第10章 10 月

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▼中 扉

10月(かんなづき) (この章の目次)
  ・神無月(かんなづき)
  ・共同募金
  ・体育の日
  ・目の愛護デー
  ・プロ野球日本シリーズ
  ・霜降
  ・読書週間
  ・秋祭り
  ・10月その他の行事

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・神無月

 旧暦(陰暦)では10月を神無月(かんなづき)といいました。これはいまの暦でも通用しています。この月は八百万(やおよろず)の神が島根県の出雲大社に集まると言われます。そのためこの月を神無月といい、出雲では逆に神在(かみあり)月と呼んでいるそうです。

 しかし、神無月というのは雷(かみなり)のない月という意味だとか、穫り立ての米・新殻を使って酒をかもすので醸成月(かもなしづき)が本当の意味だという人もいます。神さまが出雲に集まるのは酒づくりをするためだとか、縁結びの相談にくるのだともいう。

 神々が出雲へ出発する日は旧暦の9月の末日だとされ、総神渡しといい神送りの祭りをします。神々の出発の日には風が吹きおこるといわれ、その風に乗って出雲へ行くといい、その風を神送り風といっています。

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 神さまが旅をするという考え方は、鎌倉時代以前からのものらしく、吉田兼好の徒然草(つれづれぐさ)には「神々が伊勢神宮へ参集するというが、いままでそんなことを書いた本もないし、その説の本説はない」とあります。当時は神々は伊勢へ集まるという風聞があったようですが、吉田兼好は否定しています。しかしこのころも出雲というのはうわさにもなかったようです。

 神々がなぜ伊勢行きから出雲になったかは不明ですが、この考え方は兼好法師など神道家や有識者がいくら否定しても根強く残り、しだいに神社道にもくみ入れられてしまったということです。神がいないというのは人々にとって不安です。そのため考え出されたのが留守神で、それによるとエビスさまと荒神(こうじん)さまはルス番をする神なのだそうです。

 英語のオクトーバーはエイト(8)の意味。ローマ暦では8月のことでしたが7月にジュライ、8月にオーガストが割りこんできたため2ヶ月ずれて10月になってしまいました。だから、テン(10)の意味のデッセンバーも自動的に12月になってしまっています。

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・共同募金

 10月1日から赤い羽根共同募金がはじまります。民間社会福祉事業の資金をバラバラに募金するわずらわしさをなくすため、一定の機関を作り一括して募金する運動でした。

 共同で募金をはじめたのは1913年、アメリカ、オハイオ州ブランドが最初。赤い羽根を胸につけるようになったのは1928年アメリカ、ニューオリンズとダラスではじまり、1845年には全米に普及されました。

 日本では1921(大正10)年、長崎県社会事業協会が行ったのが最初だといいます。ずっと下って1947(昭和22)年、アメリカの影響をうけて日本でも全国で実施されるようになり、さらに1951年には法律もつくられました。

 しかし一戸当たりの目標額の記入や地区や町内会の組織での募金などは問題が出てきています。また最近では羽根を渡さない募金会、代用に募金記念章と呼ばれるバッジ等を渡す募金会が少しずつ増えています。

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・体育の日(第2月曜日)

 10月の第2月曜日は体育の日で、国民祝日のひとつです。「スポーツに親しみ健康な心身をつちかう」という法定の趣旨に、1966(昭和41)年の「国民の祝日に関する法律」改正で、建国記念日、敬老の日とともに祝日に定められました。

 10月10日をわざわざ選んだのは、1964(昭和39)年のきょう、東京オリンピック大会の開会式が行われたのを記念したからだそうです。

 それ以前にも「スポーツの日」がありました。これは1961年に制定された「スポーツ振興法」により10月の第1土曜日を選定していましたが、この時は休日にはなりませんでした。その後、スポーツ振興国会議員懇談会が中心になり運動を展開、祝日のひとつになったもの。

 しかし2000年からはハッピーマンデー制度の適用とかで、10月10日だった体育の日は10月の第2月曜日に変更しました。

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・目の愛護デー(10日)

 10月10日の「10」「10」を横にならべると目の形になるので目の日だともいわれています。1931(昭和6)年、中央盲人福祉協会というところの提唱で「視力保護デー」としてはじまったもの。

 1952(昭和27)年、戦後はやり出したトラコーマを予防するため厚生省(いまの厚生労働省)が主催して「目の愛護デー」に改称、日本眼科医が参加して目の伝染性疾患の予防に関する知識の普及活動や失明した人に対する福祉活動、その他の行事がおこなわれます。

 目はもともと脳の一部で、頭がい骨で保護されるべきものが露出している唯一のところだといいます。

 また目の関する俗信は多く、魔力は眼力を通じ働きかけるといわれヨーロッパでは蛇は目の視線で魅惑し、バジリスクという伝説の蛇は目でにらみ殺すとか。死人が生きている人に危険をおよぼさないよう目を閉じてやる習慣もあります。日本でも眼力のすぐれた猿田彦は道の神さまになったという伝説などいろいろな話があります。

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・プロ野球日本シリーズ(中旬)

 10月も中旬になるとプロ野球のセ・パ両リーグの優勝球団もきまり、日本シリーズの時節になります。

 日本シリーズは1950(昭和25)年からはじままったもの。第1回日本シリーズは毎日(湯浅禎夫監督・セントラル)対松竹(小西得郎監督・パシフィック)で4対2の結果でした。翌年1951年は巨人(水原茂監督・セ)対南海(山本一人監督・パ)で4対1。1952年は同じ巨人(水原茂監督・セ)対南海(山本一人監督・パ)の4対2、1953年も巨人(水原茂)対南海(山本一人)の4対2、1引き分けの成績でした。

 なお、1950年は、まだ本拠地制度がなかったので、なるべく多くの地域のファンに楽しんでもらおうと、神宮、後楽園、甲子園、西宮、中日、大阪球場という順で1球場で1試合をするという大サービスぶりでした。

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・霜 降(24日ころ)

 10月24日ころは霜降(そうこう)にあたります。これは1年を24で割りそれぞれ季節にふさわしい名前をつけた二十四節気のひとつ。10月9日ころの寒露(かんろ)と11月8日ころの立冬の間に入ります。秋もそろそろおわり「霜が降る」ころ。地上から太陽の軌道をながめた黄経では210度の所を通ります。

 七十二候では第五十二候〜第五十四候にあたります。第五十二候は24日ころから28日ころで「霜始めて降(ふ)る」ころ。

 第五十三候は29日ころから11月2日ころで「小雨ときどき降(ふ)る」ころ、第五十四候は11月3にちころから7日ころで「楓(もみじ)蔦(つた)黄ばむ」ころとそれぞれ名づけています。草木が紅葉し散りはじめ、高い山ではもう雪がつもります。

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・読書週間

 10月27日〜11月9日は読書週間です。その名のとおり読書の普及をはかるための習慣で、1924(大正13)年、図書館の利用PRを目的に「図書館週間」(11月1日〜7日)として発足しました。その後1933年東京書籍組合主催で「図書祭」と名前を変え、1938(昭和13)年から日中戦争などいろいろな社会情勢のため中。

 戦後になり1948(昭和23)年に復活、1949年以降は毎年10月27日から11月9日までの2週間を「読書週間」と改め、読書週間実行委員会が主催して実施。その翌年からは「文化の日」の前後にまたがる2週間になるよう期間を延長。

 さらに1959(昭和34)年に日本書籍出版協会、日本雑誌協会、教科書協会、日本出版取次協会、日本書店商業組合連合会、日本図書館協会、学校図書館協議会が、「読書推進運動協議会」を発足させてからは、読書週間実行委員会に代わりこの協議会によってスローガンや催し事が計画されています。

 毎日おびただしく出版される本の中から、適所を選び出すことが大切だといわれています。いま適書とは、封建時代の指導者が大衆にすすめたいわゆる「良書」のようなものではなく、個性を伸ばすための自分に適した書物をいうのだそうです。

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・秋祭り

 ♪ドンドンヒャララ、ドンヒャララ……村の鎮守(ちんじゅ)さまから流れる笛の音。なつかしい村祭りは次第に少なくなり、いまは秋祭りも観光化した有名なお祭りばかりが残っています。

秋祭りは農作物の収穫と来年の豊作を願うもの。日本は長い間、月の満ち欠けが基準の陰暦(旧暦)を使用していました。1872(明治5)年に太陽暦が採用されると、新暦、旧暦、月遅れと、お祭りをいつおこなうかで大混乱、いまでは秋祭りも9月から11月までバラバラに行われています。

 秋祭りは作物の生育から収穫までを見守ってくれた神さまに感謝し、一緒に食べたり飲んだりしながら接待し山に帰るのを見送りするもの。

 また祭りでおみこしが町内をまわるのは、神さまの力を領内に広げ、悪魔をしりぞけ、来年の豊作を得ようとするのがねらいだとか。しかし、いまお祭りは住民の交流を目的にして団地や新興住宅地などで盛んにおこなわれようになりました。

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・10月 その他の行事

▼おくんち(7〜9日) 長崎市。諏訪神社の秋祭り。豪華なひき物とおどりが見ものです。

▼寒露(かんろ)(8日ころ)
 甘露(10月8日ころ)も二十四節気のひとつ。寒路とは、露が寒冷気にあたり凍る手前のことだそうです。いよいよ秋も深まり野草の葉に宿る露も霜にかわる季節です。

 七十二候では第四十九候〜第五十一候にあたります。第四十九候は新暦の10月9日ころから12日ころにあたり「鴻雁(こうがん)来る」ころ、第五十候は13日ころから17日ころにあたり「菊花(きくのはな)開く」ころ、第五十一候は18日ころから23日ころで「蟋蟀(きりぎりす)戸に在(あ)り」のころとしています。

▼猪(い)の子 もとは旧暦10月10日の行事だが、いまは新暦でも行われています。亥の月(旧暦10月)の亥の日の亥の刻(午後9時〜11時)にモチを食べ、病気にならないよう願う中国の行事が平安時代に日本に伝わったものです。関東から北では十日夜(とうかんや)といい、子どもたちがワラデッポウで地面を打ち、モグラを追うまじないをします。

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▼豆名月(旧暦9月13日) 栗(くり)名月ともいい、マメやクリを供えることからついた名です。十五夜の芋(いも)名月の時と同じように、よその畑のものを盗んでもよいという所もあります。

▼池袋法明寺鬼子母神(きしぼじん)大祭(16日) 東京都豊島区雑司ヶ谷。ススキで作ったミミズクのおもちゃ売りなど、露店がたくさん出てにぎわいます。

▼東照宮秋季渡御(とぎょ)祭(17日) 栃木県日光市。みこしに1000人の武者行列がしたがって歩きます。

▼とんてんとん祭(21〜23日) 佐賀県伊万里市伊万里町。けんかみこしともいい、荒神みこしとだんじり(山車・だし)がトンテントンの太鼓(たいこ)の音ではげしくぶつかし合います。

▼時代祭り(22日)京都市左京区。京都3大祭りの1つ。平安時代から明治までの風俗を行列にしてみせる。

▼菊水祭り(28・29日) 栃木県宇都宮市。

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(10月終わり)

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