第7章 箱根・富士山周辺・八ヶ岳の山々
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▼中 扉 【箱根・富士山周辺・八ヶ岳】 このページの目次 -145- |
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■箱根明星ヶ岳・道了尊の伝説 明星ヶ岳(924m)は箱根火山の古期外輪山の峰のひとつです。 −146− ―――――――――――――――――――――――― こうして小田原にやってきた道了は、不思議な能力を発揮して、
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■富士山・火口の虎岩 山梨県と静岡県の境にあるものの、富士山は八合目から上はどの −148− ―――――――――――――――――――――――― 当時は中央火口に溶岩が燃えていたことは想像できるし、現在お
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■富士山五合目の聖徳太子と黒駒の碑
「フジヤマ」は外人さんでもおなじみの山。まして日本人なら一
生に一度は登りたいと願うのも無理からぬこと。多い年は一シーズ
ンに100万人もの登山者があるそうです。
しかしその登山者は新五合目から頂上への往復で、五合目佐藤小
屋を経由するのは冬に雪上訓練などに登るごく限られた人。その佐
藤小屋上の経ヶ岳には八角堂があり、わきに聖徳太子と黒駒の石碑
がならんでいます。
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そもそも富士山への登頂は木花咲耶姫命(このはなさくやひめの
みこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、聖徳太子、役ノ小角
(えんのおづぬ)の順だと伝承されています。なかでも聖徳太子は、
「聖徳太子絵伝」を要約すると、推古天皇六(五九八)年「二十七
歳の御時(富士山五合目の石碑には御年二十五となっている)、甲
斐駒いで来る。調使丸舎人、異国御舎人として九月にこれに乗り給
う。天皇に暇を申して、三日三夜に、日本国を廻り見給う……調使
丸を轡に之を付け、虚空を飛びて富士山に到り給う。浅間大菩薩、
本地観音。富士山頂にも地獄池有り。中に太子入給う」また「さて、
太子、黒駒に召して、日本国を三日三夜に廻りご覧せられるに、大
峰の前鬼も召し出されて、山内の有様ども御尋ねありけり。富士山
計こそ、馬の足には触りけれ。其外は、虚空をそ、黒駒、雲に乗り
て飛行しけり」とも書いてあります。
「聖徳太子伝暦」や「扶桑略記」、にも同様のことが書かれてお
り、同じころの「本朝神仙伝」には日本武尊に次いで2番目の仙人
と書かれています。
八角堂わきの聖徳太子と黒駒の碑はその伝記にちなんだもので献
花が絶えません。ちなみに八合目の太子館は聖徳太子にちなんだ山
小屋名。小屋のなかには祭壇があり、神鏡の奥に聖徳太子像がまつ
られています。また伝説にもとづいて描かれた「太子冨登嶽之図」
(東京国立博物館蔵)の模写絵とともにその説明文も掛けられてい
ます。
・山梨県富士吉田市、富士急河口湖駅からバス、五合目 2万5千分の
1地形図「富士山」−151−
第7章
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■富士山周辺石割山・天の岩戸伝説
石割山は山中湖の北岸に位置し、登山口の平野集落からも1時間
半で山頂に達するため、湖面に映る雄大な富士山を前に、家族連れ
でにぎわいます。「山中湖村のの歴史と伝説」には「霊山として知
られ、特に蜃気楼の出現する山として日本山岳史に記されている」
とあります。
三角点のある小広い山頂で、昼飯をとっていると太陽に暖められ
た土からいっせいに湯気があがりはじめました。この湯気が激しい
ときには、あるいは蜃気楼が現れるのかもしれません。
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石割山は山頂下の割石が山名のもとといい、その前に石割神社が
祭られています。割石は、縦10m、幅15mの巨岩が「石」とい
う字に似て割れ目が入り、そのうしろは幅50センチほどのすき間
を作って見事に立ち割れ、まるで岩の戸が2枚並んで立っているか
のようです。
神話の天の岩戸伝説は戸隠山が有名ですが、ここにもそのいい伝
えがあり、ふもとの平野地区には「天の岩戸」はここのことだと信
じるほとが多いとか。
この「天戸開き」の割れ目を通り、2度拝むと幸運が開け、した
たり落ちるしずくは皮膚病、眼病、イボに効き、飲むと無病息災、
長寿を保つとの効能書きがあります。
石割神社の縁起では、「創立往古詳ならず。住吉神の使いの白鳩
の導きにより、石割山創始さる。霊験あらたかな権現様として、平
野郷人の信仰心を集める」とあります。
祭る神は、天の岩戸開きで活躍した手力男命(たぢからおのみこ
と)、神話で「国譲り」に反対した大国主命の子建御名方神(たけ
みなかたのかみ)と戦い、力比べでも勝って相手を承服させた建御
雷之男神(たけみかづちのおのかみ)力自慢の神々のほか数社。
以前には石割権現といっていたからには、神仏混合、天狗伝承は
ないかと調べると、やはりある。山頂の東方にある大天狗小天狗と
呼ばれる石峰。神社下の乗鞍石手前からまっすぐの所に望めます。
昔はこの乗鞍石から先は、馬から下りなければならず、また、か
つては女人禁制で女性に反はここまでだったという。そのため、こ
の石を下馬石とか、女八遥拝石とも呼ばれていたという。
・山梨県都留市と山中湖村、忍野村との境 富士急行富士吉田駅か
らバス、平野から歩いて1時間30分】2万5千分の1地形図「御
正体山」−153−
第7章
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■三ツ峠山登山道のだるま石 岩ヤさんが集まる三ツ峠の岩場。三ツ峠とは三つのトッケ(突起 −154− ―――――――――――――――――――――――― また「法華経」、「仁王護国般若経」、「金光明最勝王経」などの護
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■八ヶ岳の赤岳神社 赤岳(2899m)は八ヶ岳連峰の盟主で、山頂は南北に分かれ −156− ―――――――――――――――――――――――― 赤岳も信仰登山が盛んだったころは、白装束に身を固め、「六根
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■八ヶ岳・阿弥陀岳の石仏 八ヶ岳・赤岳の西にある阿弥陀岳(2805m)は独立峰。その間
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■八ヶ岳・権現岳の槍 多くの山の頂上に祠と一緒に剣や槍の穂先が建てられています。 −160− ―――――――――――――――――――――――― 明治10年代、内務省が地図を作成するとき、お上風を吹かし地
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■北八つ・蓼科山頂の祠
北八ヶ岳の最北に陣取る蓼科山(2530m)は、険しい南八ヶ
岳と対照的に女性的で、優しい落ちつける山です。その形から諏訪
富士とも呼ばれ、諏訪、佐久両方面からも特徴をつかめ、昔から交
通の道しるべになってきました。天文21(1548)年、武田勢
が信濃攻略のためにつくった道路・棒道も南西麓の峠を通っている
そうです。信玄も蓼科山を侵攻方向の目印にしたに違いありません。
蓼科山の山頂には蓼科神社の奥社の祠が祀られています。里宮は
北佐久郡立科町芦田にあり、祭神は高産巣日神(たかみむすびのか
み)。ムスとは「苔ムス」のムスと同じで生成を意味し、ビは火や
日のことで宇宙の生成力を神格化した神だという。 しかし、18
75(明治8)年にいまの蓼科神社と改名する前は、高井大明神と
いう民衆に密着した地主神であったそうです。この神は8人の子供
があるところから八子王(八塩)権現とも飯盛神とも呼ばれていま
した。
高井とは、高いところの井戸ということ。蓼科山に降った雨はい
ったん地にもぐり、ふもとの各所に泉としてわき出し、里をうるお
します。村人はこの恵みの水を与えてくれる山をあがめ、神格化し
て高井大明神と呼んでいました。
蓼科山はかつては「立科山」と書かれ、ふもとの各地からの見え
る形により、おそなえ山、飯盛山などとも呼ばれていたそうです。−162−
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蓼科山にはこんな伝説があります。昔、山頂に大きな底も知れな
いような深い穴がありました。ある時、甲賀三郎が兄とその穴を見
に行ったという。兄は三郎に「おめえ、この綱につかまって中を見
てこう」。三郎が中にはいると兄は綱を切って三郎を落としてしま
いました。弟の嫁が欲しかったからの仕業だったそうです。
三郎がどんどん奥へ入っていくと、明かりが見えてきました。上
に登ってみるとそこは浅間山でした。麓の村に降りると、三郎を見
た子供たちが逃げていきます。三郎の姿が竜になっていたのでした。
三郎はいま諏訪湖に棲んでいるという(「日本伝説大系」)。
・長野県立科町と茅野市との境 JR中央線間茅野駅からバス、新
湯入口から歩いて4時間30分で蓼科山(2530m) 2万5千
分の1地形図「蓼科山」
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第7章
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■箱根・富士山周辺・八ヶ岳の山 参考文献・ご協力
「富士山記」都良香(「群書類従」巻135・文筆部 所収)
「山中湖村の歴史と伝説」山中湖村教育委員会
「三ツ峠冊子」西桂町教育委員会
「甲斐国志」松平定能(まさ)編集。1814(文化11年)
「大日本地誌大系」(雄山閣出版)所収
「日本伝説大系」(全15巻別巻2)みずうみ書房
「聖徳太子絵伝詞書」(「日本架空伝承人名事典」平凡社 所収)
「角川日本地名大辞典・長野」角川書店
「大日本歴史地名大系・長野」平凡社
「信州山岳百科・2」信濃毎日新聞社
▼ご協力
山梨県山中湖教育委員会
山梨県西桂町教育委員会−164−
(第7章 終わり)
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