CD-R「ふるさと歳時記」 【6月】

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 ▼この章のもくじ
 ・水無月(みなづき) ・代かき ・田植え祭り ・早乙女
 ・芒種 ・入梅 ・夏至 ・サナブリ ・アマガエル
 ・新箸 ・夏越しの祓え ・茅の輪 ・虫送り

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▼水無月(みなづき)

 水無月(みなづき)は旧暦6月のことですが、いまの暦でも通用
しています。毎日がうっとうしい梅雨のころなのに水がないとはち
ょっと変ですが、これはもともと旧暦の6月(いまの7月下旬にあ
たる)のことなのだそうです。水がめのダムがどうのこうのといい
はじめる時期です。

 しかし、一説には、この月は水がないとかあるとかの意味ではな
く、本来は「水に関係のある月・水の月」の意味に解釈するのが本
当だろうともいいます。このころ(旧暦)は田植えもすんで、田ご
とに水を張る「水張り月」のことだというのです。(「和訓栞」・谷
川士清)

 1年12ヶ月の異名はみな、農作業に関係があるとする「大言海」
大槻文彦著(1932年〜37年刊の国語辞書)では「田水之月・たみの
つき」から転じたものといい、別の辞書でも「水の月」のことで水
を田に注ぎ入れる月の意味としています。

 田植えなどが無事終わって、大きな農作業をみなし尽くした、と
いう意味から「皆仕尽月・みなしつき」の略だとの説もあります。

 また、このころは雷が多いことから「かみなりづき」の「か・り」
を略したものとの説もあります。(「語意考」(賀茂真淵))。

 このように日本では古来から稲作は切っても切れない大切な産業
として暦のなかに取り入れられてきたのでした。(01)

 

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▼代かき

 水田に水を入れ、ロータリーティラー、カゴ型ローターなどで代
かきをします。プラウで耕起、ハロウで砕土、またロータリーハロ
ウを使用すれば耕起、砕土を一工程で行っています。

 いまのように機械化される前は、もっぱら人力や畜力が頼りです。
荒おこしをしたあと土塊を粗砕し、水田に引水したあと、数日おき
に数回くし型馬鍬(まぐわ)やレーキーで粗砕した土塊をさらに細
かく砕いて代かきをしました。代かき田舟などという木製の綱をつ
けて引いたり、取っ手を押す小型の舟もありました。

 代かきは2、3回行われ、一回めを「荒代(あらしろ)」、二回め
を「中代(なかしろ)」、三回めを「植え代」と呼びました。土塊を
砕き、耕土を均一にすることが主な目的で、場合によっては散布し
た肥料を耕土と混ぜるために行います。

 さらに表面の土をやわらかくし、平にして田植えがしやすく、移
植した苗を活着しやすいようにします。代かきには水田の漏水を抑
える効果もあるそうです。

 蓄力用の馬鍬は代かき馬鍬とも呼ばれ、砕土効果はあまり大きく
ないが、均等に平にする効果が大きいのでかつては活躍しました。

 昭和30年代に入り、耕耘機やティラーが普及。ティラーの車軸に
ローターを取りつけ、動力で回転させ、前進と砕土を兼ねたいろい
ろなローターが開発されました。その後はトラクターの導入で、一
気に近代化されています。

 北アルプスの有名な白馬岳(しろうまだけ)。本当は代(かき)
馬岳で、代かきのころ、山頂付近と、となりの小蓮華山に黒い馬の
雪解け形(雪形)があらわれます。ふもとの農家は、この雪形の出
方をめやすに荒代かきを始めたということです。

 雪形を苗代づくりの目安にする地方は各地にあり、富士山の鳥の
雪形、北ア・小蓮華山や爺ヶ岳などの種まき爺さん、鹿島槍ヶ岳の
鶴と獅子、八方尾根のソバまき一家。中ア・木曽駒ヶ岳の駒形、宝
剣岳近くの島田娘、南駒ケ岳の五人坊主、南ア・農鳥岳の農鳥と農
牛。宮城県栗駒山の駒形、新潟県杁差岳のエブリ(農具)などがあ
ります。なお、雪形には雪が白く残るものと、雪が解けて岩肌が黒
く出るものがあります。(02)

 

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▼田植え祭り

 早乙女(さおとめ)や早苗(さなえ)、サオリ(田植えはじめの
行事)やサノボリ(田植えが終わったあとや稲の収穫後の行事)な
ど、稲作には「サ」のつく言葉が多くあります。サとは稲の神のこ
とだといいます。

 皐月(さつき・稲を植える月)や五月雨(さみだれ・稲の月に降
る雨)、なかには桜(稲の神が坐す木)もそのひとつだという説も
あります。稲には稲魂(いなだま)が宿るといわれ、稲作は昔から
「神ごと」でありました。

 当然、それには祭り(神事)が伴います。そもそも田植え祭り(田
植え神事)には、正月などに田植えのまねごとをして豊作を予祝す
る「田遊び」と、氏神の神田で笛やたいこではやしたて、本当に田
植えをするものがあります。

 豊穣予祝の「田遊び」のなかには1年中の農作業をまねて祝うも
のがあり、なかには祭り用の農具で田打ち、種まき、刈り入れから
収納まで、歌と身ぶりで田植え踊りを踊りながら耕作を祝福するも
のもあります。

本当に田植えをする「田植え祭り」が行われるのはやはり、各地
の気候の違いによって違いがあるようです。

 農作業のなかでも、とくに苗を本田に移植する「田植え」は重大
事。田植え祭りとして、神社や村々、各家々でいろいろな神事や行
事が行われます。なかには観光化して残っているところもあります。

神社の神事には、氏子である自分たちの祭料をまかなう神田のお
田植えもそのひとつ。広島県千代田町の「花田植え」は、有名です。
昔は神田の田植えがすむまでは各農家は田植えをしないことが多か
ったといいますが、いまでは田植えのまねごとをするお祭りになっ
たものが多いという。

  神社や村々の祭りではなく、家々での行事もあります。田んぼ
の真ん中や、あぜにクリやホオノキの枝を立てて苗を3把植えるま
ねをする水口祭り、臼に赤飯を供え庭に枯れた去年のススキの穂を
苗がわりに立て、稲の神を迎えるサオリなどの行事があります。(03)

 

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▼早乙女

 田植えの始まるころ、田の神が山から降りて来る日の祭りをサオ
リといいます。そして田植えが終わり、神が山に昇るのをサノボリ
といいます。

 サオリ、サノボリの「サ」は神のこと。早苗(さなえ)、早乙女
(さおとめ)も同じことで神の苗であり、神に奉仕する聖なる乙女
なのです。日本人にとって大事なイネ。それを植える田植えはそれ
ほど神聖な行事だったわけです。

 早乙女はソウトメ、サツキ女、ハナムスメ、ショトメなどと呼び、
「花田植」や「大田植」の行事、また、神田の田植え神事の主役で
す。稲作のかなめである田植えは、短期間に大量の労働力が必要な
ため、大昔から女性の働き手が主力だったわけです。(04)

 

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▼ 芒 種

 カレンダーの6月6日のところに「芒種(ぼうしゅ)」と書かれ
ています。芒種(6月6日から20日)は1年のそれぞれ季節に名
前をつけた「二十四節気(せっき)」のひとつです。

 このころは五月雨(旧暦での)がふりつづき、農作業の真っ最中。
農家はことのほか忙しい季節です。カマキリやホタルがあらわれは
じめ、梅の実も黄ばめはじめるころだとしています。

 江戸時代につくられた『暦便覧』という本では「芒(のぎ)ある
穀類、稼種する時なればなり」と説明しています。つまり、芒(の
ぎ)のある作物・稲や麦など(この場合稲のこと)のタネをまく時
期だとしています。

 昔のこよみの「太陰暦(たいいんれき)」の1年は、大の月が30
日、小の月は29日で、それぞれ6ヶ月。計354日。いまのこよみ「太
陽暦」より約11日も短くなっていました。

 そのためこよみの日付けと季節がずれてしまうことがよくありま
した。それを調節するため、「閏月(うるうづき)」という、なんと
1年13ヶ月の年をつくったりしましたがやはり不便です。

 そこで「二十四節気」を設けて季節に合わせ、農作業をはじめる
目安にしました。二十四節気は太陽の黄経(こうけい)を24で割
ってそれぞれに季節にふさわしい名前をつけたものだそうです。

二十四節気をさらに3つに区切り、もっと細かく分けた「七十二候」
というものがあります。芒種のなかの初候、二候、三候はそれぞれ
「初候・螳螂(とうろう=カマキリ)生まる」「二候・腐草(かれ
たる草)螢(ホタル)となる」「三候・梅の実黄ばむ」ころだとし
ています。

 現代では、七十二候を北日本、中部日本、西日本に分けています。
初候は北日本、中部日本、西日本それぞれ「アヤメ開花」、「入梅、
ビワ成熟」、「アジサイ開花」のころとし、二候は「ボタン開花」、「タ
チアオイ開花」、「ダリア開花」のころ。三候は「ザクロ開花」、「ア
ジサイ開花」、「カヤつり始め」のころだそうです。

 このころ農村へ行くと、田植えやその準備、本田の雑草駆除、乾
田直まき田の入水など忙しく働く姿が見られます。(05)

 

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▼ 入 梅

 梅雨期に入るので入梅。立春から数えて135日目をいい、毎年6
月11日ころに当たります。これは二十四節気以外の節・雑節の一つ
で、地球から見た太陽の黄経が80度に達した時をいいます。

 しかし、南北に長い日本、なかなか暦通りに梅雨に入ってくれま
せん。でも天気予報のなかった昔は、農作業をする上でも暦だけが
頼りです。これを科学的に知り、記載しようとした江戸時代の暦学
者は苦労したそうです。

 この時期は、ちょうど田植えのころ。昔から日本の農業では梅雨
を重視して利用してきたため、いまでも私たちの生活に深く関係し
ています。このころ湿度が高く、カビが生えやすいので「黴(ばい)
雨」がなまったものだともいいます。(06)

 

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▼ 夏 至

 6月21日ころは夏至です。夏に至ると書きますが、陰暦では5月
の中(ちゅう)、夏の真ん中だそうです。夏至は1年を24に分け、
それぞれにその季節にふさわしい名前をつけ、農作業などの目安に
した二十四節気の一つ。

 北半球では一年中で昼が一番長く、夜が最も短い日。昼間が一番
短い冬至に比べと夏至は5時間も長いといいます。中国には夏至節
というのがあり、ちまきを食べたり、端午の節句行事と似かよった
ことをしていたとか。

 なお北京のことわざに「冬至はワンタン、夏至はうどん」という
ことわざがあるそうです。

 ウツボグサが枯れ、ショウブが咲き始めカラスビシャクが生えて
くるころだとしています。(07)

 

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▼サナブリ

 農村には「サナブリ」という行事があります。サナブリはサノボ
リ(サ登り・サとは稲の神)の略したもので田植えの終わったあと
の神が天に帰るお祝いです。漢字で「早苗振り」と書くそうですが、
これはまったくの当て字だそうです。

 早苗(サナエ)、早乙女(サオトメ)などはみんな同じサ(稲の
神)であると聞きます。旧暦の五月(サツキ)は田植えをする神の
月。桜(サクラ)も神が坐す木だという。そういえば稲作の農作業
のはじめる時期に咲き出します。

 サナブリは田植えの終わった日を祝い、ボタモチや、かきまぜず
し(香川、愛媛)をつくってサオトメをもてなしたもの。千葉や埼
玉では荒神さまに苗を3束供える風習があります。昔はかまどに苗
を供えてあるのをよく見たものです。また、くだものを供える地方
や農具に苗を供え、お神酒をかけるところもあります。

 これが大阪方面では2束になり、「三宝苗」といい、「屋根に放り
あげると火事にならない」などといいました。静岡では供えた苗束
(ウエデワラ)のウラッポ(先っぽ)を長寿のくすりとして煎じて
飲んだそうです。また、三株の苗をかまどの灰の中に植える所もあ
ります。

 鳥取県ではみんなで水をかけ合う所もあり、昔は千葉県浦安市で
はあぜ道から男女を用水に投げこんだという。

 このように機械化されなかったころは田植えの重労働が終わった
よろこびで何日も仕事を休み、嫁さんは晴れて実家に帰ることがで
きたのでした。

 なお山形県では物事が終わったという意味に「サナブツタ」とい
うそうです。

 サナブリは北陸や中国地方では「シロミテ」ともいうそうです。
シロは植え田(苗代のシロでしょうか)、ミテは完了の意味だとか。
サナブリには個々で行う「家サナブリ」と、村全体の終了を祝う「村
サナブリ」があるそうですが、私の故郷の下総地方は「家サナブリ」
だったようです。

 地方により、サナブルイ、サナトリ、ウエアゲ(埼玉県)、マン
ガレイ(馬鍬洗い)、シブオトシ(千葉県)、ミトナガシ(大阪)、
オサンバイアゲなどと呼んだりします。(08)

 

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▼アマガエル

 いまにも降り出しそうな、どんよりした天気の時、突然、貝がら
をこするような声で、アマガエルが鳴き出します。やはり昔からい
われるようにアマガエルは、あまごい、あまごいむし、つゆがえる
なのであります。

 雄ののどの下に、鳴のうという袋があって体と同じ大きさにふく
らませて鳴きます。湿度が高くなると鳴きはじめるため、雨の予報
になるといわれてきました。

 ところが、アマガエルが鳴いて雨になる確率は2分の1なのだそ
うです。でも、日本各地の5月から8月までの雨の降る日数は、お
おむね2分の1。だからアマガエルが毎日鳴いたとしても、的中率
は2分の1なのだそうです。なるほどなるほど。(09)

 

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▼ 新 箸

 次第にすたれてはきていますが、陰暦または新暦の6月27日に行
われる「新箸(にいばし)の祝い」とか「青箸(あおばし)の祝い」
という行事もあります。千葉県で行われるのは新箸(にいばし)の
祝い。
 収穫したばかりの小麦でうどんや団子をつくり、ススキやスゲで
箸をつくり食べる行事です。長生郡では家族それぞれススキの箸を
作り、そのススキの先の部分を一定の長さに切って軒下に結びつけ、
神棚にもススキ箸一膳に赤飯を供えます。

 これは昔、源頼朝が石橋山の戦いに負け房総に落ちのびて来た時、
スゲの箸で昼食をつかい、それを地面に逆さにさしておいたのが、
芽を出して茂りはじめたという伝説からきているという。

 しかし、この行事の本来の意味は、稲田がまだ青いころに、無事
豊作を祈願する祭りのひとつだといいます。

 長野県北安曇郡あたりでは「青箸の年取り」といい、尾花を赤飯
に添えて神に供えます。新潟県頸城地方でも青箸の日という行事が
あり、上杉謙信がこの日に諏訪明神に祈願したという故事もありま
す。

 この日は、諏訪大社の御射山(みさやま)神社の祭日。もとは陰
暦6月27日から30日まで行われ、尾花でふい建物に領主たちが寵っ
て厄病除け・農業祈願をした祭りです。

 青箸の年取りを、ミサヤマサマとも呼んでおり、萱の茎で青箸を
作り、これで夕食を食べて翌朝川に流して疫病を防ぐのだという。

 能登にも青二十日(あおはつか)(旧5月20日)も同じ系統の行
事があります。茨城県下の青箸の日は青屋様ともいい、同じ信仰だ
という。(10)

 

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▼夏越しの祓え

 いまごろは、暖かい地方の農家にとって、稲作や麦作などに虫害
・風害などを警戒する大事な季節。かつては虫除け、風除けの祓(は
ら)えの行事があちこちで行われました。

 いまでも中国から九州地方では、旧暦の6月晦日を「ナゴシ」と
呼び、いろいろな行事が行われるそうです。かつては、海に入って
体を洗って身を清めたり、牛や馬を海や川で遊ばせたりもしたとい
う。

 壱岐島のように水神や田の神をまつり、井戸の底をさらったりす
る所もあったそうです。またわらで作った人形に刀を持たせて川に
流したり、農作業を休み「小麦まんじゅう」やだんごをつくり、食
べる風習の地方もあったという。

 これもそのひとつ、神社の境内に大きな茅や竹の輪が作られ、参
詣者がそのなかを通り抜ける「夏越(なご)しの祓(はら)え」が
あります。

 この輪を通り抜けた人は、災いが身にふりかからないのだそうで
す。

 夏越しは、6月30日に行われる祓えの行事です。祓えは、いたる
ところで行ってきた行事ですが、そのなかで決まった時期に行われ
るものが、6月と12月の晦日の大祓えだそうです。6月の祓えを夏
越し、12月の祓えを年越しの祓えいっています。

 明治5年にいまの太陽暦になってから、神社で行う夏越し神事も
混乱し、6月晦日のほか、旧暦や月遅れの7月に行う所も多くあり
ます。

 夏越しの神事には、けがれを人形(ひとがた)にあずけ、川など
に流す方法と、疫気をはらうため、茅の輪(ちのわ)をくぐる方法
があります。そのほか火まつりをする所もあるそうです。

 夏越しは邪神を払い、なごめることで、和(なご)しからきてい
るとも夏の名を越えて、相克(そうこく)の災いをはらうのだとも
いわれています。

 このころ農村へ行くと、暖地では田植えが終わっていますが、寒
地では田植えやその準備、本田の雑草駆除、乾田直まき田の入水な
ど忙しく働く姿が見られます。また、麦類、エダマメが収穫されて
います。(11)

 

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▼茅の輪

 茅の輪(ちのわ)とは、6月30日の夏越(なごし)の祓(はら)
えにくぐるあのチガヤで作った大きな輪のことです。神社の鳥居な
どにこの輪をつるして、これをくぐると身のケガレが祓われるのだ
そうです。

 その昔、北海の武塔神(むとうのかみ)が南海の神の娘に会いに
行ったが日が暮れてしまった。そこで住人の兄妹に一夜の宿を頼み
ました。ところが、金持ちの弟の巨旦(こたん)将来は拒絶。しか
し、貧乏な兄の蘇民将来が手厚くもてなしました。

 後日、武塔神は蘇民将来の家族3人にだけ小さな「茅の輪」を腰
につけるようにいい、つけない他の人々を疫病で皆殺しにしてしま
いました。

 武塔神は「われはスサノオノミコトなり。後の世に疫病あらべ、
蘇民将来の子孫だといって茅の輪を腰につければ災難から免れよ
う」と告げたのがその由来だとしています。(12)

 

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▼虫送り

 いまは少なくなりましたが、かつてはウンカやニカメイチュウな
ど稲にとりつく害虫をカネやタイコを打ち鳴らして村から追い出し
たり、たいまつで焼き捨てようとする「虫送り」という行事があり
ました。

 江戸時代の文献にも載っているこの行事は、関西ではサネモリ(実
盛=稲の虫)送りなどともともいいます。すたれつつはある行事で
すが、観光化して保存されていたり、最近は復活させるところもあ
ります。

 虫送りは村中でたいまつをともし、わらで作ったサネモリ人形を
先頭にカネやタイコを鳴らして囃しながら田んぼの中のあぜ道を練
り歩き、村はずれまで送ります。

 送る場所が地名になっているところもあり、虫追り塚、虫の山、
ウンカの森、虫送り峠などがあり、青森県五戸町の虫追塚とか、高
知県南国市の虫塚など大字小字としても残っています。

 青森県五所川原市の新田地帯では1,8メートルのわら人形二つと
3mものヘビの形をした「虫」をつくり、村中をねりあるきます。
村境までくると人形はそこに立て「虫」は道路わきの松の技にかけ
ます。

 行事の呼び方は地方により、虫祭り(岩手県遠野)、虫落とし(九
州)その他ウンカ送り、アマコ追い、テンノコムシなどさまざま。
中部から西では「サネモリ送り」といい、馬に乗ったわら人形を実
盛神としています。

 練り歩くときの囃し言葉も「ウンカの神送れ」(長野県)とか「な
に虫送ればごじりむし送るわ」(新潟県)、「実盛さんはゴショライ、
稲の虫はおともせ」(兵庫県)。また石川県の金沢平野ではたいまつ
の火の粉を散らして「送るら送るら」などなどと行進します。

 この行事の稲の虫をなぜか実盛といっています。それについては
いろいろな説があり、イナゴ類をベットウと呼ぶところからきたの
だとも、平安末期、加賀篠原の戦いで非業の死を遂げた斎藤別当実
盛の霊が害虫になったとの故事によったともいっています。また、
サナブリが靴ってサネモリになったのだろうという説もあります。(13)

 

(6月終わり)

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7月へ