【全国の山・天狗のはなし】  

▼02:天狗のはじまり

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02:天狗のはじまり(天狗とは)

【概略説明文】
天狗を国語辞典で見ると「深山に棲息するという想像上の怪物。人
のかたちをし、翼があって神通力を持ち、飛行自在で羽団扇を持つ」
とあります。天狗のはじめて記録は『日本書紀』(下巻・巻第二十
三)に記されている「…是れ天狗(あまつきつね)なり」という文
書だという。このころはキツネもイヌも同じだったのですかね。

【本文】

山深いところで一人でテントを張っていると時どき妙な体験をしま
す。夜中の山中で大勢の笑い声が聞こえる「天狗笑い」や、大木を
切り倒す音がするのに行ってみると何もない「天狗倒し」とか、ど
こからかともなく石が飛んでくる「天狗つぶて」などなど。不思議
といえば不思議です。


テントのそばを大勢の武士たちが通り、実際にテントの触っていっ
た…。さっきまでさせ尾根の前を歩いていた人が急にいなくなって
いた…。そのほか思議な体験をした人は多いと思います。そんな時、
神の、妖怪の、鬼の、天狗の神秘を感じます。


地図を見ていると「天狗」の名のついた山や峠が多くあるのに気づ
きます。天狗山、天狗岳、天狗岩、天狗平などのほか天狗岩、天狗
森、天狗原、天狗角力取山、天狗峠、天狗の鼓、天狗棚山などなど。
それほど天狗は身近な存在だったのでしょう。


山名辞典を引いてみると、70もの天狗の文字がならんでいます。地
名に「天狗」の名がついた理由はいくつかあるようです。まず、そ
の場所の地形が天狗の姿に似ている(安達太良山の天狗岩や中央ア
ルプスの天狗岩など)。


次に、そこが奇妙な地形になっている(山頂に花崗岩が風化した白
砂がしきつめられて土俵のように見える朝日連峰の天狗角力取山な
ど)。昔の人は、そうした現象を天狗がもたらしたと考えたのでし
ょうか。


そのほかに実際に天狗がすんでいると信じられた場所もあったよう
です。「天狗」という地名がないところでも、天狗がいることにな
っている山も多くあります。その天狗は、たとえば富士山には陀羅
尼(だらに)坊(太郎坊)、白山には正法坊、立山には縄乗坊(し
じょうぼう)、石鎚山(いしづちさん)には法起坊(ほうきぼう)
などがいるというのです。


天狗とはなんだ?とか、天狗ってホントにいるの?などと、時々聞
かれます。国語辞典を見ると「深山に棲息するという想像上の怪物。
人のかたちをし、翼があって神通力を持ち、羽団扇を持ち自由に空
を飛ぶいたずらもの」とあります。天狗の姿といえば、鼻が高く赤
ら顔、一本歯の高い下駄をはいている姿を思い浮かべます。


ところで、中国では古くから災いをもたらすといわれる、天かける
星・流星やすい星を天狗といっていたそうです。中国の古書「史記
天官集」第五には「テングは状大奔星の如くにして声あり、その下
りて地に止まるや狗に類すウンヌン」とあり、やはり流星をテング
星と呼んでいます。


ところで、『日本書紀』(巻第二十三)舒明天皇9年の条に、九年春
二月(きさらぎ)丙辰(ひのえたつ)の朔(ついたち)戊寅(つち
のえとらのひ)に大きなる星、東(ひむがし)より西に流る。便(す
なわち)音ありて雷(いかづち)に似たり、時の人の曰(い)はく、
「流星(ながれぼし)の音なり」といふ。


亦(また)は曰(い)はく、地雷(ちのいかづち)なり」といふ。
是(ここ)、僧旻(みん)僧(ふふし)が曰(い)はく、「流星に非
(あら)ず。是(これ)天狗(あまつきつね)なり。其の吠ゆる声
雷(いかづち)に似たらくのみ」といふ(岩波文庫『日本書紀4』)。
と何やらコムズカシそうな言葉がならんでいます。


つまり、飛鳥時代、舒明天皇9(637)年のきさらぎの丙辰(ひの
えたつ)の23日に、都の空に突然大彗星が現われ、ゴロゴロと雷
のような音をたてながら西の方に飛んでいった。不吉の前兆と不安
がる人々に、中国への留学から帰国したばかりの僧の旻が、「これ
は天狗(あまつきつね)なり」といったというのです。これが日本
で最初の天狗の記録だということです。天狗と書いて天の狗(いぬ)
とは。このころはキツネもイヌも同じだったのですかね。


この時代にはいまでいうテングのイメージはうまれていないようで
す。その後、天狗の記録は200数十年間なにもなく、平安中期にな
り『源氏物語』、『宇都保物語』などに登場しはじめ、平安時代後期
の『今昔物語』に「今は昔、天竺に天狗ありけり」とちらほら出て
くるようになります。


鎌倉時代になってからは『平治物語』の京都鞍馬山で牛若丸が天狗
を師として修行する話や、『平家物語』、『源平盛衰記』などにゾロ
ゾロ出てくるようになります。


しかし当時の天狗は、くちばしのとがったトンビのような顔、全身
毛むくじゃらのけもの姿のカラス天狗でした。いまのような鼻の高
い山伏姿の天狗があらわれたのは室町末期になってからだそうで
す。


さらに下った南北朝のあたりから、天狗思想は修験道と結びつき、
寺院と同じようにそれぞれの山号に僧正、阿闍梨(あじゃり)、内
供奉(ないぐぶ)、道了薩?(土偏に垂・さった)などの名前がつ
けられ、○○山何とか坊と呼ばれました。


天狗たちが一番活躍したのはこの南北朝時代のようです。天狗とい
うと日本特有の魔界だとされていますが、外国にも天狗はいたよう
です。『是害坊絵巻』(鎌倉時代)によると、中国の大天狗の首領・
是害坊(ぜがいぼう)天狗が、日本の比叡山の坊さんに戦いを挑む
ためやってきて、愛宕山の天狗集団の所にわらじをぬいだという。


そして何回か僧と戦いましたが負けてしまったそうです。これでは
「格好」悪くて本国へ帰れないだろうと、愛宕山の天狗にそそのか
されて3度目に挑戦しましたが、こんどは座主(ざす)の慈恵大師
が相手でしたからたまりません。さんざん打ちのめされて本国へ逃
げ帰ったということです。




▼【参考文献】
・『雨月物語』上田秋成:日本文学全集・13『雨月物語・春雨物語・
世間子息気質・東海道中膝栗毛・浮世床』円地文子ほか訳(河出書
房新社)1961年(昭和36)
・『今昔物語集』(巻第二十):日本古典文学全集24『今昔物語集3』
馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『新著聞集』椋梨一雪原著、神谷養勇軒編。:(『日本随筆大成第
二期第5巻』日本随筆大成編輯部編(吉川弘文館)1994年(平成
6)所収
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『太平記』:新潮日本古典集成『太平記4』山下宏明・校注(新
潮社)1991年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「天狗の足跡」(パンフ)平田正春(発行不明)
・天狗のミイラ (「バケモノの文化誌」)
・「天狗の山々」(「山と渓谷」92年2月号)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本書紀』(巻第二十三)720年(養老4):岩波文庫『日本書
紀4』坂本太郎ほか校注(岩波書店)1996年(平成8)
・『日本神話伝説伝承地紀行』(吉元昭治著)(勉誠出版)2005年(平
成17)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本大百科全書6』(小学館)1985年(昭和60)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成
6)
・『耳嚢・耳袋』巻之十(根岸鎮衛)1814(文化11年):日本庶民
生活史料集成16『耳嚢・耳袋』鈴木棠三ほか編(三一書房)1989
年(平成1)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)
・「山と渓谷」03年11月号企画「特集・山の民俗に親しむ」

 

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