『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑
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▼09-14「二十三夜塔」
【略文】
かつて農村には特定の月齢の夜にお堂に集まり、月をまつって病
気の平癒祈願をする講がありました。それが月待講です。その講
中が建てたのが月待塔。月待塔にはいろいろなものがありますが
一番多いのはこの二十三夜塔です。この塔はとくに関東と長野県に
多いようです。二十三夜塔には刻像塔と、文字塔、板碑があります。
▼09-14「二十三夜塔」
【本文】
農山村に行くと、路傍にいろいろな月待塔を見かけます。かつて
農村には特定の月齢の夜にお堂に集まり、月をまつって病気の平
癒祈願をする講がありました。それが月待講です。月待は毎月行
われるのではなく正月、5月、9月の3回とか、正月、11月の一
定の月の出を待ち(祭り)ます。月待の「待(まち)」は祭の意味
ともいう。その講中が建てたのが月待塔(つきまちとう)です。
月待塔には、十三夜塔から二十九夜塔までのほとんど各夜があり
ますが、一番多いのはこの二十三夜塔のようです。三夜塔とか三
夜供養と呼ばれ、これに参加する人々を二十三夜講中といいます。
この塔は全国どこにでもありますが、とくに関東地方と長野県に多
いようです。二十三夜塔には仏像を彫った刻像塔と、文字だけの文
字塔、仏さまの種子を彫った板碑があります。
虚空蔵塔では二十三夜待の本尊・勢至菩薩(せいしぼさつ)を刻ん
だ石塔が最も多い。ほかに阿弥陀、観音、月天、月天子、大日、地
蔵、六地蔵なども見かけます。東京都民の山・奥多摩の高水三山の
南ろく青梅市沢井地区には、江戸前期の元禄8年(1695)の二十三
夜の月待供養塔があり、聖観音像と「月待供養」と刻んであります。
また「御月待供養」の如意輪観音像塔も同地区にあるという。
文字塔に多いのはだんぜん二十三夜と彫った石塔です。各地の山か
ら下山して山ろくの村を散策して目につくのは、ほとんどこれか、
二十三夜供養塔と刻まれた石塔。また大勢至菩薩とあるもの、なか
には神道の月夜見命(つきよみのみこと)や月読尊と彫ったものま
であります。
二十三夜待の行事は、毎月(旧暦)の二十三夜に行うところや、ま
た1、5、9、11月、あるいは1、6、9月、その他、1、2月
だけなど、地方によってさまざまです。男性だけで行う月待講もあ
れば女性だけの地方もあるという。この二十三夜待で17日〜23日
(旧暦)までの7日間連続して月見を行うのを「七夜待」というそ
うです。
▼【参考文献】
・『信州の石仏』曽根原駿吉郎(文一総合出版)1980年(昭和55)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本大百科全書15』(小学館)1987年(昭和62)
・『日本の石仏7』(南関東篇)大護八郎編(国書刊行会)1983年
(昭和58)
・『日本の民俗・全47巻』(第一法規出版)昭和46(1971)年〜昭
和50(1975)年
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『柳田国男全集16』柳田國男(筑摩書房)1990年(平成2)
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