CD-R「ふるさと歳時記」【3月】

………………………………………

 ▼この章のもくじ
 ・弥生(やよい) ・桃の節句 ・ひな祭り ・菱もち ・草もち
 ・桃酒 ・白酒 ・桜もち ・ひな荒らし ・流しびな ・啓蟄
 ・田の神祭り ・十六だんご ・農神下ろし ・つみ草
 ・春の彼岸 ・ぼたもち ・春分 ・春祭り ・春の社日
 ・なたね梅雨

………………………………………

▼弥生(やよい)

 弥生(やよい)は、旧暦の3月の異名ですが、いまの暦でも「弥
生3月」というように使われています。旧暦の太陰太陽暦は明治5
年に廃止されても、このように通用するのは季節の変化敏感な日本
人ならではのことなのでしょう。

 「やよい」は、「いやおい」が変化した言葉でだという。江戸時
代から明治にかけて生きた国語学者・大槻文彦が著した『言海』(の
ちに「大言海」として増補)では、「水に浸したる稲の実のいよい
よ生ひ延ぶる意」だとしています。

 大月博士によると、「むつき」「きさらぎ」「やよい」など12ヶ
月の名はすべて「稲禾生熟の次第を逐いて名づけしなり」なのだそ
うです。やはり日本は農業国だったのです。

 江戸中期の歳時記「滑稽雑談」(其諺著)には、風や雨が暖かさ
を増して草木がいよいよ生い茂る(いや生い茂る)月の意味だと載
っています。

 また、江戸後期の「改正月令博物筌(はくぶつせん)」(鳥飼洞斎
著)にも「萌え出でたる草も、この月いよいよ生いさかんなれば、
いやおい月ということを略して「やよい」という」と出ています。

 前の月の「きさらぎ」よりも、もっと「いやおい月」だというわ
けです。旧暦の「やよい」はいまの暦の4月ころで花見月です。太
陽暦の3月の気候とは大分違っています。

 3月の農作業は、貯蔵穀物の害虫駆除や稲わらと土質改良材の施
用、暖地では早期苗の苗代・直まき田の除草。また寒地では苗代の
雪とかし、麦・菜種畑の水はけや追肥、種もみの準備などがあり、
農家は次第に忙しくなります。
(01)

 

………………………………………

▼桃の節句

 桃を食べて3000年も長生きしたとか、武陵桃源など、中国には桃
に邪気を払う力があるという考えがあります。そんなことから黄泉
の国の悪魔に桃の実を投げて撃退するイザナギノミコトの伝説も発
生します。

 桃の節句といえば3月3日。もとは旧暦でのこと。いまの暦で4
月上旬にあたり、まさに桃の花盛りです。中国古代の行事を伝えた
というこの節供に、、めでたい桃を飾ったことにより「桃節供」の
中国の名が生まれました。

 かつての陰暦3月のはじめの巳の日を「上巳の節供」といって水
でみそぎをし、酒を飲んで厄払いをする中国の行事が平安時代に輸
入。

 その後人形(ひとがた)で身体をなでて汚れを人形に移す行事に
発展。その人形がひなになりひなまつりになっていきました。江戸
時代には、この日は五節供のひとつに定められていたそうです。(02)

 

………………………………………

▼ひな祭り

 ♪あかりをつけましょボンボリに…のひな祭り、もとは上巳(じ
ょうし)の祓からきているという。昔は3月の第一の巳の日は恐ろ
しいことが起こる日だとする考えから、身のけがれを人形(ひとが
た)に託し川にながす行事がありました。

 その人形がその場限りのものだったのがだんだん精巧なものにな
ってくると「流すのはもったいない」……ということになり永久保
存されるようになっていきます。

 流しびなの風習が残っているのはそのなごりで特に鳥取県が有
名。小さな男びな、女びなを2組買い、1組は神棚に他の一組を川
に流す。乳が出るための祈願だというこれは和歌山県や広島県にも
あるようです。

 しかし、平安時代になると、その場限りで捨てられていた、これ
ら草の人形もだんだん装飾的な意味を持つようになり、精巧なもの
に。そして「流してしまうのはもったいないから飾っておこう」と
いうことになったのです。

 一方、古代中国からあった、酒を飲んで災難を祓う行事が日本に
渡来、平安時代のひなまつりと一緒になりました。元禄時代になる
とひな人形はますますぜいたくなものになり、ひな段に飾られはじ
めました。
(03)

 

………………………………………

▼菱もち

 3月3日の桃の節句には昔からおひなさまに「ひしもち」を供え
ます。菱形なのでひしもちといい、2色、3色または5色に色を染
めた餅を菱形に突くって重ねます。

 またひしもちの形は、もとは三角形ではないかという説もあり、
三重県ではひしもちのことを三角餅といい、ひな節句には親元へこ
の餅を持っていく風習があるという。静岡県の遠江地方でのひしも
ち(三角餅)は本当に三角形をした餅で、3月3日に両親に贈るも
のという。

 これは三角形になにか特別な深い意味があるのだろうといい、そ
ういえば小正月の左義長の柱に吊るす火打ちという袋も三角形をし
ています。

 おひなさまにひしもちを供えるようになったのは、江戸時代前期
の貞享年間(1684〜88)ごろからで、そのもとは、昔、正月に食べ
た菱葩餅(ひしはなびらもち)までさかのぼるという。そもそも「も
ち」は、望月の望からきた言葉で、丸い形から円満を象徴し、古鏡
になぞらえて鏡餅ともいっています。

 それをおし延ばして、いろいろな花の形にして擬装して「菱葩餅」
として食べましたそうです。花の形にするのは倹約の意味もあった
らしいですが、この「菱葩餅」が、いつしか菱形になり、室町時代
の足利将軍の時代には、すでに正月に菱形をした「菱葩餅」を食べ
ていたらしい。江戸も中期・桜町天皇の代になると、この風習は宮
中にも取り入れたということです。(04)

 

………………………………………

▼草もち

 田のアゼや日あたりのよい斜面で母子がヨモギつみをしていま
す。草もちをつくり、おひなさまに供えようというわけです。

 昔は材料にハハコグサを使ったとか。平安時代、3月3日に女性
たちがつんだハハコグサを蒸してもちにつき込んだことが、文徳天
皇の時代の歴史書「文徳実録」の850(嘉祥3)年に記されていま
す。

 また、それより前の6世紀の中国の本「荊楚歳時記」にもハハコ
グサ(鼠麹菜・そきくさい)の汁を蜜と合わせて粉に和する」とあ
り、邪気を払い疫病を予防できると信じられていました。

 ハハコグサを使うのは、女の子のお祝いに母と子の健康を祈る意
味があるそうです。しかし、臼を女性に、杵を男性に見立てる考え
方があることからハハコ(母子)を同じ杵でついてはいかにも具合
が悪い。

そこで15世紀、室町時代あたりからハハコグサのかわりにヨモギを
使うようになったとか。いまではすっかりヨモギ草もちが定着して
います。3月3日は草もちの節句ともいうほどで、春の香りを運ん
でくれる食べ物になっています。
(05)

 

………………………………………

▼ 桃 酒

 秋の重陽の節供に飲む「菊酒」に対して、春には「桃酒」があり、
かつては3月3日の節供に桃の花を盃に浮かばせて飲む風俗があり
ました。伊勢神宮でも以前は、桃酒をヨモギ餅とともに桃の節句に
供えたといいます。

 昔から中国では、桃には邪気を払う力があると信じられ、桃の実
を食べて三千年の齢をのばしたという西王母の神話や、武陵の桃花
を浮かべ流れ出る水を飲んで三百歳も長生きしたそいう武陵桃源の
伝説もあります。

 また日本にもイザナギノミコトが黄泉の国から逃れる時、醜女に
桃の実を投げて難をさけてという説もあります。桃酒はそんな信仰
にもとづいた習俗なのだそうです。
(06)

 

………………………………………

▼ 白 酒

 3月3日桃の節句(ひなまつり)に飲む「白酒」。これをひなま
つりに飲むのは近世以降のこととかで、もとは「山遊び」に持参し
たものらしい。山行きとは農作業が始まる前に村民がそろって山へ
行き食事をする行事です。

 白酒は、戦国時代以前からすでに発達していたらしく、筑前(福
岡県)博多産の錬酒(ねりざけ)が昔から有名で、室町中期の禅僧
大極(だいしょく)の日記『碧山日録(へきざんにちろく)』応仁
二年(1468)の条に記載されています。

 その後、これが江戸に伝えられると、濃く滑らかで甘い白酒は、
はじめ男性に飲まれていたが、次第に女性まで普及。歌舞伎や常磐
津などにも登場するほどの好まれよう。白酒の銘柄として「山川」
「初霜」などがあったそうです。
(07)

 

………………………………………

▼桜もち

 ひなまつりには、桜もちも白酒や草もちといっしょに供えます。
桜もちは塩漬けした桜の若葉で巻いたもち菓子。古くから春の味と
して親しまれてきました。もちに桜の葉の香りがしみこみ、江戸時
代から庶民の間で人気があったという。

 桜もちは、江戸時代に「柏もち」の類似品として山本新六という
人が考案したという。山本新六は千葉県銚子の人。元禄年間(1688
〜1704)に東京・向島の長命寺の門番に住みこみます。

 長命寺は桜の名所。掃いても掃いても枯れ葉が舞い落ちてきます。
あまりにも多い枯れ葉を見て、ほうき掃除の手を休め、この葉っぱ
をなんとか利用できないかと考えた末、柏もちをヒントに若葉を使
って桜もちを考え出しました。これを墓参りの人たちにごちそうし
たら大好評。

 気をよくした新六は、1717年(享保2)に隅田川堤に桜の植え足
しが行われたのをきっかけに、茶屋がけをして大々的に売り出し大
当たりしたという。

1824年(文政7)に使った桜の葉は、77万5000枚、売った桜もちの
数はなんと、38万7500個にも達したと当時の記録にあります。いま
も東京・向島では「長命寺桜もち」という名で昔ながらのもちを売
っています。

 当時山本新六がつくった桜もちは、うどん粉(小麦粉)を溶き、
薄く鉄板の上にのばして白焼きにし、中にアズキのこしあんを入れ
て二つ折りにし、さらにその上から塩漬けにした桜の葉を両面から
はさんだものだったといいます。
(08)

 

………………………………………

▼ひな荒らし

 3月3日の節供(三が重なるので重三・ちょうさんとも)は、い
まはひなまつりとして女性の節供になっています。しかし、この日
に男の子が弓矢で遊ぶ行事も残っていて、必ずしも女性だけの節供
ではなかったのだそうです。

 ひな荒らしという行事もその一つ。徳島県や岡山県などで、ひな
まつりに男の子、女の子が一団となって家々を訪れ、となえ言をし
ながらいろいろな供え物をもらっていくならわしがあります。

 また、愛知、岐阜県では、ひな荒らしのことをがんど打ちという
そうです。がんどとは強盗(がんどう)のことで、やはり子どもた
ちが家々の供え物を貰って歩く行事。静岡県などでも同じ行事があ
り、ひなまつりの供えものをさげて食べるのをガンドというそうで
す。
(09)

………………………………………

 

▼流しびな

 3月3日、ひなまつりの夕方などにブドウ位の大きさの顔の男び
な女びなや、または色紙でつくった男女のひなを海や川に流す行事
が鳥取県や岐阜、和歌山、広島県などで行われます。

 ひなまつりのひなは、もともとわらや草でつくった人形(ひとが
た)でした。人の健康を祈り、祓(はら)えの時、体をなでて身の
けがれや災いをこの人形に移し、海や川に流したのだそうです。

 のち、阿末如津・あまかつ(天勝)、這子(ほうこ)、比々奈・ひ
ひな(雛)などという種類に分かれ、比々奈だけが精巧な人形に発
展します。

 このようにすてられる運命のそまつな人形も、平安時代になると
装飾に使われるようになり、時代が下がるにしたがいだんだん凝っ
た立派な人形を作りだしていきました。鳥取県などで行われる流し
びなこそ、大昔の行事の名残りなのだそうです。
(10)

 

………………………………………

▼啓蟄(けいちつ)

 カレンダーの3月はじめのところに「啓蟄」と書かれています。
(毎年5〜6日ころ)。啓蟄は、二十四節気のひとつで、旧暦2月、
卯の月の正節なのだそうです。

 啓は「ひらく」、蟄は「虫類が土中に潜伏する(閉じる)」ことで、
このころになると長い間土の中で冬ごもりしていた、いろいろな虫
が春の暖かさに動き出し、穴を啓(あ)けて地上に這い出してくる
ころという意味だそうです。

 またこのころは春雷がひときわ大きくなりやすい季節でもあると
いう。江戸時代1788(天明8)年の『暦便覧』にも「陽気地中にう
ごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と解説してあります。

 また「二十四節気七十二候」という言葉があります。二十四節気
をさらに三候に分け、一年で七十二候にします。『宝暦歴』(1755・
宝暦5年)によると、啓蟄の初候(6〜10日ころ)は、「蟄虫啓戸
(ちっちうこをひらく)で、次候(二候・11〜15日ころ)は、桃始
笑(ももはじめてわらふ)、末候(三候・16〜20日ころ)は、菜虫
化蝶(なむしてうとけす)」との解説がしてあります。

 さらに現代の解説では、北日本、中部日本、西日本と分け、「北
日本では、初候を(フクジュソウ開花)、次候を(ウグイス鳴き始
め)、末候は(カラシナ出盛り)」としています。

 また、「中部日本では、初候を(ネコ柳開花)、次候を(積雪終)、
末候を(タンポポ開花)」としています。

 西日本については、初候を(菜種開花)、次候を(スミレ開花)、
末候を(蟄虫終)」と解説しています。

 旧暦(陰暦)は、月の満ち欠けで決めていたので、どうしても季
節とのずれができてしまうため何かと不便です。それをなくすため、
一年を24に区切った「二十四節気」をつくり、それぞれにその季節
にふさわしい名前をつけたのだそうです。太陽の黄経が345度の時
をいい、昔から農作業の見当にされてきました。

 農家は貯蔵穀物の害虫駆除、稲わらと土質改良材施用、暖地では
早期苗の苗代・直まき田の除草、寒地では苗代の雪とかし、麦・菜
種畑の水はけと追肥、種もみの準備など忙しくなります。
(11)

 

………………………………………

▼田の神祭り

 農閑期の冬の間は、山の上にいる山の神が春、農作業が始まる時
期になると田の神になって里に降りて来るという。そして農作業や
作物の出来ぐあいを見守り、秋、収穫がおわるのを見とどけ、また
山の神になって山上に帰るという。「神去来」の伝承です。地方に
よっては、家と田んぼとの去来を説くところもあるそうです。

 その神が田の神になり里に降りる日、また秋、山に帰る日にお祝
いをします。それが農村で行われる田の神の祭り。祭りの月日は地
方によってまちまちで決まっていませんが、おおざっぱに東日本側
では3月と10月の16日、2月と10月の10日、西日本では2月と10月
の亥の日というぐあいです。

 また、石川県・奥能登で1月9日と11月5日に行われる、神を田
んぼから招いて、風呂に入れたり、ごちそうを出して接待する「ア
エノコト」や、九州の丑の日祭り(2月と11月の丑の日)などもそ
のひとつです。なかには、春と秋の社日に行うところもあるそうで
す。

 春に行う田の神祭りは、朝早くからもちをつき、うすの音をたて
るのだという。田の神は、その音を聞いて稲穂を持って降りてくる
といわれます。

 東北地方では3月と10月の16日に田の神の祭りが行われ、「16日」
にちなんで、16個の大きなだんご「十六だんご」を作ったりする
そうです。青森県では3月16日の祭りをを「農神下ろし」といい、
農神(田の神)が山からタネを持ってきてくれるといい、やはり十
六だんごを供えるという。

 新潟県にも同じ日を田の神迎えという所もあるそうで、所によっ
ては3月ではなく、2月の16日とする村もあるという。

 北関東では小正月に十六玉、十六花といい、ミズキに繭玉などを
つける風があり、これも先の十六だんごと同じ系列の風習なのだそ
うです。
 岩手・青森県にはオシラサマと同じように考えて、オシラ神を祭
るところもあるという。またこの日は雪神さまと農神さまが交代す
る日だという地方もあります。
(12)

 

………………………………………

▼農神下ろし

 春、天や山から農神(山の神)さまが降りてきて、農作物の生長
から収穫までを見とどけて、秋、帰っていく、農村にはこんな神去
来の信仰があることは何回も書きました。

 地方によってまちまちですが、降りてくる日が3月16日で、帰る
日が10月16日とか12月12日だとする地方が多く、3月16日を祝って
もちやだんごを供えます。

 これは東北に多い風習ですが、鹿児島県でも10月16日が山の神の
祭日にしていたり、北関東でも16にちなんで、小正月に十六玉や十
六花というものを飾ったりします。

 岩手・青森県などでは、雪神さまと農神さまが交代するともいう。
宮城県ではノウズラさまといい、来るとき種子を持って降り、6月
16日に収穫した種子をもって帰るという。

 青森県では、農神さまの日には餅をついて供え、山から下りてき
た農神さまは田畑を回るという。また農神さまはこの日に臼に入る
ので、夜中に臼をたたきその音を聞かせるという。この地方では春
の彼岸にはいると種漬け作業がはじまり、3月下旬から各地で田打
ちがはじまります。

 岩手県ではノガミオロシ(農神おろし)といって、オトシガミサ
マ(お年神さま)といい、この日に降りて農神さまになるのだとい
っています。そのため、あずきもちかあずきだんごを作ります。

 朝、どこの家よりも早く杵の音をさせた家に農神さまが入ってく
るといい、その家の作物のできは豊作なのだそうです。

 茨城県の県北地方では「田の神おろし」といい、2月10日未明に
行ったという。正月に使った松の木をいろりで燃やして、煙が立ち
上ったとき、空臼(からうす)を杵で3回たたくという。この臼を
たたく音で田の神が煙に乗って降臨されるのだといいます。

 その後、米の粉を湯でねってだんごを作り、一升ますに山に盛り
ます。神棚のオカマサマ(かまど神)に供え五穀の豊作を祈願。み
んなそろってタノカミダンゴ(田の神だんご)を食べたという。

 このように以前は、稲作は神から授かったものだとし、田植えか
ら収穫までを神に感謝しながら農作業に精を出したのです。(かつ
ては旧暦で行われたこれらの行事も、いまでは新暦と混乱していま
す)
(13)

 

………………………………………

▼十六だんご

 3月16日に、だんごを供えて田の神を祭る習慣があります。東北
地方に多い祭りで、十六の数字にちなんで大きなだんごを十六個つ
くります。月の16日は田の神が山から田んぼに下る日とされていま
す。10月16日にも同じ祭りをし、この日に神が田の収穫が終わり、
山に帰るといいます。

 青森県では3月16日を農神下ろしといって神が山から種を持って
きてくれるといい、十六だんごを供えました。新潟県にも3月16日
を田の神迎えというところがあり、まれに2月16日とする村もあり
ます。そして10月16日はトキノヒとかお斎日といい、朝から山には
いるのをつつしむという。

 岩手県や青森県などでは、16日に農神が天から降りてきて12月16
日に登るとする地方が多い。なかにはオシラサマと同じ神のように
考えて3月16日にオシラサマを祭る所もあり、また雪神さまと農神
さまが交代をする日だといういう地方もあります。

 宮城県ではノウズラさまという神が3月16日に種を持ってきてく
れるといい、アズキだんごを十六桝供えます。当地での神の帰る日
は早く、6月16日に収穫した種を持って天に登っていくという。

 北関東では、1月15日の小正月に十六玉、十六花というものや八
段の削掛二本、十六段一本を飾る村があります。また、ミズキの枝
に十六個のまゆ玉をつけたりするのも十六だんごと関係のある行事
です。
(14)

 

………………………………………

▼つみ草

 外の日ざしもすっかり春めいて家にいるのがもったいないような
日が続きます。

 日当たりのよいところではそろそろフキノトウ、ツクシ、セリな
どの野草が出はじめています。気の早い人でしょうか、あちこちの
土手やあぜ道で若菜をつむ姿も見かけます。これも田園の風物詩の
ひとつです。

 つみ草は、いまでは野趣を味わうための遊びになっていますが、
野菜栽培が本格化する以前は副食採集の年中行事的な仕事のひとつ
だったそうです。

 聞きかじりの受け売りですが「万葉集」巻一にも「籠(こ)もよ
み籠持ち掘串(ふくし)もよみ掘串持ちこの岡に菜採(つ)ます児
(こ)……」とあり、また若菜の種類としてはヨメナ、フキのほか
ショウロなどのキノコ、タケノコなどの10数種だったそうです。

 そもそも食用として若菜を摘むことは平安時代のころ、宮中でと
り入れた、正月のいちばんの初めの子(ね)の日に、郊野で行なっ
た「子(ね)の日の遊び」や、食用の草の芽を引き抜く「小松引(こ
まつひき)」の行事がもとだという。

 1月7日の「七草がゆ」はそれのなごりです。「桃の節供」の草
もちもその1種だとか。かつては一家総出でワラビとりに出かけた
り「山の口あけ」といって日を決めて村中でそろってつみ草に出る
行事があったそうです。

 私の家からほど近くに千葉県と東京都の間を流れる江戸川があり
ます。映画の「寅サン会館」もあり、休日にはあの「矢切の渡し」
が盛況です。その土手に生えているのがノビル。時々、掘り出した
ノビルをさかなにして、カンビールを飲みながら寝転がったり、河
川敷の野球の試合を見たりしています。
(15)

 

………………………………………

▼春の彼岸

 春分の日を中日として、その前後それぞれ3日と中日を入れた7
日間を、春の彼岸といっています。

 彼岸とは字の通り、彼の岸、向こう岸のこと。生死を境にしてあ
ちら側は悟りの世界、こちら側は此岸(しがん)といって、欲望う
ずまく煩悩世界なのであります。

 彼岸にはお墓参りに出かけます。これは仏教の西の法には仏や菩
薩の住む浄土があるという、西方浄土説と、太陽が真西に沈む春分
(秋には秋分)とが結びついたものだそうです。

 日本で初めて彼岸の供養をしたのはむかしむかしの大昔、廃案時
代は延暦25年(806)。そんな伝統のある行事ながら、彼岸会の法要
は日本だけのものと言うからなんともオドロキです。ついでながら
春に作るのは“ぼたもち”、秋のは“おはぎ”といっています。
(16)

 

………………………………………

▼(17)ぼたもち

 お彼岸につきものの「ぼたもち」。正式には「ぼたんもち」とい
い、形がボタンの花のようなので付いた名前だという説、またまる
く太ってボタボタした感じだから、という説もあります。さらには、
くず米(ぼた米)でつくったもちだからとか、野暮ったい菓子とい
う意味からついたものといわれています。

 春につくるのがぼたもちで、秋につくるのがおはぎ(はぎのもち)
だといい、また見た月で「あん」をつけたのがぼたもちで「きな粉」
をまぶしたのをおはぎと呼んだりしますが、いまではごっちゃにな
っています。

 炊きあげた飯をすりばちでつぶしてつくるため、餅をつくおとが
しなく、いつついたか隣の家でもわからないというので隣知らず、
夜舟、北の窓、奉賀帳(つく所もあればつかないところもある)な
どの異名もあります。
(17)

 

………………………………………

▼ 春 分

 春分の分は「ひとし」と読み「呂氏(りょし)春秋」という中国
の書にも「この日や、日夜分(ひと)し」と出ています。中国では
この前後を農作業を始める時期として、春分にカラスに似た鳥がニ
ワトリより早く「架々格々」と鳴くのを聞いて田ンポに入ったそう
です。

 この日は彼岸の中日でもあります。彼岸は梵語(ぼんご)の波羅
密多(はらみた)という仏教用語の訳「到彼岸」を略したものだそ
うです。生死の境の此岸を去り涅槃(ねはん)の彼岸に至るという、
なにやらありがたーい意味らしいです。

 お中日には各地でいろいろな行事が行われます。千葉県館山市で
はこの日、午後3時になると太陽が輝きを増すという。これはオテ
ントサマが病気の人にかわって患らうからだといい、おかみさんた
ちが集まって拝みます。

 静岡県では箱根山中の日金山に登れば、死んだ人に会えるといわ
れ、鹿児島県でも烏帽子岳に登る習慣があるそうです。

 お墓で火をたき「じいな、ばあな、この明かりで来とうらえ」と
祖霊を迎える所も(秋田県)にあるそうです。

 また宮城県では彼岸の中日に、ヒゲのついたトコロイモをお墓に
供えるという。トコロイモに生えているひげは仏さまとの縁をつな
ぐものだといいます。また海岸の黒石を供えるところもあり、佐賀
県では彼岸だんごを木の枝につけて供えたりするそうです。
(18)

………………………………………

▼春祭り

 春夏秋冬、季節季節にそれぞれの祭りがあります。広い意味での
春の祭りは年始めの農作の予祝行事も含まれるそうですが、やはり
春祭りといえば陽春の季節に行われる神社の祭典、むら単位または
各家々で行う祭りをいっています。

 なかでも神社の恒例の祭典は、旧暦で春は2月、夏は4月、秋は
7月、冬は11月に行われるよう、飛鳥時代の大宝令(701・大宝元
年)で決められていたという。

 春祭りによく各地の有名な神社などでは、祭ってある神さまを奥
宮から里宮へ移す行事が行われます。これは農作業をはじめるにあ
たって、農業の神を里にお迎えするのだそうです。

 そして順調に農作業が進み豊作になることを祈願します。また同
時に、春の暖かさで活動をはぞめる疫神や悪霊をあらかじめ封じよ
うとする目的もあるそうです。

 春は「晴(はれ)の祭り」の省略だろうと民俗学者の折口信夫博
士がいっています。「冬ごもり」という言葉がありますが、冬ごも
りは春祭りの前提で、暖かくなり冬ごもりが終わり、裸になって歌
い舞うことが「晴」だとしています。各地に残る裸祭りの由来もこ
こからきているという。

 岩手県下で行われる春祭りに、旧暦2月に行われる人形祭りがあ
ります。2月8日に、門口にわら人形を立てて串だんごをつける地
方もあるという。花巻市では男女の人形を左右の門に立て、病魔が
入って来るのを防ぐという。

 遠野地方では2月10日に、人形を立てたり、家族の分だけのだん
ごをわらヒゴに通し木にかけておき、カラスの食べ方で病気・災厄
を占ったそうです。

 これらはもともとは、人形にけがれを託して払い、送り出してい
たものだろうといわれています。

 しかし、このような祭りの本当の意味はいつのまにか忘れられ、
いまではうららかな陽のもとでただ祭礼気分に酔って、一日を楽し
く過ごそうとするだけになっています。
(19)

 

………………………………………

▼春の社日

 春分、秋分にいちばん近い戊(つちのえ)の日は社日といい、も
ちやだんごを供え、地神や田の神を祭ります。春の社日を春社、秋
のものを秋社といいます。この日は地の神の休息日なので、鍬や鎌
など金物を避け、また土を掘り返すと悪いことが起こるともいわれ
ます。

 これは中国から伝わった習俗で、「社」とは土地の守護神、部族
の守護神のことで、のちに、村落自治体の意味になったという。日
本の社日は旧暦の2月と8月とし、春の社日に種をまき、秋の社日
に刈り取るようにしていたという。そして春社に田の神が山から降
りてきて、秋社に帰っていくと考えました。

 しかし一般では、必ずしもその日に関係なく、農神や地神、田の
神を祭ります。東京付近では3月18日が地神講、東北ではふつう3
月16日が農神降り、会津での地神くだりは2月中とさまざまです。

 名前も「お社日さま」(長野県小県郡)とか、社日がなまって「さ
じの日」(大分県日田地方)、「お地神さま」(徳島県)といっている
そうです。

 神には十六だんごやあずきもち、あずきだんごを供えます。山か
らタネを持って降りて来てくれる農神のために、もちをつくときは、
朝どこの家よりも早くきねの音をさせて迎えるのだといいます(岩
手県)。京都の中郡では「日の供(とも)」といって、社日の朝、東
の社寺で日の出を迎え、南へまわり西で夕日を送る行事や、福岡県
博多ではお潮斎(しおい)取りという行事もあったそうです。

 またこの日、耳の不自由な人に治聾酒(じろうしゅ)という酒を
飲ませると治るなどの俗信があって、耳の遠い子にも酒を飲ませる
風習があったらしい。

 しかし、なんといっても社日は、田の神が山から下りて来る日。
田畑をまわり、秋の社日まで作物の豊饒につくしてくれるその神に
感謝をする日です。

 江戸時代には春社、秋社とも参詣人でにぎわったという。彼岸に
お寺参りの人が多く、それを見た神社がひがんで社日を盛んにした
という説もあります。そういえば両方とも春と秋、2回あります。
(20)

………………………………………

▼なたね梅雨

 ナタネの花の咲くころ、3月下旬から4月上旬にかけ、天気がぐ
ずつき、底冷えのする雨が毎日続くことがあります。これを春りん
とかなたね梅雨などと呼んでいます。

 ちょうどこのころは、サクラの花が咲くころでもあり、この長雨
は、花の咲くのを促進するという意味の催花(さいか)が、またナ
タネの花(菜の花)の"菜花(さいか)”に通じているので、なたね
梅雨と呼ぶようになったのだそうです。しかし、この冷雨は開花を
促すよりは、おさえてしまうことが多い。

 この雨は、あまり強くない高気圧だ北緯40度より北を通る時、本
州の南の沿岸沿いに東西にはしる前線が停滞、その上を次々に低気
圧が通り、梅雨と同じ状態になっています。ただ、梅雨と違い、毎
年あらわれるわけではなく、また梅雨末期のような集中豪雨がない
のが特徴です。

 この気圧配置になると、10日位もつづくことが多く、満州にあら
われた低気圧が日本を抜けるまでくずれません。
(21)

 

(3月終わり)

……………………………………………………………

4月へ