第12章 12 月

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▼中 扉

12月(しわす) (この章の目次)
  ・師走(しわす)
  ・歳末助け合い運動
  ・大雪
  ・冬至(ユズ湯、コンニャク、カボチャ、カユ)
  ・天皇誕生日(23日)
  ・歳の市
  ・クリスマス(サンタクロース)
  ・冬休み
  ・忘年会
  ・仕事納め
  ・もちつき
  ・大みそか(歳徳神、年越し、そば、紅白歌合戦、除夜の鐘)
  ・12月その他の行事

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・師 走

 とうとう12月になりました。師走(しわす)とは、もともとは陰暦での12月の呼び方でした、いまの太陽暦の12月にも通用しています。「歳よつむ月、親子月、暮古月(くれこつき)」ともいうと「滑稽雑談」其諺著(江戸時代中期の歳時記)の本に載っています。

 師走は仕極(しは)つで一年の総仕舞いの意味だという。「日本歳時記」という江戸時代の本には「しわすというは四時の訛音なり。四極月(しはつづき)なるべし」と書かれています。

 英語のデッセンバーのデッセンはテン(10)の意味、ローマ暦では10月だったという。しかしユリウス暦で7月をシーザーの名をとってジュライに、アウグスッスが8月をオーガストにしたので、2ヶ月ずれて12月になってしまいました。師走は「師馳(は)せ月」。弟子や生徒が師(先生)の家を走りまわるということからきているようです。

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・歳末助け合い運動(1日から)

 12月1日から31日まで、「みんなそろって明るいお正月を」をスローガンに「歳末たすけあい運動」行われています。戦前に「歳末同情募金」という募金運動があったといいます。その流れを汲んで1959(昭和34)年から共同募金運動の中で行われるようになったもの。毎年10月1日からはじまる共同募金運動の一環として、12月に行われているのだそうです。

 この運動には民生委員、児童委員、関係団体が協力して行っている「歳末たすけあい運動」と、NHKがテレビなどで呼びかけて実施する「NHK歳末たすけあい」の2通りがあり、それぞれの方法で行われているのだそうです。

 この「歳末助け合い運動」で集められた寄付金は、地域の恵まれない人々が、明るく、楽しい正月が迎えられるように、共同募金が社会福祉協議会などを通じて配分しているそうです。

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・大 雪(7日ころから)

 大雪(たいせつ)はその名のとおり、山の上ばかりではなく平地にも雪が降るころだという。これも二十四節気のひとつで、小雪から15日目の12月7日ころにあたります。地上から見た太陽の軌道(黄経)が255度になる日だそうです。

 二十四節気は、昔の暦(陰暦)でも季節が分かるように、それぞれにふさわしい名をつけたもの。それをさらに3つに分けたものを七十二候といい、このころは第六十一候〜第六十三候にあたります。

 第六十一候は7日ころから11日ころで「閉塞して冬となる」天地が閉じてふさがり真冬になるころ、第六十二候は12日から17日ころで「熊穴にかくる」熊が穴に入って冬眠に入るころ、第六十三候は18日ころから21日ころで「鮭(さけ)群れる」ころとしています。

 1782(天明2)年の「年浪草」(三餘斎兼文著)には「云うこころは、積陰雪となりて、ここに至りて栗烈として大なり」とあります。

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・冬 至(22日ころから)

 12月22日ころは冬至です。太陽の黄経を24に分けて、それぞれに季節をわり当てたこれも二十四節気のひとつです。天球の太陽の位置である黄経が270度になり、太陽の高度は一年中でいちばん低くなります。地球からいうと太陽が南緯23度27分に達し、いちばん昼が短い日。

 しかし冬至はまた、再び昼が長くなりはじめる日でもあります。そのため新しい太陽の誕生日だとして、冬至を祝う行事が世界中にあります。クリスマスもそのひとつだそうです。太陽とみなすキリストの誕生日を、わざわざこの時期にもってきたものという。

 再び昼が長くなることを喜び、昔は暗い陰から明るい陽をもどしてくれるという「一陽来復」をもたらす神がこの日、村々をまわるのだと考えられました。これはクリスマスにサンタクロースが村々をまわるのと同じ考え方なのだそうです。

 冬至の日はには、中風にならないまじないにカボチャや冬至がゆを食べ、カゼをひかないようユズ湯に入ります。コンニャクも食べます。また、レンコン、ミカン、トウガン、ダイコンなど「ン」のつくものを7種類食べると、病気にかからず運がよくなるなどとも思われていました。

 冬至は七十二候では第六十四候〜第六十六候にあたります。第六十四候は22日から26日ころにあたり「乃東(なつかれくさ)生ず」乃東(だいとう)とは夏枯草でウツボグサのことだという、第六十五候は27日ころから31日ころで「麋(おおしか)の角解(おつる)」(麋角とはなれ鹿のつの)ころ、第六十六候は1月1日から〜5日ころで、「雪の下に麦出る」ころなのだそうです。

 江戸時代1782(天明2)年の「年浪草」(三餘斎兼文著)には、「陰極まりて陽始めて至る。日南に至り、漸く長く至るなり」とあります。

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・天皇誕生日

天皇誕生日は日本の国民の祝日のひとつです。平成になってからは12月23日になりました。皇居において一般参賀が行われます。

 

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・ユズ湯

 冬至(22日ころ)にはユズ湯に入り体をあたためます。ユズには邪気をはらう力があると信じられ、この日にユズ湯に入って邪気をはらい風邪をひかないよう願います。またユズ湯と融通(ゆうずう)がきくようにとの語呂あわせからきたものとかいわれています。

 大分県には冬至にユズの実をみそ漬けにしておき、節分の日に出して食べれば病気にならないという所もあります。

 ユズ湯に入ると肌がスベスベになります。冷え性やリュウマチにも効があり、体が温まり風邪をひかないといわれています。これらの効能は、ユズに含まれる芳香成分「精油」の働きによるものという。ユズの精油にはピネン、シトラール、リモネンなどという物質があるという。

 これらは新陳代謝を活発にし、血管を拡張させて血行を促進させる働きがあります。ノミリンなどには鎮痛・殺菌作用があり体が温まって風邪にも効果があるそうです。

 ユズは漢字で柚と書き、中国は揚子江上流の原産。カラタチの次に寒さに強い常緑小高木です。日本へは中国の唐の時代(西暦618〜907年)以前に朝鮮経由で伝わったといわれています。実生(みしょう)の苗はミカンの台木に利用され、よいかおりのする果実は調味料、マーマレードの原料にします。

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・コンニャク

 冬至にはかゆやカボチャのほか、コンニャクも食べて金運を祈ります。埼玉地方では「コンニャクを食べて砂払いをするのだ」などといいます。
 コンニャクはインドシナ原産、サトイモ科の多年草。縄文時代に日本へ渡ったという説もあるが、ふつうは中国から仏教伝来とともに精進料理の中に、また遣唐使が持ち帰ったともいわれています。

 コンニャクは英語でもフランス語でもコンニャクで、これを食べているのはビルマの一部か日本だけといいます。コンニャクは春に古い球茎から太く長い茎を出して、その頂上にミズバショウのような構造の、暗紫色の気味悪く、ひどい悪臭を出す花が咲きます。食べるコンニャクは球茎を加工してつくります。

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・カボチャ

 冬至にはどういうわけかカボチャを食べます。なぜカボチャを食べるのでしょうか。金運を祈るというほかに、各地方でいろいろにいわれがあります。北海道ではこの日にカボチャの汁粉やカボチャ粥などにして食べると中風にかからないといい、逆に冬至を過ぎてから食べると「らい病」になるといいます。

 岐阜県では冬至にカボチャを食べると小遣いに困らないといい、岡山県ではカネまわりがよくなる、静岡県では魔よけ、長生き、うじよけになるなどといっています。昔はこんなことが信じられていたのですネ。

 西洋野菜が渡来するまでは、この時期の野菜は少なく保存できる野菜も限られていました。その点カボチャは保存でき、また保存中の栄養素の損失もほか野菜に比べて少なく、冬至の時期の貴重な栄養源でもありました。

 日本にカボチャが伝わったのは室町時代の1541年(天文10)年。ポルトガル船が豊後の国(大分県)に漂着。カボチャの種を大友宗麟がもらってまいたのが最初といわれます。これがカンボジアからきたというので「カボチャ」の名がついたという。

 カボチャが一般に普及したのが江戸時代、そのため江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習ができたといわれています。当時、冬に野菜がなくビタミン類が不足しがちなことからきた風習のようです。

 カボチャの栄養成分の特徴はカロチンを多く含んでいること。カロチンは体内でビタミンAにかわり、肌や粘膜を丈夫にして感染症などへの抵抗力をつけます。そんなことから「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれるようになったそうです。

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・冬至粥

 いまはあまりないようですが、かつて冬至には冬至粥(とうじがゆ)を食べる習慣がありました。年中行事に粥(かゆ)を食べる習俗は多く、正月の白粥、七草粥、1月15日のアズキ粥、麦まき後の穴ふさぎ粥、田植え前の苗取り粥、12月大師講のアズキ粥などがあります。

 これらはほとんどが農事暦の行事に結びついています。そのため、もとは神に供える食べ物だった粥が、次第に生活民俗にとけ込んでいったのではないかとされています。

 また粥占いという神事もあり、小正月にはお粥を使って農事を吉兆を占うものや、五穀といっしょに煮たカユの中に竹の筒を入れ、その中に入った五穀の比例で、その年の作物の出来を占ったりします。カユは濃湯(こゆ)のことだとも炊湯(かしぎゆ)の意味からきた語だともいわれています。

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・歳の市

 年の暮れになると「歳の市」が開かれます。歳の市は正月用の飾り物、破魔矢、雑貨縁起物、食べ物類を売る臨時の市で、おもに神社などの縁日に立ちます。

 東京・浅草観音で開かれた歳の市が最初といわれ、しめ飾りや福だわら、羽子板、破魔矢などを商う江戸第一規模の市だったそうです。
 歳の市も時代が経るにしたがい雑多な物をならべるようになり、東京では「何やかや売り」などといわれたという。いま世田谷区の旧大山街道で開かれる「ぼろ市」はそれが残ったものだそうです。

 現在、埼玉県大宮市氷川神社の大湯祭の歳の市が有名で関東一といわれています。

 年末には羽子板市もたちます。羽子板市はふつう中旬からはじまりますが、早いものは上旬からたちはめます。江戸時代の元禄年間(1688〜1703)の「江戸惣鹿の子」という本には「十二月廿六より三十日まで弓矢(破魔弓)羽子板売るなり」と出ています。

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・クリスマス

 クリスマスは英語でキリストのミサ(カトリック教会の聖餐(せいさん)式)の意味だそうで、キリストの降誕祭になっています。

 初期のキリスト教にはクリスマスはなかったといい、むしろ1月6日に行われる御公現祭がギリシャや東方の教会では盛大だったそうです。アレクサンドリアのクレメンスの記録では降誕の祝日が最初に行われたのは西暦200年ころの5月20日ということになっています。

 それが西暦300年ころ、カトリック教会が降誕祭を12月25日に決めました。しかし、キリストがこの日に生まれたという証拠はまったくないというのです。しかも12月はキリストの生まれた地方ユダヤは雨の季節、聖書に載っているキリスト誕生の様子と違ってしまいます。

 そんなことから、降誕祭を12月25日にしたのは、この時期は1年の変わり目であり、新しい活動の準備をはじめる「冬至」のころ。それにキリストの誕生を合わせたのではなかといわれています。

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 24日の夜はクリスマスイブ。キリストの教の初期には1日を前の日の日没から次の日の日没までをいっていました。そのため前夜祭ができたという。クリスマスをXmasと書くときのXは、ギリシャ語のクリストスXristos(Christos)の頭文字を使ったものだそうです。

 またクリスマス・ツリーは8世紀ドイツの最初の伝道者である聖ボニファティウスという人がモミの木にキリストへのささげものをつるし、犠牲の代わりにしたことからはじまったとされています。それが18世紀になると、ツリーにおもちゃを飾るようになったという。

 さらにクリスマス・カードは1846年イギリスで考案、ビクトリア女王がはじめて出したという説がありますが、記録では1843年ヘンリー・コルが考え出したというのが初見です。当時の郵便の料金は受取人が払う仕組みだったといい、クリスマス・カードは普及しなかったそうです。

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・サンタクロース

 サンタクロースとは4世紀のころリュキア(トルコの南部)のミュラに住んでいた司教聖ニコラウスの愛称だそうです。子ども、学生、商人などの保護聖人で、当時12月6日の祝日の前夜にはプレゼントをする習慣があったという。

 これに北極からの使者の北欧伝説が加わり、おもちゃなどのプレゼントを積んだ8頭のトナカイが引くソリが北極からやってくるという話に発展。これがオランダの移民を通じてアメリカに伝わり、クリスマスプレゼントの習慣と合わさります。やがていまのようなプレゼントを入れた袋を背負った、赤ずきん、赤い服、長ぐつをはいて老人ができあがっていったのだそうです。

 フランスではサンタのかわりに「クリスマスのじいさん」が「ひっぱたきのじいさん」とやってくるというそうです。

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・冬休み

 2学期が終わりいよいよ冬休み、お正月が間近です。学校の冬休み・夏休みは1947(昭和22)年の学校教育法施行令により、その期間は教育委員会が決めることになっているそうです。

 ただ私立の場合はその学校の学則で定められているという。その長さについては夏季、冬季、学年末、日曜、国民祝日などの休みの合計が法律できまっている授業日数になるようになっており、冬休みの長い所では夏休みを短くするとか。

 学校の最初は奈良時代で「懐風藻」(751年)という本にすでに記載があり、「日本書紀」には676年(飛鳥時代)に「大学寮」の名もありますが、詳細は不明だということです。しかし、いまの学校制度のもとは1872(明治5)年に実施された「学制」によるということです。

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・忘年会

 今ごろになると、あちこちで忘年会が開かれます。中国の古書「書言字考節用集」という本には「別歳」や「分歳」の字を「としわすれ」と読ませてあるという。「別歳」や「分歳」は旧年と新しい年とがわかれ(別れ・分かれ)る意味だそうで、中国では、忘年会が先祖のまつりのあとの宴会に相当するものだという。

 日本にも古くから除夜に先祖をまつる風習がありました。平安時代の和歌に、除夜は魂(たま)祭りの夜で亡き人の魂がくる晩であることを詠んだものが見られます。

 「年忘れ」の語は室町時代から見られ、年末に連歌を詠むこともあり、大みそかの夜に吉例として行い、暁まで続け100韻まで作るのをしきたりにした大名さえあったといいます。

 1598(慶長3)年の「御湯殿上の日記」(おゆどののうえのにっき)の(慶長八年(1603)十二月九日)には、「大御ちの人より御年忘にて供御参る」とあり、年忘れは年の瀬が押しせまってからするものとは限らなかったようです。そういえばいまも11月の終わりくらいから忘年会をやる人もいますよね。

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・仕事納め

 暮れもいよいよおしつまり、正月の準備をします。会社などは28日か29日に仕事を切りあげ1月3日まで正月休みに入ります。

 官庁や学校はご用納めなどといって、28日は仕事をせず机の上を整理し、年末のあいさつをして午前中でおわります。東京証券取引所も28日で取引を終わり、4日まで休みます。28日の相場立てを終(しま)い相場というそうです。

 このようにして1年の仕事を終え、一家で静かに正月をむかえるもの、ふるさとで正月を送るため帰省をするもの、海外旅行に行くもの、それぞれを胸に家に急ぎます。

 しかし、仕事の都合で30日または31日まで働いている人たちや元旦から働く人はたくさんいます。

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・餅つき

 年の暮れになると、正月の餅を用意しなければなりません。いまのようにスーパーで用意できなかったころは、自宅の臼で何日もかかって何俵もの餅をついたといいます。餅は神や仏さまに供える鏡餅のほか、お歳暮のお返しの分・また保存食用・あられ・かき餅の分もつきました。

 餅つきは苦餅(29日)や一夜餅(大みそか)を避けるしきたりで、初めのひと臼からお供えをとるようにします。餅は酒とともに晴れの日の飲食物になっており、また餅には神霊・魂が宿ると考えられました。

 古くは「もちいい」とか「もちい」と呼ばれていたという。餅の形は鏡餅をはじめ多くは丸いものとされていますが、その丸い形はもともと心臓をかたどったものだという説もあります。

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・大晦日(31日)

 きょうは一年の最後の日大晦日(おおみそか)です。門松もかざり終わった、もちもついた、歳神さまのしめなわもつけた……正月の準備がととのったきょうは年越しそばを食べ、ミソカバライをし除夜の鐘を聞き、正月の神を待つ……というのは昔のはなし。いまはテレビで紅白歌合戦をみる者、海外旅行に行く者、またお寺で除夜の鐘をつくために行列をつくる者といろいろです。

 昔は除夜は一晩中起きているのがふつうでした。この夜寝ると白髪(しらが)になるとか、しわができるとかいわれたそうです。除夜とは夜を除く……すなわち夜がないこと・寝ないことです。以前は青森県の野辺山地方では、いろりのまわりで人のお尻をまくらに仮眠した風習があったという。これは一晩中起き明かしたことの名残りです。

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 この夜は年ごもりといって、お寺や神社におこもりしてすごす習慣があり、いまも元旦の朝早く神社へお参りにいくならわしになっています。
 大みそかに行われる行事も、地方によっていろいろです。兵庫県では「年越しどんど」といい火まつりをします。古いしめ縄や不用になった神のものを焼きます。

 また青森県では臼伏せといい、一升ますの米がもちにつくそのぐあいで豊作を占います。佐賀県では庭にむしろをしき、上に臼を横にし、もちを供え灯明を上げ、これを臼休めといいます。

 長野県では大みそかの晩、ミタマメシといい、仏壇にごはんを白い紙の上に山盛りにして盆の上にのせて供え、そのうえにはしをつき立てたりするそうです。

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・歳徳神

 正月の神さまは歳徳神(としとくじん)、年神、若年様、歳神などといいます。歳徳神は恵方(えほう)をつかさどる女神だといいます。恵方とはその年の「吉」の方角のこと。 また門松の松は年徳神が降りたつところの目じるしです。

 しかし大昔は目じるしはサカキでもツバキでもよかったそうで、中古の時代に松を使うのが大流行しただけのこと。そんなあんなでいつの間にか松に決まったということです。

 歳神を「としじいさん」と呼ぶ地方があり、その姿は白髪の老人だとするむきもあります。小正月(1月15日)の「鳥追い行事の煙に乗って白髪の歳神が帰っていく」などともいうそうです。

 昔の子どもたちは「正月さま正月さまどこまでござった。○○(その地方の山の名)山のふもとまでござった……」とうたいながら正月のくるのを待つのでありました。

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・年越し

 年越しは新年を迎えるための夜の行事です。大晦日には大はらえをし、物いみをして一晩中おきて正月さまをむかえます。

 昔は日の暮れから日の暮れまでが一日だったので、夕方が一日のはじまり。大晦日が暮れるともう新しい年で、正月の神まつりが行った後は家族一同が直会(なおらい)として年取りの食事をしたそうです。

 以前は大晦日は年ごもりといって神社やお寺へ行って元日を迎えました。農家は臼や主な農作業の道具を祭壇ふうに飾り、しめ縄をしめ餅を供えました。

 新潟県では大みそかの夜、歳神を迎えるため大戸を開き、7つぶの黒豆を入れお湯をわかす行事があります。また岡山県のように年越しイワシといって、大みそかには必ず夕飯にイワシをつける所もあります。

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・年越しそば

 大みそかの夜に食べる年越しそばは「つごもりそば」といい正月の縁起を祝います。運気そば、寿命そばとも呼んでいます。

 大晦日に食べることは、そばのように長く幸せにと縁起をかついでいるのだとも、金箔(きんぱく)師が金や銀の粉の散らばりをそば粉のこねたもので集めることから、金銭をかき集める意味があるとの説もあります。

 しかしこれは、もともと商家が毎月末に、忙しさのため夜おそくまで仕事をし、夜食としてそばを食べていたものをふつうの家でも真似をして、とくに忙しい大晦日につごもりそばとして食べるようになったとされています。

 ソバはアジアの北・中部の原産で、日本には中国大陸から朝鮮を経由、奈良時代に入ってきたといわれ、記録では「続日本紀」の記述が最初です。

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・紅白歌合戦(31日)

 大みそかの夜はNHKの紅白歌合戦が、依然として高視聴率を誇っています。紅白歌合戦は1945(昭和20)年の大みそかに、NHKラジオで放送された「紅白音楽試合」がもとになっています。

 「紅白歌合戦」に名前の変わった第1回の1951(昭和26)年からは、1月3日放送の正月番組でしたが、テレビが開局した1953年の第4回からは、大みそか恒例のラジオ、テレビの「国民的行事」番組と呼ばれるほどになりました。

 しかし出場歌手の人選の基準がはっきりせず、その選び方を疑問視する声もあり、このごろは他のテレビ局でもいろいろな企画番組を放映、一時ほどの勢いはなくなりつつあるそうです。

 ちなみに「紅白音楽試合」の司会は紅組・水の江滝子、白組・古川ロッパ、第1回「紅白歌合戦」は紅組・加藤道子、白組・藤倉アナでした。

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・除夜の鐘

 除夜の鐘が鳴りはじめるともうすぐ新年です。除夜の鐘は百八つの鐘ともいい、108の煩悩(ぼんのう)にちなんで、それを一つずつ救うためにつき鳴らすのだそうです。107点は旧年中に、最後のひとつを新年につくようにします。鐘の音で煩悩を覚醒させ、覚醒の音が聞こえなくなるとき新年が迎えられるといいます。

 煩悩とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の「六根」と色、声、香、味、触、法の「六塵」がそれぞれ好、悪、平の不同があるため、18種煩悩になり、さらに楽受、苦受、不楽、不苦楽によって18の煩悩になり、あわせて36種の煩悩が、過去、現在、未来の3つにあるため108の煩悩になります。

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 しかし108の鐘の音は、煩悩の数ではなく、1年の数を示したものだという説もあります。1年、12ヶ月、二十四節気、七十二候を足して108としたのだというものです。しかし、108の数についてはこのほかにもいろいろな説があります。

 いずれにしてもこの除夜の鐘は、弱く54声、強く5声打ちならしていいます。これは中国の宋の時代から始まった方式だという。

 いまでは神社やお寺で除夜の鐘をつかせてくれる所が多く、鐘をついたついでに初詣すまして来る人が多いようです。

 大昔は一日の境が日没にあったので、晦日の夕方から寺社にこもって新年を迎えたといいます。年ごもりとして宵からあさにかけてひと続きだったわけです。それがいつからか、除夜の鐘が鳴ってから新年になるという考え方に変わってきたようです。

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・12月 その他の行事

▼秩父夜祭(3日) 埼玉県秩父市秩父神社。名物の屋台ばやしにあわせて屋台がねり歩きます。

▼あえのこと(5日) 石川県珠洲郡、凰至郡など。農家の主人が裃(かみしも)をつけて田の神を家に迎えてもてなします。また風呂に入れさせ、「熱うございますか。ぬるうございますか」などと話しかけます。

▼氷川神社大湯(おおゆ)まつり(10日) 埼玉県大宮市高鼻町。しめかざりなど正月用品の店でにぎわう。山車(だし)やまつりばやしやおどりなど。

▼歳暮  年の暮れの贈りもの。はじめは今のようにお義理でするのではなく、祖先のたままつりとは別に、生きている親の健康を祝うため、もちやサカナなどを持って行ったのがもとです。いまのように派手になる前は、塩ザケ、塩ブリ、スルメなどの魚類、米やもちが主だったようです。

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▼大師講(だいしこう) 旧暦11月23日の夜から翌日へかけての祭。この日は弘法大師または元法大師が訪れてくる日だといい、「あとかくしの雪」とか「でんぼかくしの雪」といって、必ず雪がふると信じられていました。

▼なまはげ(31日) 秋田県男鹿市。鬼のかっこうをした男4,5人が銀紙張りの出刃包丁を持って家々をまわります。

▼おけらまつり(31日) 京都市東区八坂神社。神主がひうち石・きねできり出した火を火なわにつけてクルクルまわし、消さないようにしながら家まで持ち帰り、元旦のぞうにの料理の時のたちづけにします。

▼松例(しょうれい)祭 山形県羽黒町羽黒山出羽三山神社。たいまつの明るさで占います。

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(12月終わり)

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