CD-R「ふるさと歳時記」 【5月】

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 ▼この章のもくじ
 ・皐月(さつき) ・八十八夜 ・端午の節句
 ・鯉のぼり ・武者人形 ・ちまき ・ショウブ湯
 ・菖蒲うち ・立夏 ・サオリ ・五月晴れ ・雪形

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▼皐月(さつき)

風薫るさつきの空にこいのぼりがおよいでいます。いかにも気持
ちよさそうです。「さつき」は旧暦の5月のことですが、いまの暦
でも通用しています。

 調べてみると「万葉集」に「さつき」の出てくる歌が9首ほどあ
るそうですが、「きさらぎ」や「やよい」はひとつもないという。
万葉の時代、この季節を特別に感じていたのでしょうか。ただその
時代は早月とか皐月という漢字は使っていなかったのだそうです。

 さつきは、「さの月」の略したものだというのが一般的です。江
戸時代中期の歳時記「滑稽雑談・こっけいぞうだん」(其諺(きげ
ん)著)などによれば、この月は田植えの月であることから「さな
え月」の略したものだといっています。

 この季節はサナエ(早苗)、サオトメ(早乙女)、サオリ、サノボ
リ、サミダレ(五月雨)など「サ」の字のつく言葉が多く使われま
す。「サ」は稲作の神さまをあらわす言葉だといいます。

 サナエは神がくれた苗、サオトメは神聖な田植えの作業をする乙
女、サオリは春、農作業を始めるとき、山の神(サ)が山から田の
神になって降りてくる日、サノボリは農作業が一段落したあと、サ
が山に帰ることだといわれます。またサクラは神が坐す神聖な木な
のだそうです。

 陰暦(太陰暦)の5月は、いまの6月ごろにあたり、ちょうど梅
雨の季節です。「さつき晴れ」、「さつき空」というのはじめじめし
た梅雨の晴れ間や、梅雨が明けた晴天をさす言葉だそうです。

 さつきの語源について異説がひとつだけあって、江戸時代の国語
辞典「倭訓栞(わくんのしおり)」(谷川士清・たにがわことすが著)
という本には、この月は狩りをする月だということで「幸月・さち
づき」からきた言葉だとするものがあります。

 旧暦の5月は、五月雨といううっとうしい長雨が続き、厚い雨雲
・五月雲がたれ込め、五月闇と呼ばれる暗い闇夜が続くせいか、昔
からこの月は悪い月だとされ、「忌み月」、「つつしみ月」などとも
呼び、婚礼も避ける風習があったそうです。いまでも端午の節句に
は、軒先にショウブやヨモギをさして魔除けをする行事が残ってい
ます。(01)

 

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▼八十八夜

 防霜ファンがならぶ茶畑。そろそろ茶摘みの季節です。♪夏も近
づく八十八夜、野にも山にも若葉がしげる……、誰にでもおなじみ
の歌。八十八夜は雑節のひとつで、季節の変わりめとして昔から農
作業の目安になっています。

 雑節とは、二十四節気や五節句のほかに季節の移り変わりをつか
むため補助的な意味合いもあり設けられた特別な暦日。節分・彼岸
・社日・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日・二百二十日の
九つで、いずれも日本人の長い生活体験から生まれたもので、おも
に農作業に照らし合わせてつくられているそうです。

 八十八夜は、立春からかぞえて八十八日めをいい、毎年5月2日
ころにあたります。5月2日ころといえば、あと3日もすれば立夏
になります。お年寄りがよく「八十八夜の別れ霜」と口にする季節、
農家の人たちにとっては種まきのころとされてきました。

 しかし「忘霜」「九十九夜の泣き霜」の言葉があるように、まだ
遅霜が完全になくなる時季ではありません。種まき、茶つみ、養蚕
などと忙しい農家にとり、この遅霜がいちばんの命とり。注意を喚
起するために暦に載せたものだといいます。

 また「八十八夜の針タケ」という言葉もありますが、かつてはこ
のころ、稲の苗がちょうど縫い針の丈くらいに成長しているところ
から生まれたものだそうです。この日に飲むお茶は寿命をのばすな
どともいわれ、またおかゆを炊いて田の神さまに供える地方もあり
ます。

 この八十八夜はもともと歴注にはなかったのだそうです。一説で
は、江戸時代の天文暦学者の渋川春海という人が、貞享(じょうき
ょう)改暦(1684年)で、暦に載せたのが最初といわれていま
す。しかしその前に出されている伊勢暦(1656年)に、すでに八十
八夜が記載されているところからかなり昔からあったものを、春海
が正式に官暦に記載したのだろうとされています(「暦の百科事典」
p326)。

 むかし日本では太陰暦を使っていて、それでは1年が354日しか
ないため、こよみの月日が季節とどうしても食い違ってしまいます。

 そこで季節が分かるように工夫したのが立夏などの「二十四節気
=太陽の黄経を二十四に等分したもの」や雑節をつくり調節したと
いうことです。

 茶づくりの香にむせぶまで寄りて見つ 馬場移公子(02)

 

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▼端午の節句 

 「端午の節供」の端とはもともと初めという意味で、月の最初の
午(うま)の日をいうのだとも、端五と書くことがあるように月のは
じめの5日のことだともいわれ、昔は必ずしも5月にこだわらなか
った。

 それが、5月は物忌みが必要な悪い月とされ、この月を端午の節
供とするようになり、災厄を避けるため、ショウブ湯をたて、ヨモ
ギを軒につるし、チマキをたべる。

 ショウブ湯については、昔、美少年に化けたヘビを契った女がシ
ョウブ湯に入ったところその子を流産、ヘビからの難をまぬがれた
という伝説がある。ショウブ湯に入る習慣は室町時代からつづいて
いるという。

 また、軒にショウブやヨモギをさすのは、その昔、山姥に追われ
た子供がショウブの生えた中にかくれ、あやうく助かったという話
がもと。

 端午の節供には、ショウブを束ね、地面をたたき、音の大きさを
競ったり、嫁の尻たたきや男の子が女の子に水をかける所(静岡県)、
凧をあげる所(静岡県)や山形県や秋田県のように、シオデを耳に
あてて「耳くじり」をする。 また綱引き、競馬、騎射、競舟などをする
所もあります。(03)

 

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▼鯉のぼり

 農村などでは男の子の初節句に、母親の実家や親類からこいのぼ
りを贈る風習がまだ残っています。一面に広がる田植えのすんだ田
んぼの向こうに、雄壮に泳ぐこいのぼりをみると心がおどります。

 中国の黄河を遡り、上流にある竜門にのぼるのは至難の技で、こ
こまで泳いでのぼれたコイは、竜になれるという伝説があります。
こんなことからコイは立身出世の象徴にもなっています。

 江戸時代、植物のショウブ(菖蒲)が尚武(武道をたっとぶこと)
に通じるところから、武士社会の間で「菖蒲の節句」が重んじられ、
家紋の入った旗さし物やのぼり、吹き流し、鎧兜(よろいかぶと)
など武具を玄関前にならべました。

 江戸も中期になると、次第に町人たちも節句のお祝いをはじめる
ようになります。家々にコイの絵を描いた幟(のぼり)を立てたり
しました。やがてこれがコイの小旗に変わり、さらに吹き流しとし
て独立していきました。明治時代になると真鯉、緋鯉が考え出され、
それぞれとりまぜて立てられるようになったということです。

 そのころは紙製が普通でしたが、いまは布地やビニールでつくら
れ、色彩も鮮やかになっています。

 鯉幟立ちて菜園みづみづし 水原秋櫻子(04)

 

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▼武者人形

 鎌倉時代、この儀式用の兜に似せた飾りものに、糸花製のショウ
ブやヨモギボタンなどをそえ、五月節供に室内に飾りました。

 江戸時代になると、これを幟(のぼり)や吹き貫きなどといっし
ょに屋外にさくをつくり、ならべるようになりました。兜には花の
代わりに義経や弁慶の人形につくって載せたりしました。

 その後、人形を兜から離して人形だけを座敷などに飾りはじめま
す。その人形は八幡太郎義家、鎮西八郎為朝、朝比奈三郎、鍾馗な
ど日本や中国の歴史や物語に出てくるものだったそうです。これを
甲(かぶと)人形といいました。

 のち、次第に大形化したこれらの人形も、明治になると小形にな
り、昭和に入ると武者人形の数が減り、鎧(冑)飾りが中心になり、
人形も子どもらしい童顔になてきました。(05)

 

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▼(6)ちまき

 端午の節供には、ちまきがつきもの。ちまきとは「茅巻」の意味。
昔はチガヤの葉で餅を巻いたといい、平安時代前期の「延喜式」(9
27年・延長四)や「倭名類聚抄・わみょうるいじゅしょう」(924・
承平四)には「菰葉(まこも)をもって米を包み、灰汁(あく)を
もってこれを煮る」とあります。

 ちまきのルーツは中国で、その起源については二つの伝説があり
ます。まず一つは、中国春秋、戦国時代、楚の賢人屈原(くつげん)
が5月5日、泪羅(べきら)川に投身しました。

 これをあわれんだ姉は、毎年命日に餅を投げ霊をなぐさめている
のを見て里人も、5月5日に米を入れた竹筒を投げて慰霊するのを
習慣とした。

 しかし、その供物は水底に棲む蛟(みずち)に盗まれてしまうの
で、センダンの葉で米をつつみ、その上を五綵(さい・あや)の糸
で縛るようにしたという。これがちまきのはじめという。

 また、5月5日に波にのまれた高辛氏の悪子が水神になり悪さを
するので、ある人が五色の糸でちまきをつくり海に投げたところ、
たちまち五色の龍になりその後人々を悩まさなくなったという起源
説もあります。(06)

 

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▼ショウブ湯

 5月5日のこどもの日は端午の節供。この日は「菖蒲の節供」と
もいわれ、ショウブやヨモギを軒にさし、しょうぶ湯に入り、かつ
ては菖蒲酒を飲み、菖蒲打ちをして邪気を祓いました。これに入る
と病気にかからないとされるしょうぶ湯は、室町時代からすでに行
われていたそうで、文献にもあらわれています。ただ5月5日に入
る習慣は江戸中期からで、それまでは日を決めていなかったという。

 そもそもショウブやヨモギには、魔除けの霊威があると信じられ、
山姥や鬼に追いかけられ、ショウブやヨモギのやぶに隠れて助かっ
たという「食わず女房」などの昔話が各地に伝わっています。また
「蛇婿入り」でも、蛇の子を宿した娘がしょうぶ湯に入って難を逃
れたという話もあります。

 古い中国では数字が重なる、三月三日(重三)、五月五日(重五)、
九月九日(重陽)は特別な日と考えられていました。その中で重五
である端午は、野外に出て薬草を摘んだり、野遊びや競渡が行われ
る日で、ヨモギで人形を作って門口に立て、ショウブを入れた酒を
飲み、蘭の風呂に入って病気や災厄を祓う行事があったという。

 この風習が平安時代日本に移入され、宮中貴族の間で盛んに行わ
れたという。しかし、日本にも田植えという農事を前に身を清める
「さつきいみ」の行事があって、それを受け入れる下地があったと
いう。

 移入された端午の節供の行事は、その後次第に貴族から民間へと
普及し、長い期間にヨモギ人形は五月人形に、また蘭を入れる風呂
はしょうぶ湯に変化していったということです。(07)

 

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▼菖蒲うち

 5月5日の端午の節句に、ショウブを束ねたもので地面を打ち、
その年の豊作を祈る呪文を唱えながら、音の大きさを競う行事があ
りました。

 これは東北や新潟地方で行われた子供の遊戯。ウツギやクワなど
よくしなう枝をシンにして、ショウブとヨモギを巻いてわらでつつ
み、ナワでしばったツトをつくり、神社などに集まります。

 そこで鬨の声をあげた子どもたちは、村のはずれの家々から一軒
一軒押しかけ、円陣をつくり地面をツトでたたきながら、「ショウ
ブたたきの鐘たたき、ことしの作のよいように……」などと唱えま
す。

 こうして粽(ちまキ)やもちをもらって歩き、最後にまた神社に
集まりツトを神社の裏や家の屋根に投げあげます。

 なかには途中でとなり村の連中と石や砂のかけ合い、また竹でた
たき合い。逃げた方負けで、その村は不作だなどといったという。

 青森県では菖蒲ジッコという行事で、ツトが切れてしまうまで地
面を打ち、最後に屋根に放りあげるという。こうすると屋根が腐ら
ないなどといわれました。

 はじめショウブ打ちは、ショウブでつくった刀で打ち合いをする
行事だったという。鎌倉時代を書いた古書に子どもたちが、ショウ
ブを兜の形に作ってかぶって合戦のまねをしたことが載っていま
す。

 この行事が秋のトオカンヤに行われるわら鉄砲のように、もとも
とからあった地面を打ってお呪いをする習わしにのっとって次第に
ショウブ打ちという方法にかわっていったのだろうといわれていま
す。

 このような行事も、パソコンゲームで忙しいいまの子どもたちに
は興味のあろうはずはなく、見る見るすたれていっています。(08)

 

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▼ 立 夏

 毎年5月5日ころは立夏です。これも季節感がよくわからなかっ
た陰暦で、農作業の目安にする二十四節気の一つ。太陽の黄経が45
度の時のことです。

 きょうから暦の上では夏に入るといいます。立夏は、旧暦では4
月で四月節といいました。だから昔は4,5,6月が夏だったので
す。

 二十四節気をもっとこまかくした七十二候では、立夏をさらに初
候(5〜9日)は、ガマガエルが初めて鳴くころ、二候(10〜14日)
は、ミミズが土からはい出てくるころ、三候(15〜20日)は、タケ
ノコが顔を出し始めるころだとしています。立夏は春分と夏至の中
間。夏の気がたち始めるころです。(09)

 

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▼サオリ

 いよいよ農繁期、忙しい毎日が始まります。稲作は農家にとって
も国家にとっても根幹の産業であり稲作は神聖な作業と見なされま
した。稲には霊的な力が宿る穀物と考えられ、古代よりさまざまな
神話、伝説が生み出されました。

 民間の信仰では、田の神さまは春、農作業が近づくと、天とか山
から田に訪れ、そこに滞在してイネの生育を見守り、秋の収穫が終
わるとまた山に帰っていくとする「田の神去来の伝承」があります。

 田の神さまが訪れる日をサオリと呼び、種まき前や田植えの時に
祝います。お祝いの日は地方によっていろいろ月日が違っています。

 種(もみ)のまくころ、苗代(なわしろ)に棒を立てるところも
あります。この棒は田の神さまの依代(よりしろ)で、「田の神様
の腰掛け」などとよばれています。この棒が枯れると家族に不吉な
ことがおこるという。

 また田植えの時、一枚の田を植え終わると田の神さまが帰るとす
る地方もあり、種まきのときと同じように小枝などを折って畦(あ
ぜ)に立て、そこで田の神に休んでもらうのだそうです。この田植
え前に行われる祭りをサオリです。

 また田植えが終わったあとの祝いをサナブリ(サノボリとも)と
呼び、ぼた餅をつくって近所にふるまいます。そして収穫後に行わ
れるものも「サノボリ」と呼び、帰っていく神に感謝をします。

 サは(田の)神さまのことで、神が降りてくる日がサオリで、登
っていく日がサノボリだそうです。どちらも田んぼまたは家で木の
葉を敷いた上に三たばの苗や餅、昆布、酒などを供え、赤飯をたい
てお祝いし田の神さまを祭ります。

 蛇足ながら田の神さまを洗わす「サ」のついた言葉には、サツキ
(田植えをする月)、サオトメ(田植えをする乙女)、サナエ(稲の
苗)、さみだれ(五月雨)、サクラ(神が坐す木)などがあり、みな
田の神さまに関係のあるものだそうです。

 サオリは地方によりソウリとかワサウエ、サビラキ、サブラケ、
またサイキなどとも呼んでいます。サオリの行事はもともとは村全
体で行う祭りでしたが、いつのころからか家々ごとでも行うように
なり、いまでは村で祝う行事と各家ごとで祭るものとの二通りが残
っているようです。(10)

 

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▼五月晴れ

 5月のお天気の日を、よく五月晴れといったりします。しかしこ
れは、旧暦のころに使った言葉で、太陽暦になって百年もたつのに
まだ混乱しています。

 さつきとは陰暦の5月のことで、いまの暦では6月ころ。梅雨の
まっ盛りです。そのジメジメした長雨の中の晴れ間が本当の五月(さ
つき)晴れなのだそうです。

 以前の暦では、さつきとは5月の中(ちゅう)気(二十四節気の
冬至から数えて一つおきにとった十二の節気をいう)で、夏至の含
む月。陰暦5月1日は、早いときで太陽暦の5月22日ごろ、遅いと
きは6月の20日くらいになります。

 したがって五月晴れは、五月雨(梅雨)の「五月」と同じ意味な
のだそうです。(11)

 

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▼(12)雪形

 山すその村々にも春がやってくると、高山の雪も少しずつゆるみ
はじめ、岸壁の岩があらわれ、黒い形ができてきます。また雪が岩
と岩の間に雪渓となって白く残ります。

 それをふもとから見るといろいろな動物や人、鳥の形に見えます。
村人はこれに名前をつけて呼びました。これが「雪形」で、毎年少
しずつ形は変わるものの、同じところに同じ時期に出るため、村人
たちはこれを見て季節を知り、格好の農作業の目安にしました。

 昔は暦の文字を読める人も少なく、また当時の暦は正確な季節が
わからなかったという。それというのも、旧暦(太陰暦)では、1
年が354日でいまの暦(太陽暦)より11日短い。

 1年過ぎると同じ日付けでも季節的には11日もずれてしまい、そ
のまま17、8年続いていくと正月が真夏になってしまいます。そこ
で仕方なく2、3年に一度、1年を13ヶ月(閏月)にして調節しま
したがやはり不便でした。そのため、山にあらわれる雪形の変わり
方で、季節を知るのがいちばん分かりやすかったようです。

 雪形には残雪で形が白くできるものと、雪が解けて山に黒い形が
できるものとがあります。北アルプスの白馬岳(しろうまだけ)の
雪形は有名ですが、黒い岩肌が出てくる「黒馬」です。ふもとでは
これを苗代馬(なわしろうま)と呼び、この形が出ると苗代の準備
をしたという。略して代馬(しろうま)になり、白馬の字を当てた
のだそうです。

 このほか、雪形には北アルプス・小蓮華山や乗鞍岳、爺ヶ岳に出
る「種まき爺さん」、白馬鑓ヶ岳の「鴨と双鶏」、鹿島槍ヶ岳の「鶴
と獅子」、八方尾根の「ソバまき一家」、蝶ヶ岳の「蝶」、富士山の
鳥の形、中央アルプス木曽駒ヶ岳の「駒形」、宝剣岳近くの「島田
娘」、南駒ケ岳の「五人坊主」、南アルプス・農鳥岳の「農鳥」と「農
牛」、宮城県栗駒山の「駒形」、新潟県エブリサシ岳の「エブリ(農
具)」など各地にあります。

 傑作なのは北アルプス爺ヶ岳に出る雪形で、最初にざるを持った
「種まき爺さん」の雪形が黒い岩肌になってあらわれ、しばらくす
ると、爺さんの足元に、まいた種をほじくるカラスの雪形が出る。
その次に今度は婆さんの形があらわれ、カラスを追い払うというか
ら面白い。(12)

 

(5月終わり)

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【6月】