第8章 8 月

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▼中 扉

8月(はづき) (この章の目次)
  ・葉月(はづき)
  ・原爆記念日
  ・立秋
  ・お盆
  ・終戦記念日
  ・盆踊り
  ・8月その他の行事

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・葉 月

 旧暦(陰暦)では8月を葉月(はづき)といっていました。それは葉落月、初来(はつき)月、穂張り月の略したものだといわれます。「年浪草」という昔の本に、8月は草本を枯らす秋の気配が生じ、木の葉を落とすので葉落月という。これを略して葉月という、という意味のことが出ています。昔のこよみの8月は、いまのこよみよりずっと遅く、秋の最中です。

 英語ではオーガストといい、初代ローマ皇帝オクタビアヌスの異名アウグスッスからきたものだそうです。ローマの暦での8番目の月・エイトの語源オクトの月オクトーバーは、7月にシーザーにちなんだジュライと8月にオーガストが割りこんできたため、10月になってしまったという。1年を通し、もっとも暑さを感しる月で寝苦しい夜がつづきます。

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・原爆記念日(6日)

 8月6日は広島、8月9日は長崎の原爆記念日です。1045(昭和20)年8月6日、世界で最初の原子爆弾が広島市に落とされました。灼熱の閃光が走り一瞬のうちに街は鉄骨を残すほかはガレキの山となりました。

 爆心地は広島市の中心流れる太田川にかかる相生橋。死者は実に26万人に達ました。この残忍な大量殺戮兵器の禁止は人類共通の念願となり1950年(昭和25年)のストックホルムの署名運動で大反響。署名者の数は5億人にものぼり、核兵器反対運動のもとになっています。

 広島市の爆心地には原爆ドームが建てられ、永久保存にされ、まわりの平和公園には原爆資料館や慰霊碑が建っています。

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・立 秋(6日ころ)

 カレンダーの8月8日ころに立秋と書かれています。暦の上では、この日から秋に入ったということになり、いままで出していた暑中見舞いのはがきは「残暑見舞い」にかわります。しかし秋とは名ばかりで実際には1年中の最高気温があらわれる暑い日がつづきます。

 立秋は二十四節気のひとつで、太陽の黄経(天球の太陽の位置)が135度に達した日をいっています。陰暦では季節とのずれがでてきて、暦からでは時候の移り変わりがわかりません。

 そこで1年を24に分け、それぞれの季節にふさわしい名をつけ農作業などの目やすにしたのが二十四節気。でも中国でつくられたこのやり方は日本の季節感とはだいぶ違い、そのまま暦に結びつけるのは無理なため、日本の気候に合うよう改良されています。

 二十四節気をさらに細かく分けた七十二候では、立秋は第三十七候〜第三十九候にあたります。第三十七候は新暦の8月8日ころから12日ころまでで「涼風至る」ころ、第三十八候は13日ころから17日ころで「寒蝉(ひぐらし)鳴く」ころ、第三十九候は18日から22日ころで「蒙(ふか)き霧まとう」ころなのだそうです。

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・お 盆(月遅れ)

 8月15日を中心に月遅れのお盆がの行事が行われ、13日ころから帰省ラッシュがはじまります。ボンは盂蘭盆(うらぼん)の略したもので梵語(ぼんご・古代インドの文語のサンスクリット)で「はなはだしい苦」の意味。漢字では倒懸(さかさがけ)と訳し、さかさつるしにされるような苦しみを救うのが盂蘭盆会(え)の供養だそうです。

 お盆は、インド農耕社会の祖先をうやまう思想からできたもの。子孫が絶えて供養してくれる者がいない死者の霊は悪所に落ち、倒懸の苦しみを受けるといい、これに食べ物を供え、霊を救おうとするものだとか。

 中国での盆は梁武帝538(大同4)年、同奉寺というお寺で盂蘭盆斎を設けたのが最初といいます。それが日本に伝わり、606年(推古14年・飛鳥時代)7月15日に行われた斎会(さいえ・お坊さんを集め食事をふるまう法会)が盂蘭盆のはじまりだそうです。

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 盆の中心は、もともと昔のこよみの7月15日ですが、太陽暦になってからは新暦旧暦の15日、これに月おくれ、はては9月1日の所までいろいろあったようですが、いまは新暦7月15日か、月遅れが普通になっているようです。

 お盆には、祭壇である盆棚をつくり仏さまを迎えに行きます。この時焚く迎え火は「盆さま、この明かりでございます」などというように祖霊の通る道を明るく照らすものという。しかし迎え火は本来、危険な霊魂を追い払うための荒々しい火祭りの名残だという人もいます。

 こうしてまつられた仏さまは、祭壇にまつられ、豆、イモ、そうめんやうどん、赤飯などを供えられます。お盆が終わると仏さまは、馬に乗り荷物を積んで帰るといわれ、ナスやキュウリ・わらなどで作った牛馬を供えます。

 また盆は、仏さまの供物の入れ物を昔「ボニ」といったことからできた言葉だという説もあります。

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・終戦記念日(15日)

 毎年8月15日は終戦記念日です。1941(昭和16)年12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃し、第2次世界大戦に参加した日本は2回もの原爆投下をうけ、1945(昭和20)年8月15日、天皇がラジオで降伏を宣言し悲惨な戦争は終わりました。

 第2次世界大戦は人類史上空前の大戦争になり、連合国側が51ヶ国、枢軸(すうじく)側9ヶ国(日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキア、タイ)で、世界のほとんどの国を巻き込みました。

 その犠牲者は全世界で2206万人、負傷者までいれると実に5646万人、うち日本の死傷者は646万人4000人、アメリカ108万人、ドイツ950万人というむごたらしさ。こんな戦争は2度と繰り返したくないとの誓いも、戦後60年以上も経る間にいつしか忘れられて行くような気がして恐ろしく感じます。

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・盆踊り

 夕方、あちこちから盆踊りの太鼓が聞こえてくるのも夏の風物詩です。盆おどりは、もともと年1度この世に帰ってくる死者の霊を慰めるためのものだったそうです。

 その起源は平安時代、空也(くうや)上人が創設の踴躍(ゆうやく)念仏で、念仏おどりから室町時代に盆おどりに発展、江戸時代にいまのような形になったという。

 盆おどりには円舞式と行進式があり、円舞式は祭壇であるヤグラを中心におどります。また行進式はいくつもの組が町をねり歩きます。有名な四国の阿波おどりなど。これは先祖の霊をおどりながら送り出すほかに厄(やく)神を村境に追い出す意味もあるとのことです。

 有名な盆おどりには秋田の西馬音内、伊勢のかんこ、長野の木曾おどりがあります。

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・8月 その他の行事

 そのほか8月には次ぎのようなものがあります。
▼八朔(はっさく)(1日) もとは旧暦の8月1日の行事で田の実節供(せっく)といい八朔人形やワラ人形などをつくり祝います。

▼ねぶた祭り(3〜7日) 青森県青森市・弘前市。人形や金魚などを形どった大きなねぶたが錬りあるきます。

▼竿灯(かんとう)まつり(5〜7日) 秋田市。横竹を張った竹ざおにちょうちんをたくさんつり下げた竿灯を持って若者たちが行進します。
▼仙台七夕祭(6〜8日)

▼花笠祭り(6〜8日) 山形市。頭に花笠をつけたおどりの大パレード。

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▼全国高校野球選手権大会(上旬) 大正4(1915)年に行われた全国中等学校優勝野球大会が最初。高校野球は旧制高校としては第一高等学校と第三高等学校の定期戦が名物になっていました。ちなみに、日本で一番早く野球部をつくったのは第一高校学校です。  また、春の選抜高校野球は大正13年(1924年)に全国中等学校選抜野球大会として発足したものです。

▼処暑(しょしょ)(23日ころ) 8月23日ころの処暑も二十四節気のひとつです。太陽の黄経が150度に達します。処暑の処の字には「とめる」とか「とどまる」の意味があり、そこからつけられたのだという人もいます。夏の暑さも一段落、天気も秋の型にかわります。

 七十二候では第四十候〜第四十二候にあたります。第四十候は23日ころから27日ころで「綿の柎(はなしべ)開く」ころ、第四十一候は28日ころから9月1日ころまでで「天地始めて粛む」ころ、第四十二候は9月2日ころから7日ころで「稲みのる」ころとしています。

▼吉田の火祭り(26日) 山梨県富士吉田市。富士登山の無事を感謝する閉山式。
▼かんこおどり(28〜30日) 三重県松阪市。

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(8月終わり)

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