【全国の山・天狗ばなし】  

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▼天狗とはなんだ?

【簡略説明】
平安時代中期ごろまで木霊のようなものと思われていた天狗が、次
第に修験道と結びつきます。落ちこぼれた山伏くずれが、山から下
りて一般民衆の中に入り込みます。そうした連中の中にも一通りの
苦行、ある程度の行力のある山伏がいて、加持祈祷、揉み療治、薬
草施与、中には恐喝や、押し売り、女性を拐かしたりし、天狗のせ
いにして山に逃げ込んだりしたらしい。
【本文】

 いまさら天狗なんてといわれそうですが、ま、少しの間お付き合
い下さいませ。あちこちの山々を歩いていると、天狗山、天狗岳、
天狗岩、天狗平などの天狗の文字がつく地名が目につきます。山名
事典には、70もの文字がならんでいます。地名の由来は、地形や
岩の形が天狗面に似ているものもありますが、なかには実際天狗さ
まがすんでいると伝承される山もあります。


 国語辞典には、「天狗は深山に棲息するという想像上の怪物。人
の形をし、顔赤く、鼻高く、翼があって神通力を持ち、飛行自在で
羽団扇を持つ」などとあります。そして天災・人災を起こすことな
ど自由自在、いたずら、人間同士のけんかが大好きな魔物でもあり
ますから困ります。


 こんな天狗にも階級があるといいますから愉快です。上から大天
狗、中天拘、小天狗、木の葉天狗、カラス天狗、白狼(はくろう)
とならびます。江戸古川柳に、「ありそうでないのが中天狗」とい
うのがありますが、中天狗はいるそうです。そしていちばん下に溝
越天狗(みぞこしてんぐ)がいるのだそうです。


 この天狗は、まだろくに空も飛べず、溝を飛び越すにもときどき
落ちるという。いちばん上の大天狗でも、名前がないものが多く、
名前のついている天狗はそれこそ大物なのです。そのほかの下っ端
は、とるに足らない「ゴミ天狗」で、ただいたずらをしてるのみ。


 さて平安時代、木霊(こだま)のようなモノだと思われていた天
狗が、次第に修験道との結びついて具体になっていきます。そして
修験者の移動とともに各地の山々に広がっていったらしい。その証
拠に、吉野の金峰山を模した東京奥多摩の御岳山のように、奥の院
に吉野の天狗の弟分の天狗がまつられていることでも分かります。


 修験道の祖といえばあの役(えんの)行者小角(おづぬ)。あち
こちの山を開いた人物として知られ、開山した山は記録に残るもの
だけでも約80座を数えます。この役行者が起こした修験道は神道
と仏教の両方をとり入れ、山や谷を巡りながら苦行するもの。小角
は少年時代から大の山好きで、山に入っては自然と一体となり、次
第に家に帰らないようになります。


 ついには神通力を得て、17、18歳のころには、すでに山の神で
ある一言主命を自由に扱い、鬼の前鬼、後鬼を水くみや、まき割り
に使っていたというからうらやましい。のちに前鬼、後鬼は天狗に
昇格します。


 この修験道が盛んになり各地の集団が統一され、身分が確立され
てくると、山伏になりたいという志望者が急増します。各集団には
苦行を積んで呪験・行力に秀でた行者が次々にあらわれます。そん
ななか、その能力に限界を感じてあきらめたものや、落ちこぼれた
山伏くずれが出てきます。それらが山から下りて、一般民衆の中に
入り込みます。


 そうした連中の中にも一通りの苦行、ある程度の行力のある山伏
がいて、加持祈祷、揉み療治、薬草施与、中には恐喝や、押し売り、
女性を拐かしたりし、天狗のせいにして山に逃げ込んだりしたらし
い。そんなことから天狗とは恐ろしいバケモノだという風潮が根づ
いていきます。


 しかしまた、山伏として山中を駆けめぐり心身を鍛え、険しい岩
場で行を練り、岩屋に籠り、法験・行力をそなえた呪験師となった
山伏も多くいました。そして各地の天狗の活躍ばなしが人々の噂に
なると、天狗そのものが次第に神格化されていくのでした。


 さて日本での天狗の最初の記録は、『日本書紀』(巻第二十三)の
記事(637年・舒明9)です。そのころは天狗と書いて「あまつき
つね」読ませていたという。それからしばらくは天狗の文字が文書、
記録には出てきません。平安時代中期になり『源氏物語』(夢浮橋)
に「天狗、木霊のようなもの」との一文、また『宇津保物語』(俊
陰)などに天狗の文字がちらほら。さらに平安末期になると『今昔
物語集』などで天狗が俄然活躍をし始めます。


 なかには中国の天狗が、日本のお坊さんと力比べをしようとやっ
てきましたが、比叡山の慈恵僧正にこっぴどくやられた話など(巻
第二十)もあります。天狗が活躍し出すのは、グーンと下った南北
朝あたりです。『太平記』(巻第五)の中にある「高時天狗舞い」の
ように、北条八代執権の北条高時が酔っぱらって、さんざん天狗に
なぶりものにされたこともありました。


 『太平記』の舞台になった南北朝時代の天狗は、まだ鼻が高くな
いカラス天狗であらわされていた時代。物語には天狗の陰謀が数多
くからんでいます。なかでも有名なものは京都仁和寺(にんなじ)
の六本杉の梢で行われた「天狗評定」です。


 夕立のため仁和寺の六木杉のかげで雨やどりしていた坊さんが、
たいへんなものを見てしまいました。雨がやんで月明かりのなか、
ふと杉の梢を見上げると、大物天狗がズラリならんでなにやら相談
中。足利家に内紛を起こさせようというものです。


 その内容は「まず、尊氏の弟・直義の妻のお腹を借り、大塔宮が
生まれる。次に尊氏が帰依している僧・夢窓国師の弟子で野心家の
妙吉侍者の邪心にとりつく。そして上杉重能、畠山直宗に邪法を吹
き込み、高師直、師泰兄弟を滅亡させ、尊氏兄弟にけんかをさせる
というものでした。


 この謀議がまとまった直後、上杉重能、畠山直宗が殺されました。
また翌々年には高師直(こうのもろなお)一族が亡ぼされ、その次
の年には直義((ただよし))が兄の尊氏に忙殺されるなど大波乱が
起こり、とうとう天狗たちの思うつぼになってしまいました。この
ことは、詳しく『太平記』(巻第二十五)に記述されています。


 さて、修験道と結びつき、守護神になった天狗は、南北朝あたり
から霊山や力のある山伏集団のいる山で勢力を増していきます。な
かでも最も強い力をもった天狗が8狗選ばれ「日本八天狗」と呼ば
れています。それは、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、大
峰前鬼後鬼、鞍馬山僧正坊、彦山豊前坊、相模大山伯耆坊、白峰相
模坊の8狗です(天狗は1狗2狗と数える)。


 相模とくれば神奈川県の丹沢・大山の天狗。かつて大山には、た
くさんの子分の天狗をつれた相模坊という大天狗がいたのですが、
なにがあったか、四国・香川県の白峰山に移ってしまいました。(天
狗信奉の修験者たちの移動にともなうものか)。以来白峰相模坊と
呼ばれています。そのあと、鳥取県・伯耆大山から伯耆坊(ほうき
ぼう)が移ってきたという。これを天狗の山移りというそうです。


 室町時代末期になり、日本画の狩野派2代目・狩野元信が初めて
大天狗「鞍罵大僧正」を描きました。それは今までのカラス天狗と
違って山伏姿の鼻の高いカッコいい天狗です。その威厳のある姿に
各地の山々の天狗信奉者たちは、みなこの姿の天狗にのりかえてし
まいました。そのため、いまでは天狗といえば赤ら顔で鼻の高い姿
が一般的になっています。


 しかし、この姿にのりかえず、昔と変わらないくちばしのとがっ
た姿を守りとおしている天狗の系列がいます。それが飯縄系の天狗
です。飯綱三郎は飯縄系の天狗の総元締めです。飯縄系の天狗の姿
は、ほかの天狗と違い、背中に火炎を背負い、白いキツネに乗った
荼吉尼天(だきにてん)の姿。飯縄系の天狗は、このほか静岡県の
秋葉山三尺坊、神奈川県箱根明星ヶ岳の道了薩た(どうりょうさっ
た)、東京の高尾山飯縄権現、茨城県の加波山岩切大神など、みな
飯縄系の天狗です。


 江戸時代になると、天狗小僧寅吉や神城騰雲など天狗にさらわれ、
天狗と一緒に生活してきたという者まであらわれます。国学者の平
田篤胤などは、寅吉少年から天狗界の様子を聞き書きするなど熱心
に研究していたようです。


 明治時代になると西欧の先進国の知識に追いつけと背伸び体制。
妖怪・天狗など迷信扱いになります。証明も行灯(あんどん)から
ランプ、電灯になっていき、天狗もおちおち姿を見せられなくなっ
ていきます。そのうえ神仏分離令とかで、廃仏棄釈の嵐が吹きまく
り、山伏姿も幅を利かせられなくなりました。


 そして現代、いまや人工衛星、宇宙旅行、ミサイルの時代。山々
も走りに走り、山の神・天狗などねじ伏せて登る時代。またなんと
か百名山とやらを駆けめぐり、それをテレビで放映する時代。さら
には山小屋へ名物メニューを食いに、いっぱい飲みに出かける時代。
天狗?なにを寝ぼけてんだとますます相手にされなくなっていま
す。


 しかし、いくら俗信だ迷信だといわれても、何百年何千年と人間
が胸に温め、育ててきたこれらの日本の文化。民話に商標マークに、
そして山々の神社仏閣のシンボルとして消え去るモノではありませ
ん。天狗はますます山奥の崖の岩屋で、仲間を集めてイッパイ傾け
ながら生き続けているに違いありません。


 さらには人間社会に入り込み、姿を変えてナントカ天狗などと、
我慢邪慢、自慢そのままに生き続けていく道を選ぶ天狗もいるのは
ご承知の通りです。以上大急ぎで天狗について述べましたが、ほか
にも身近な山々に名のない天狗、名のある天狗は数えきれないほど
います。山歩き中に「天狗」と名のつく地名を見つけたら、その周
囲の神社などに祠はないか観察してみたら、きっと意外な発見する
かも知れません。



▼【参考文献】
・『雨月物語』上田秋成:『雨月物語・春雨物語・世間子息気質・東
海道中膝栗毛・浮世床』(日本文学全集・13)円地文子ほか訳(河出
書房新社)1961年(昭和36)
・『今昔物語集』(巻第二十):日本古典文学全集24『今昔物語集3』
馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『新著聞集』椋梨一雪原著、神谷養勇軒編。:(『日本随筆大成第
二期第5巻』日本随筆大成編輯部編(吉川弘文館)1994年(平成
6)所収
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『太平記』:日本古典文学大系『太平記(一)』後藤丹治ほか(岩
波書店)1993年(平成5)
・『太平記』:新潮日本古典集成『太平記4』山下宏明・校注(新
潮社)1991年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本書紀』(巻第二十三):岩波文庫『日本書紀4』坂本太郎ほ
か校注(岩波書店)1996年(平成8)
・『日本神話伝説伝承地紀行』(吉元昭治著)(勉誠出版)2005年(平
成17)
・『日本大百科全書6』(小学館)1985年(昭和60)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成
6)
・『耳嚢・耳袋』巻之十(根岸鎮衛)1814(文化11年):日本庶民
生活史料集成16『耳嚢・耳袋』鈴木棠三ほか編(三一書房)1989
年(平成1)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)

 

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