『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑

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▼09-12「月待」

【略文】

村はずれやお寺の境内などに「二十三夜塔」などと書かれた石塔が
建っているのを見かけます。これは月待講(つきまちこう)が建て
た月待塔です。かつて農村には特定の月齢の夜にお堂に集まり、月
をまつりながら月の出を待って病気の平癒祈願をする講がありまし
た。その供養のしるしに造立したのが月待塔だそうです。

▼09-12「月待」

【本文】
お寺の境内やとなり村につづく辻などに「○○夜塔」と書かれた石
の塔が建っています。二十三夜塔・二十六夜塔などいろいろな数字
が入っている月待塔です。かつて農村には決まった月齢(新月をゼ
ロとして数える日数)の夜に地区のお堂に集まり、掛け軸などで月
をまつり病気が治るよう祈願しながら月の出を待つ月待講という講
があったそうです。月待塔はその供養のしるしに建てたもの。

月待塔は三日月、七夜、また十三夜から十四、五、六、七、八、九、
廿、二十一、二、三、四、五、六、七、八、二十九夜までほとんど
各夜の月待塔があります。そのほかどの夜にも通用するようただ「月
待」と刻んだだけのものもあります。なかでもふつうよく見かける
のが二十三夜塔です。

二十三夜塔は全国各地に分布していて月待塔としては一番一般的な
ものです。次ぎに多いのは十六夜塔、十八夜塔、十九夜塔、二十二
夜塔、二十六夜塔です。しかし全国的に分布しているわけではなく
地域的偏在しているという。そのほかまれではありますが居待供養
塔というのもあります。

お月見をする時、月の出を待つ呼び方に十六夜を「いざよい」とい
います。十七夜を「立ち待ち」、十八夜が「居待ち」です。そんな
呼び方から居待供養塔は十八夜と考えられています。また念仏供養
塔といっしょになったものもあって、○○夜念仏塔とか○○夜念仏
供養塔と書かれたものもあります。ただ、月待塔と念仏塔との区別
は専門家でも難しいといいますから厄介です。なんだか難しいもの
ですね。

いまわかっている月待塔の一番古いのは室町時代の月見供養塔の板
碑(いたび)だそうです。嘉吉(かきつ)元年(1441)年のものだ
という。月待ちの供養で古いのはやはり十五夜さま。平安・鎌倉時
代には十五夜の満月に向かいお経を読み、修行に励む行事があった
という。室町時代になると二十三夜の月待ちが行われるようになり、
供養の板碑も建てられはじめたということです。


▼【参考文献】
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本大百科全書15』(小学館)1987年(昭和62)
・『日本の石仏7』(南関東篇)大護八郎編(国書刊行会)1983年
(昭和58)
・『日本の民俗・全47巻』(第一法規出版)昭和46(1971)年〜昭
和50(1975)年

 

 

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