の羽には非ざ
るか」。「寅吉云はく、何鳥の羽なるか知らず。此の春下山する時に、
其の羽を二三本持来れるが、此の毛我が家の者どもに、焼き捨てられ
たり。高みより落てけがをせず、水におぼれず、天気を見る書も焼れ
たり」。


「問ふて云はく、星のある所まで行たらむには、月の状をも見たるか」。
「寅吉云はく、月の状は近くに寄るほど、段々大きになり寒気身を刺
ごとく厳しくて、近くは寄り難く思ゆるを、強ひて弐町ほどに見ゆる
所まで至りて見たるに、又思ひの外暖なるものなり。


さてまづ光りて見ゆる所は国土の海の如くにて、泥の交りたる様に見
ゆ。俗に兎の餅つきて居るといふ所に、二つ三つ穴あきて有り。然れ
ど余程離れて見たる故に、正しく其の体を知らず」。


「問ふて云はく、日輪(※太陽)はいかなる質と云ふこと、見知たる
か」。「寅吉云はく、日輪は近く寄らむとするに焼る如くにて寄られず、
然れども日眼鏡にて見たるよりは遙かに勝りて、よく見ゆる所まで昇
りて見たるに、炎々たる中に電の如くひらめき飛びて闇(※くろ)く
見ゆる故に、何(いか)なる質と云ふことは知らねども、何か一物よ
り炎の燃え出づる如く見ゆ」などと、こまごまともっともらしく語っ
ています。


▼岩間山(愛宕山)【データ】
【所在地】
・茨城県笠間市。JR常磐線岩間駅の西東2キロ。JR常磐線岩間駅
から歩いて2時間で愛宕山。306m(等高線)。写真測量による標高点
(293m)。三角点は四等三角点(257.6m)(奥宮のあるところがこの
山の一番高い場所で、かつてはこのあたりに三角点があったようです
が、現在の三角点は愛宕神社の北東側257.78m地点に設置されている
ようです)。
【位置】
・等高線306m:北緯36度17分31.28秒、東経140度15分15.84秒
・標高点293m:北緯36度17分31.32秒、東経140度15分15.84秒
・三角点257.6m:北緯36度17分34.1022秒、東経140度15分23.5503秒
【地図】
・旧2万5千分1地形図名:岩間


▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波書
店)2018年(平成30)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

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