『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑
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▼09-18「巳待塔」
【略文】
巳待塔は己巳塔(きしとう)ともいい、巳待講の人たちが供養のし
るしとして建てました。巳待は、暦にある十二支の巳(み)の日に、
おこもりをする日待の一種の行事です。巳の日だけでなく己巳(つ
ちのとみ)の日に夜遅くまで起きていて供養します。巳待講の本尊
は、長寿・財宝・災難除けの神の弁才天だそうです。
▼「巳待塔」
【本文】
村はずれの辻に、蛇の絵文字のようなマークが彫られた石塔があ
ります。巳待塔(みまちとう)です。巳待塔は己巳塔(きしとう)
ともいい、巳待講の人たちが供養のしるしとして建てました。
巳待は、暦にある十二支の巳(み)の日に、おこもりをする日待
の一種の行事です。巳の日だけでなく己巳(つちのとみ)の日に夜
遅くまで起きていて供養します。また、巳待の文字の意味から前日
の戊辰(つちのえたつ)の日に行い、巳の日を待ったところもあっ
たそうです。かつて千葉県の富津市の巳待講は毎月前日の辰の日に
に行ったといいます。なるほど、竜は蛇の仲間なのですね。
巳待講の本尊は、長寿・財宝・災難除けの神の弁才天で、七福神
の一神。この神は室町時代からあがめられてきたのだそうです。弁
才天は、十二支の巳から蛇に対する信仰と関係しているところから、
宇賀神や水神とも関連し、水をつかさどり作神にもなっています。
また、東北の金華山信仰と習合して、蛇は弁才天の使者だとも考え
られました。
巳待塔で全国で一番古いものは、佐賀県鹿島市にある石祠の塔だ
という。戦国時代真っ最中の永正9年(1512)の文字があるそうで
す。また、関東で古いのは群馬県前橋市総社町日枝神社の石祠で、
江戸初期の寛永18年(1641)の文字があるといいます。
巳待塔には文字塔と、神の像を彫った刻像塔があります。文字塔
は「巳待塔」とか「己巳塔」、「巳待供養塔」、また「弁才天」「弁才
天宮」などと書かれています。江戸中期から後期にかけてのものが
多いのは、流行した時期があらわれているのでしょうか。
刻像塔には、弁才天像や宝珠像、人面蛇神像があり、刻像塔には、
腕が二臂のもの、六臂、八臂像があり、右手に剣、左手に宝珠を持
っています。また琵琶を弾く形はおなじみでよく見かけます。
人面蛇神刻像の巳待塔は、長野県北八ヶ岳白駒ノ池近くの麦草峠
付近にもあり、埼玉県秩父市山田の金昌寺、群馬県前橋市などにも
見られ、頭が人の顔で、体はとぐろを巻いた蛇、まさに宇賀神の姿
です。
その他、栃木県日光や群馬県桐生市にあるように,6宝珠型につく
った石に宝珠型の穴を掘った石塔もあります。
▼【参考文献】
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本の民俗・宮城県』
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
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