『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑

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▼09-13「十五夜」

【本文】
 十五夜塔という石塔もあります。これは十五夜の念仏講(結社)
で建てたものだそうです。十五夜塔には、「文字塔」と「刻像塔」
があります。そのほかに石塔にはなっていませんが、石の板に刻ん
だ「板碑」もあるという。

 文字の十五夜塔は、各地に見受けられ、茨城県の利根町には、明
和4年、9年、安永2年、4年、天保7年など、江戸中期から後期
の塔が多い。一方、石塔に像を刻んだ刻像塔」には、「大日如来の
十五夜塔」と、「聖観音像の十五夜塔」があります。

 まず「大日如来の十五夜塔:茨城県守谷町の香取神社にある十五
夜念仏塔は、大日如来を刻んであって、寛文12年(1672)江戸前
期に造立したもの。同県守谷町の光背型の塔は1年遅れて寛文13
年の建立とあります。「奉果十五夜念仏結衆○母三十六人、現世繁
盛後生乗蓮祈所」と、刻んであります。

 次に「聖観音十五夜塔」。やはり茨城県の取手市の不動院には、
聖観音を彫った十五夜塔があり、上の方に「サ」の文字と、雲に乗
った日月、さらに「爲拾五日念仏供養、大宿村結衆」とあります。
これはもっと後の元禄16年(1703)建立の塔です。いま分かって
いる一番古い十五夜塔は、香取神社にある十五夜念仏塔の寛文12
年(1672)江戸前期のものだそうです。

 しかし、石塔ではない「板碑」には、さらに古いものがあるらし
い。埼玉県埼玉県小川町腰越の能満寺の板碑は、ずっと古い、弘安
9年(1286・鎌倉時代)製造といい、「毎月十五日一結衆」とある
という。

 これからみると、中世以前からも人々は十五夜の満月の夜には、
特別な感覚があって、十五夜の行事を行ってきたようです。石塔で
はない板碑であっても、「十五日云々」とあるものは、十五夜塔と
みてもよく、これらは十五夜塔へ発展する前の段階ではないかと専
門家はいっています。


▼【参考文献】
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本大百科全書11』(小学館)1984年(昭和59)

 

 

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