『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑

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▼09-21「馬頭観音

【略文】

機械化されていなかったころ、水田の耕作や運搬など力仕事はすべ
て馬に頼っていました。農家は馬を大切にし住まいと一緒に厩屋を
つくり、寝起きをともにして家族同様の生活をしました。いまでも
「馬力」は力の単位になっています。村はずれなどにある馬頭観音
はこのような大事な馬の供養塔。変化観音のひとつです。

▼09-21「馬頭観音

【本文】
山深いいなか道を歩いていると、道ばたに馬の顔を彫った石像がこ
けにまみれて建っています。かたむきかけた塔に馬頭観音と文字を
彫ったものもあります。馬頭観音は変化観音のひとつで馬の供養
塔です。文字通り馬の頭を持つ観音さまです。

形はただの文字塔だったり、馬の顔を頭に乗せた像などいろいろ
です。馬頭観音は馬頭観世音の略で、馬頭菩薩、馬頭大工、馬頭
明王ともいい、六観音の一つでまた八大明王のひとつでもあります。
魔障を払い、慈悲を給う菩薩です。

農業がまだ機械化されていなかった昔は、水田の耕作から作物の
運搬、人の運送まですベては馬を頼りにしていました。農家は馬
をそれは大切にし、厩舎(うまや)を住まいと一緒に建て、共に
寝起きして家族同様の生活をしました。いまでもカの単位に「馬
力」を使ったり、「馬力のあるヤツだ」などといったりします。

昔から武士は、「槍一筋は百石の侍、馬一頭は二百石の侍」といわ
れてきましたが、武士に限らず農家でも馬がいるかいないかで、
その家の裕福さの度合いがわかったという。また祭りなどには、
腹かけをかけをして着飾り、祝いの行列に参加させるなど、馬は
特別な待遇を受けていました。

こんな大事な馬ですから、死んだら峠や山道、死馬捨て場などに
馬頭観音塔を建立して供養、同時に他の馬の無病息災を祈ります。
馬頭観音塔の中でも、自家で飼っていた馬を供養するために建て
た塔は概して小型です。これに対して大型のものは、馬持ち講中
など牛馬に関係のある職業集団や、馬頭講、観音講の講中の造っ
た像が多い。この場合は、不特定の馬の供養であり、馬の無病息
災の祈願が込められているのだそうです。

馬頭観音は、馬頭金剛明王ともいい、もともとは馬の守り神とは
関係ない仏さま。観音のなかではめずらしくこわい顔をしており、
3つの顔にそれぞれ3つの目があり、ひとつはは眉間にたてにつ
いています。口からは牙までつきだしています。これは悪に染ま
った人々の度胆を抜き、威力で魔性を打ちくだき、導こうとする
勧善懲悪の姿だといいます。

馬頭観音は、紀元前1200年にインドで編さんされた『リグ・ベー
ダ』に出てくるペードウ王の神話が起源だといいます。いつも毒
蛇に苦しめられていたペードウ王を、神から授かった駿馬が毒蛇
と戦い退治してくれたという神話です。馬頭観音の恐しい顔は、
その時の奮闘の姿をあらわしているといいます。また、ヒンズー
教神話の、シバ神とならんで有名なビシュヌ神は、悪魔を退治す
るため10の動物や英雄神に姿を変えるといい、その化身のひとつ
が仏教にとり入れられ、馬頭観音になったともいわれています。

頭に馬をのせている馬頭観音塔もあります。これは世界を統一す
る力をもっているという転輪聖王(てんりんじょうおう)の馬が、
四方をかけめぐって魔性を蹴散らし、邪悪な心を喰いつくす意味
だという。のち六道の畜生道救済の意味からいつの間にか馬の守
り神にされ、塔に建立されるまでになったのだそうです。

馬頭観音は悪人をこらしめ、諸病をとり除き、天変地異を防ぎ、悪
人との論議得勝を祈るためにまつります。また天台大師の「摩詞止
観(まかしかん)」第二では師子無畏観世音と名づけ、六観音(聖
観音、千手千眼観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪觀音、准胝(じ
ゅんてい)観音)のひとつ、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、
天上)の中の畜生道の救済にあたる仏尊になっているのだそうです。

しかし、こんな小ムズカシイことはさておき、農山村の馬頭観音は
あくまでもわが家の労働力であり、働き手である馬の供養と安全と
健康を祈るためのものです。馬頭観音の信仰は、弘法大師の入唐
以来日本に伝来したといい、大分県大分市の平安時代の五尊磨崖
仏の中にも馬頭観音雪石仏があったという。鎌倉時代、武家社会
のなかで馬は大事な武器であったことからこの信仰が流行したと
いう。江戸時代になると馬頭信仰はすっかり定着。馬の守り神と
して民間に広まり、江戸時代中期には道ばたに石像が建てられる
ようになりました。

路傍の馬頭観音の像は、一面二臂、三面六臂や三面八臂像が多く、
両方ともに立像と座像があります。頭の上の馬は一頭のものがふ
つうですが、栃木県那須町には頭上に五頭刻んだ塔があるとか。
これら複数のものは、その刻んだ頭数の供養を意味するのだとい
う。また、一基に一面二臂像を二体彫った双体馬頭観音像も山梨
県塩山市にみられます。馬頭観音には像だけでなく、角柱や自然
石に馬頭観世音、馬頭尊、馬頭宮、馬頭大士などと、文字だけの
ものも多く、これは像のものより新しいという。

馬とならんで人間の役に立ったのがお牛サマ。馬ばかりでは片手落
ちです。そこで牛頭観音というのを作りまして同じように道ばたに
まつってあります。牛馬一緒の石碑も時折り見られ、牛馬観音と書
かれて牛、馬の絵が彫られています。なかには「豚頭観音」まで
あります。


▼【参考文献】
・『信州の石仏』曽根原駿吉郎(文一総合出版)1980年(昭和55))
・「石仏紀行・日本発見」(暁教育図書)1980年(昭和55)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本の民俗・全47巻』(第一法規出版)昭和46(1971)年〜昭
和50(1975)年
・『ふるさとの神々なんでも事典』とよた 時(富民協会)1989年
(昭和64・平成1)
・『仏さまの履歴書』市川智康(水書房)1979年(昭和54)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『目で見る民俗神3』萩原秀三郎(東京美術)1988年(昭和63)
・「宿なし百神」川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)

 

 

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