『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑

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▼09-17「月待塔03」二十四夜/二十五夜/二十六夜/
二十七夜/二十八夜/二十九夜


【略文】

二十四夜待は鹿児島県竜郷村で行われた月待。二十五夜待は同じ
竜郷村で、また椅玉県庄和村でも赤飯を供えたそうです。二十六
夜待は、1月または7月の二十六夜に月を拝みながら供養、願い
をかけてみんなで飲食する月待です。二十七夜待は以前福岡県で
行われた記録があるという。二十八夜塔は山形市と福島県に供養
塔があります。

▼09-17「月待塔03」二十四夜/二十五夜/二十六夜/
二十七夜/二十八夜/二十九夜

【本文】
 ▼二十四夜待は鹿児島県竜郷村で行われた月待。1、5、9月
の24日夜、サカキとだんごを月に供えたとの記録があります。
 ▼二十五夜待は、鹿児島県竜郷村でやはり同じ月の25日夜、だ
んごを供えて精進供養しました。椅玉県庄和村では7月25日の月
に赤飯を供えたそうです。

 ▼二十六夜塔は、二十六夜待講中で建てた供養塔です。二十六
夜待は、1月または7月の26の夜に月を拝みながら供養、願いを
かけてみんなで飲食します。本尊は災害よけ、縁結びに霊験のあ
る愛染明王という仏さまで、この明王の絵像や「二十六夜尊」と
書かれた掛け軸を掛けて礼拝します。

 農家では豊作を、商人は商売繁盛を祈ったという。また愛染明
王を守り神とする染め物業者もこの月待をしたり二十六夜塔を建
てるといいます。二十六夜の月待は近くの丘や山に登って、また
海岸に出て月を拝む風習があるそうです。ここ山梨県都留市と同
県秋山村にもそれぞれ同じ名前の二十六夜山があって、かつては
供養に登ったそうです。

 都留市の二十六夜山(1297m)は角柱の石碑が建てられ、江戸
後期の「嘉永七年(1854)七月二十六日」の銘があります。山麓
の法能集落の人たちが造立したといわれています。

 秋山村の二十六夜山(972m)には丸い自然石の塔が建てられて
います。この塔は明治22(1889)年旧暦7月に建てられたもので、
その時の趣意書には、「藍膳明王(あいぜんみょうおう)ハ、万民
ノ諸悪災害ヲ防御シ且ツ養蚕ノ守護神ニシテ信シテ験アルハ弁ヲ
俟スシテ人ノ知ル処ナリ。……毎年祭日旧三月九月二十六日と定
ム」と、浜沢地区側登山口の説明板にあり養蚕の神だとしていま
す。

 また下尾崎側登山口にも説明板があって、それには「旧正月と
七月の二十六日の夜半に月の出を待つ…」とあります。

 ▼二十七夜待は以前、福岡県の若宮町で奇数月の27日の夜に勢
至菩薩の掛け軸を掛けて行われた記録があるという。

 ▼二十八夜塔:山形市に江戸後期の二十八夜塔があり、前出の
鹿児島県竜郷村1、5、9月の28日の夜にだんごを供えて行った
という。

 ▼二十九夜塔:福島県長沼村に江戸中期の二十九夜塔があり、
埼玉県北川辺村でもかつて二十九夜待が行われたといいます。


▼【参考文献】
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本大百科全書・15』(小学館)1987年(昭和62)

 

 

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