『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑

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▼09-16「月待塔02」(七夜塔、十七夜塔、十八夜塔、
十九夜塔、廿日夜塔、二十一夜塔、二十二夜塔、二
十三夜塔)


【略文】

旧暦17日〜23日まで行う七夜待は、本尊をそれぞれ決められてい
るという。それも毎日違う本尊なので、7日間連続、毎夜本尊を変
えるのは大変です。そこで七夜待をちゃんと7日間行うのではなく、
一夜を選びだして、行ったものが十八夜待とか十九夜待、二十二夜
待になったのではないかといわれています。

▼09-16「月待塔」02

【本文】
 ・【七夜待塔】これは一番前に持っていくべき数字ですが、七夜
待とは7日の夜に月を待つのではなく、17日〜23日(旧暦)まで
の7日間、月待をしたものだとい、また十七夜待の「十」を略して、
ただ七夜待という場合もあるとのことなので、十六夜塔のあとに持
ってきました。山梨県大月市福寿庵に、また山形市雁島公園に七夜
供養塔があると聞きます。

 旧暦17日〜23日まで行う七夜待は、本尊を「文殊日礼」や「七
七夜待之大事」、「七夜待本尊之事」という難しいもので決められて
いるのだそうです。それも毎日違う本尊なので、7日間連続、毎夜
別の本尊をまつるのは容易なことではありません。そこで七夜待を
ちゃんと7日間行うのではなく、このうちの一夜を選びだして、行
ったものが十八夜待とか十九夜待、二十二夜待になったのではない
かといわれています。

 15日の夜から月の出は次第に遅くなり、いろいろな呼び方をさ
れます。十六夜を「いざよい」といいます。遠い山の端にいざよい
(ためらう)ながら出ることだといいます。同じように十七夜を「立
待月(たちまちづき)」といい、立ちながら待つうちに出てくる月
とし、十八夜(居待月(いまちづき))は差し居て待つ、十九夜(臥
待月(ふしまちづき))は月を伏して待ち、二十日は、夜も更けて
から出る月なので更待月(ふけまちづき)といいます。これらの呼
び方はみな七夜待のそれぞれの日に本尊を配した習慣から来たのだ
そうです。順を追ってまいります。

 ・【十七夜塔】本尊は「文殊日礼」では千手観音、「七七夜待之大
事」では正観音。「七夜待本尊之事」では千手観音になっています。
いちばん古い十七夜塔は、名古屋市塩入町の浜神明社のもので、安
土桃山時代の天正17年(1589)のものではないかといいます。東
京都奥多摩石尾根の南麓・留浦下には江戸時代中期・宝永元年
(1704)の十七夜待の本尊である千手観音(せんじゅかんのん)ら
しい刻像の十七夜塔があるそうです。

 ・【十八夜塔】本尊は「文殊日礼」、「七七夜待之大事」、「七夜待
本尊之事」の順でそれぞれ、正観音、千手観音、正観音。十八夜待
は1月、5月、9月、11月(地方によって多少違う)の18日に行
われ、月に餅をついて供えるのが特徴という。東北の青森県、岩手、
宮城、秋田、福島、山形県などに石塔があり、また千葉県富山町で
もかつては9月に行われ、新しく収穫した米で餅をつき十八夜の月
に供えて十八夜待をしたという話が残っています。

 ・【十九夜塔】十九夜講は大字や小字単位で行われ、ほとんどが
女性の講。当番の家またはお堂などに集まり、如意輪観音の掛け軸
をかけ、般若心経やご詠歌をあげて勤行が行われ、安産や子育てな
どの祈願をしたという。それが終わるとみんなて食べたり、おしゃ
べりに入ります。

 十九夜待の仏像を彫った塔は、ほとんどが如意輪観音ですが、聖
観音、また女性の講だけあって子安観音のものもあります。文字塔
には十九夜、十九夜塔、十九夜供養、十九夜念仏供養と書かれてお
り、東北南部、関東に多く、まれに長野、奈良、京都に分布してい
るという。筆者実家の隣市千葉県船橋市旭町行々林(おどろばやし)
地区は石塔の多いところで、最近造立の十九夜塔も建っています。

 ・【廿日夜塔】(はつかやとう)。この月の供養塔はあまり多くは
見られなく東北地方に建立されているという。宮城県には廿日待と
か廿日需、廿日夜供養、廿日需供養などの石塔があるそうです。需
はいうまでもなくマチであり待。祭りの意味でもあるといいます。

 ・【二十一夜塔】二十一夜待はやはり女人講で月待念仏講です。
群馬県の前橋よりほぼ北側が二十一夜の塔の分布地帯だといいま
す。ほとんどは「文殊日礼」での本尊・如意輪観音の掛け軸の前で
念仏をあげます。しかし、「七七夜之大事」、「七夜待本尊之事」で
は二十一夜待の本尊は、准胝観音になっています。そのせいか、赤
城地方には准胝観音(じゅんていかんのん)を彫った像塔もありま
す。

 ・【二十二夜塔】二十二夜塔の石碑も多く見かけます。如意輪観
音の像や「二十二夜」、「二十二夜供養塔」の文字が書かれた石塔が
多い。如意輪観音像を彫った塔は、二手のものが多く、四臂、また
丸彫りの像もあります。ほとんどが座像ですが立った像もあるとい
います。

 二十二夜待はただ二夜待ともいい、ほとんどが女性の講です。し
かし塔に刻んである世話人の名は男の名が多い。旧暦正月の22日
や7月22日、また8月22日に「二十二夜尊」の掛け軸をかけて、
月の出を待ちます。埼玉や群馬県に多く、長野、新潟、山梨、岐阜
県などにも広く分布しています。群馬県で男性は二十三夜待を、女
性は二十二夜待をすることになっており、女性が男に比べて一日早
いのは.このあたりは「かかあ天下」だからとのことでした。


▼【参考文献】
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)

 

 

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