CD-R「ふるさと歳時記」 7月

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 ▼この章のもくじ
 ・文月(ふみつき) ・山開き ・富士講 ・富士詣で
 ・天王さま ・半夏生 ・小暑 ・七夕 ・七夕送り
 ・ねぶた流し ・中元 ・大暑 ・土用丑の日

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▼文月(ふみつき)

7月の異名・文月(ふみつき・ふづき)は本来は旧暦の7月のこ
とですが、いまの暦でも使っています。もともと、睦月、如月、弥
生など1月から12月までの異名は、「稲禾成熟の次第を追って名
づけたもの」という説もあります。

7月のふみつき(文月)は、イネの穂がふくらむころなので、穂
の「含み月」(『大言海』大槻文彦著・1932年〜37年刊の国語辞書)
または「穂含月(ほふくみつき)」(『語意考』賀茂真淵)といって
いたものが転化して「ふみつき」になったものだそうです。

農業技術が進歩したいまでも日本では、事情が少し違うかも分か
りませんが、稲作は基幹産業、昔から月の異名にまで取り入れら
れていたのですね。

文月の語源についてそのほか、「たなばた」に牽牛、織女に詩歌
を献じたり、またこの月は、文書を通わせて消息を知らせあうので、
「文扱い月」、書物を夜気にさらすため「文ひろげ月」といってい
たものがなまったとの『下学集』や『古今要覧集』(平田篤胤)の
説もあります。

また珍しいところでは、この月はみんなが親の墓まいりに行くか
ら「親月(ふづき)」だという説もあります。そういえば、7月の
異称に親月(しんづき)というのがあります。

そのほか7月の異名には、健申月(けんしげつ)、相月、蘭月、
七夜月、女郎花月、涼月、冷月、文披月(ふみひろげづき)な
どがあります。

いま農家は稲田の追肥除草に、寒地では冷害対策、陸稲の追
肥、潅漑。夏ソバの収穫、秋ソバの種まきなどの忙しい日が続
きます。

ついでながら英語のジュライは、7月はエジプトの太陽暦をもと
にユリウス暦をつくらせたジュリアス・シーザーの生まれた月なの
で、その名をとってつけられたのだそうです。

ローマ暦での7番目の月の意味セプトは、セブンの語源で、いま
のセプテンバーで9月。

しかし、7月のジュライと、8月のローマ初代皇帝オクタビアヌスの
異名・アウグスツスからとったオーガストが間に入ってしまったの
で、結局、セプテンバーは9月にずれてしまったということです。(01)

 

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▼山開き

 中高年の登山・山歩きがブームだといわれて久しい。普通レクリ
エーションとして登っている山も、昔は山仕事や山頂の神への礼拝
のためのもの。

 まして信仰の山ともなれば、昔は山岳修験者が入峰修行をする所
で、普通の人は登ってはならない神聖や場所。禁を犯せば、生きた
まま石にされ、また天狗に襲撃されるなどともいわれました。

 江戸時代中期になり、各地で山岳信仰の講が出来るに従い、山頂
の神を拝するため講中登山が盛んになります。そのため、夏のきま
った期間だけ登拝が許されるようになりました。この登拝解禁の日
が山開きで、信徒たちは山開きを祝い、祭りをします。
(02)

 

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▼富士講

 7月1日は富士山の山開きです。今でこそ老若男女、子供までが
懐中電灯をつけて夜通し登っていますが、昔は富士講講中として、
先達に導かれ登拝した信仰登山。

 富士講の開祖は長谷川角行(かくぎょう)。江戸時代初期、今ま
で行われていた関東・東海の農民中心の登拝に教養を整え講を組織
します。江戸中期になり、“身禄派”と“光清派”に分裂、身禄派
の優勢のもと江戸八百八講といわれるほどの繁盛ぶりだったとか。

 その教養は「日月星の本体である仙元(せんげん)大菩薩(浅間
様)を信仰し、呪術・祈とうを行って日ごろの道徳を説く」もの。

 江戸後期の最盛期(1841年・天保12年)には400あまりの講にふ
くれあがり、あわてた幕府が弾圧をくり返すほどであったそうです。
(03)

 

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▼富士詣で

 日本人ならだれでも一度は登る……といわれる富士登山。昔は富
士講の講中として先達(せんだつ)に導かれて登拝した信仰行事で
あったことはよく聞くところです。富士道者、富士行者といい、そ
の服装も白衣を着て、鈴、金剛杖を持ち、精進を保ったものだった
という。今でも登山中、白衣の人を見かけます。

 富士開山は修験道の元祖・役の行者(えんのぎょうじゃ)−役小
角(えんのおづぬ)といわれていますが、これは伝説の世界。長谷
川角行(1541〜1646?)が富士講をつくってから登山はますます盛
んに。女性や子供、老人など登れない人のために模擬登山も行うよ
うになったのです。

 ちなみに富士山に登ったといわれる人たちは木花咲耶姫、中国秦
の徐福、日本武尊、聖徳太子、役の行者の順だそうです。
(04)

 

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▼天王さま

 今ごろ行われる農村の行事に「天王(てんのう)さま」というお
祭りがあります。天王さまとは牛頭天王(ごずてんのう)のことで、
天王信仰にもとづくもので天王祭とも呼ぶそうです。

 牛頭天王は、インドでは武塔太子(むとうたいし)といい、祇園
精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神であったといいます。

 「備後風土記」という古書に、「……昔、北の海に座しし武塔の
神、南の海の神の女子をよばひに出まししに、日暮れぬ。彼の所に
将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚く貧窮しく、弟の将来は富饒み
て、屋倉一百ありき。爰(ここ)に、武塔の神、宿所を借りたまふ
に、惜しみて貸さず、兄の蘇民将来、貸し奉りき。即ち、粟柄を以
ちて座となし、粟飯等を以ちて饗へ奉りき。……」

 ……早い話が、武塔(むとう)の神が后を求めて旅の途中、宿を
頼んだところ、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)はことわ
りましたが、貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は歓待して
泊めてくれたのでした。

 そこで武塔の神は、蘇民将来に茅の輪(ちのわ・カヤで作った小
さな輪)の護符を腰につけるように教えました。

 やがて村々に疫病がはやりだし、村人は次々に倒れていきました
が、蘇民将来の一族はその疫病から免れたと伝えられています。

 いまでも、神社などでは夏越しの祭りに大きな茅の輪が立てられ、
病気除けにそのなかをくぐるのはそこから来ているのだそうです。
こんなことから天王さまは、疫病よけの神になっていきます。

 そして旧暦の6月、稲の生長に大切な時期、病害虫に襲われない
ように、また伝染病のはやりやすいこのころに祭礼を行います。農
村の祭りのほか、祇園祭、天王祭り、津島祭り、川裾祭りなどはみ
なこの祭りで、山車(だし)や屋台を繰り出し、華やかな夏祭りに
発展しています。

 牛頭天王は、インドのある国の王子だったという。この神は大変
な荒神(あらがみ)というところから、スサオノミコトとも習合し
ています。

 長野県などでは「天王おろし」といい、旧暦6月1日に少年たち
がお天王さまを迎えます。この日は朝のうちは野菜を食べない「青
物断ち」をし、また畑に入ってはいけないという村もあります。1
4日を天王上げといって、初なりのキュウリを供えて川に流す風習
もあるといいます。
(05)

 

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▼半夏生

 毎年、カレンダーの7月2日前後のところに半夏生(はんげしょ
う)と書いてあります。半夏生は季節をわかりやすく解説した雑節
の1つで、ハンゲショウという毒草が白い葉をつけるころだからそ
うです。

 半夏生は、二十四節気(旧暦の上で季節と暦日をあわせるために
作られた節目)をさらに3つずつに分けて、それぞれの季節にふさ
わしい名前をつけた「七十二候」というもののひとつでもあります。
これは夏至から11日目で、毎年7月2、3日ごろです。

かつては半夏生の日が晴れか雨かでその年の作物の豊作を占った
ものだそうです。また半夏生の日には、天から毒気が降ってくるい
い、降った毒気が地面に浸みるため、生える草木に毒が含まれるの
で、ワラビやタケノコなどの野草は食べてはいけない、竹林に入っ
てはいけない、種をまいてはいけないなどの風習があったというこ
とです。

一方、「半夏半作(はんげはんさく)」ということばもあり、この
日は田植えの終わりの日だとされ、半夏生の日を過ぎても田植えを
しているようでは収穫はおぼつかないとどんな天候が不順な年でも
この日を過ぎれば田植えをしない習慣もあったという。

かつて農家の人たちは、ハンゲショウの白い葉があらわれる前に
田植えをすませなければならないため、仕事に精を出したそうです。

 半夏生は、関東地方では畑作の祝日だとして、新しく穫れた小麦
で焼きもちを作り、神さまに供える風習もあったそうです。

 また関西では「ハンゲダコ」といい、タコを食べる習慣があった
そうです。

 ちなみにハンゲショウという草はドクダミ科ハンゲショウ属の多
年草で、カタシログサ(片白草)の名もあります。白くなった葉が
まるで半分化粧したようなので「半化粧」の意味だともいわれます。

 一方、同じ半夏(ハンゲ)の異名を持つものにサトイモ科のハン
ゲ属の多年草のカラスビシャクがあります。球茎を半夏(ハンゲ)
といい薬用にするもので、やはり半夏生のころ、へびの頭に似た仏
炎苞の花を咲かせ、その姿が異様で、すぐ目につくため、農作業の
目安にされてきました。半夏生のハンゲはこのカラスビシャクだと
する本もあるそうです。
(06)

 

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▼ 小 暑

 毎年カレンダーの7月7日ころのところに「小暑」と書かれてい
ます。小暑(しょうしょ)とは、二十四節気の一つで、太陽の黄経
(天球上の一点から黄道におろした大円の足と着分点との角距離)
が、105度の時をいうのだそうです。

 小暑の前後に梅雨が明け、夏の太陽が照りつけて、本格的な暑さ
になるとされますが、天候不順なのか、なかなか梅雨があけてくれ
ない年が多い。

 二十四節気とは、1年を24で割り、それぞれにその季節にふさわ
しい名をつけたもの。陰暦では、季節と暦の日付けがずれるため、
中国で考えだされました、日本に伝播、江戸時代にさらに修正され
たそうです。大暑来れる前なればなりと「暦便覧」で解説していま
す。
(07)

 

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▼(8)七夕

 七夕と書いて「たなばた」。かつて日本には棚機つ女(たなばた
つめ)の信仰があったという。棚機つ女(乙棚機とも)は、タナ(懸
け造り)に設けられた機を依代として降臨する神に侍す聖なる乙女
だといいます。

 棚機つ女は、人里離れた水辺の機屋にこもり、神を迎え祭祀して
一夜を過ごす。翌日、神が帰るのを送るに際し、村人は水浴でみそ
ぎをしたり身のけがれを神に託して持ち帰ってもらう行事だったと
いう。

 一方中国では、古くから牽牛星を農事を知る基準に、また織女星
を養蚕、糸・針仕事をつかさどる星とする信仰があったという。こ
の二つの星が天の川を隔てて対峙していることは知られていたとい
う。

 後漢時代になると二つの星がはじめて恋人とする伝説が生まれま
す。後漢末には二星が七月七日の夜デートするとされ、供えものを
して裁縫が上達するよう祈る習慣が行われたという。

 これが乞巧奠でやがて飛鳥時代に日本に移入され平安時代宮廷や
貴族の間で、行われきたが時代が下るにしたがい、民間の七夕行事
に近いものになり、江戸時代には笹竹を立てるようにもなりました。

 こうして七夕は日本古来の「棚機つ女」行事と中国の乞巧奠が習
合していきました。しかしこの夜わずかでも雨が降れば牽牛と織女
は会うことが出来ないという中国流に対して、農村で行う七夕は「こ
の夜三粒でも必ず雨が降るものだとか、短冊が流れるほど降るのが
よい」とされ、もし降らないと七夕さまが天の川を渡り、疫病神を
産んでしまうといい、日本古来の棚機つ女行事が残っています。

 また七夕は五節句(五節供)のひとつでもあります。五節句(五
節供)とは、人日(じんじつ・正月7日)・上巳(じょうし・3月
3日)・端午(たんご・5月5日)・七夕(しちせき・7月7日)・
重陽(ちょうよう・9月9日)のひとつ。昔から「節句働き」とい
う言葉があり、節句の日には農作業などの仕事を休む習慣がありま
す。
(08)

 

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▼七夕送り

 七夕で、まつった飾り竹や舟などを川や海に流す行事を七夕送り
とか、七夕流しというそうです。もともとの七夕祭りは、夕方迎え
た神に、罰や汚れを神に託して翌朝持ち帰ってもらう行事。七夕を
送ることがすなわち祓(はら)えを行うことであったという。

 これははじめ民間で行われた行事だったそうです。それが室町時
代、将軍家に取り入れられたのだといいます。将軍は7枚のカジノ
キの葉に歌を書いて、そうめんなどと一緒に屋根に投げたりしたと
いうことですから驚きます。

 七夕送りにはみそぎによる祓えとして、女性が水遊びをして髪を
洗い、飼い牛を泳がせたり子どもに水浴びをさせ、井戸をさらって
清めたりしたもそうです。

 江戸時代、徳川家でも笹竹を立てて七夕を祭り、翌朝に汚れをこ
の笹竹に託し、品川の海に持って行って捨てたということです。
(09)

 

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▼ねぶた流し

 たなばた祭りに使った飾り竹や、たなばた舟に、罪や汚れを託
して川に流し、神に持ち去ってもらおうとする「なたばた送り」とい
う行事があります。

 その一方、この時期は暑さときびしい農作業で、耐えがたい眠気
に襲われるころ、この体にすみついた睡魔をたなばた送りのように、
神に託して送り流しそうとする行事もあります。

 「ねぶた流し」とか「眠り流し」とかいわれる行事で、これはたなば
た送りの一環としておこなわれる行事だといい、旧暦でおこなうとこ
ろもあるそうです。

 「眠たい」という言葉がなまってネムタ、ネブタ、ネブト、ネブ
リ、ネブチなどともいっています。それを流す意味で「ネムタ流し」
(栃木県宇都宮市)、「ネボケ流し」(埼玉県)、「ネブタ流し」(東北
・関東)、「ネブト流し」(栃木県)、ネブチ流し(愛知県)、オネン
ブリ(長野県)、ネブリ流し(秋田県)などと地方地方で呼んでい
るそうです。

 ねぶた流し(眠り流し)の行事には水浴がつき物だったという。
昔は子供たちが村のなかを流れる川に入って水垢離(ごり)をしま
した。その時、唱えごとも行われ、福島県では小川のなかで「眠っ
たは流れろ、豆っ葉は止まれ」、また能代でもかつては一晩中「ネ
フネフ流れ、豆の葉にとまれ」と、はやしまわったという。

 群馬県では水浴びのかわりに、ネムの葉で目をこすりながら「ネ
ブタ流し何流し、豆の葉流してまめになれ、まなこの性のよいよう
に」と唱えて顔を洗い、葉を川に流したという。ネムノキという名
前からか、同じような風習が西日本にもあるといいます。

 青森県の津軽の「佞武多・ねぶた」も有名な行事。方言では「ネ
ンプタ」といっていますがやはり「眠むた」の意味という。富山県
滑川市付近のねぶた流しは、7月31日に行われ、「夏越しの祓え」
の行事に眠気を流す行事が結びついたものという。

 この眠り流しの行事が次第に盛大になり、青森県弘前、青森のネ
ブタ祭り、秋田の竿灯、能代の七夕灯篭などのように有名な祭りに
発展していったのだそうです。
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▼ 中 元

 7月のいまごろ、お中元の大売り出しの真っ盛りです。中元というか
らには、上元、下元があっても不思議はありません。中国の道教に
三元信仰というのがあって、旧暦1月15日を上元、同7月15日を中
元、10月15日を下元といっていたそうです。

 元は元旦のように「始め」の意味で、上、中、下と1年を三つに
分ける考え方があったらしい。(民俗学の柳田国男は、もとは旧暦
での春夏秋冬四等分だったが三の字を珍重するあまり夏を抜かした
のではないかと指摘しています)。

 この日は天の神(太乙・たいいつ)の生まれた日だそうで、上元
は天官が、中元は地官が、下元は水官の誕生日。天官は福を与える
神、地官は善悪を判別し罪を許す神、水官は水や火の災いを防ぐ神
で、それぞれの日に庭で終日火をたく祭りがあったという。

 このうち、中元の祭りが仏教のうらぼんえ盂蘭盆会と結びつき祖
先崇拝行事になり、いつのころか日本に移入。

 日本ではこの日に祖霊を祭り、仏前に供物を供え、生きている両
親に白米や果物、麺類などを贈る「生きみたま身魂」(生き盆)の
行事に発展しました。この風習は、室町時代から行われた記録があ
るようですが、江戸時代とくに盛んだったといいます。

 これが明治時代以降、交際範囲が広がるに従い、生き身魂を贈る
のでは、あまり内輪すぎるのか、たくましい商魂に乗せられたか、
いまでは中元といえば上司や得意先、先輩などへの贈答をさすよう
になりました。江戸時代の年中行事の本や明治に出された、江戸の
なごりの生活記録にも見られないということです。
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▼大暑

 冬にはオオサムコサムがあったと思ったら夏にはこんどオオア
ツ、コアツです。もちろんこれは大寒(だいかん)、小寒(しょう
かん)、大暑(たいしょ)、小暑(しょうしょ)のこと。

 毎年7月23日ころが大暑。文字通り、一年中でいちばん暑いころ
という意味です。大暑は地球から見た太陽の黄経が120度に達した
時から、8月8日の立秋までをいうそうです。

 これは1年を24に分け、それぞれにその季節にふさわしい名前を
つけた二十四節気の一つです。

 これらをまた3つずつに分けたものを「七十二候」と呼び、大暑
の三候は各々「桐の花が咲き出すころ」「土がじっとりとしてむし
暑い季節」「時には大雨が降る季節」と解説されています。
 ますます暑くなり、酷暑の季節ですね。
(12)

 

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▼土用丑の日

 土用は雑節の一つで四季の立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を
いいますが、いまはふつう立秋の前の土用を指しています。

 夏の土用中の丑(うし)の日はウナギや脂肪に富んだものを食べ
ると夏まけしないといわれ「ウナギの日」とも呼びます。これは江
戸時代の学者平賀源内が、ウナギ屋から看板をたのまれ、「今日は
丑」と書いたのが大評判になったのが始まりだそうです。

 一説には狂歌でおなじみの蜀山人(しょくさんじん・太田南畝)
がウナギはクスリになるといいだしたのがもとだともいわれていま
す。

 また土用には「う」のつくもの、ウリ、うどん、梅づけ、牛など
を食べる所や土用もちを作る地方もあるそうです。

 静岡県ではなぜか、この日の朝早く人に見られないようにアジサ
イの花をつみ、天井に赤い糸でつるす風習があるそうです。

 土用丑の日には、水浴びをすると病気をしないという所も多く、
香川県ではイチジク、モモ、ドクダミ、ゲンノショウコなどの薬草
をフロに入れたり、兵庫県では海水浴をして痔にならないようにま
じないをするとか。

 各地の温泉では丑湯といい入湯客で賑わうそうです。このような
習慣は新しい季節を前にして行う「みそぎ」が元になって始まった
のではないかともいわれています。

 土用の入りから3、4、5日目をそれぞれ土用三郎、四郎、五郎
とよんで仕事を休んだり、ごちそうを食べたり、天気で豊作を占っ
たりする地方もあるそうです。
(13)

 

(7月終わり)

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