『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑
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▼09-05「青面金剛」
【前文】
峠や道の辻などで、青面金剛(しょうめんこんごう・せいめんこん
ごう)という字が入った石塔が建っているのを見かけます。これも
庚申(こうしん)の供養塔です。「青面」はセイメンともショウメ
ンとも読み、もともとは、映画「寅さん」でおなじみ帝釈天の使者
だったという。顔の色が青い金剛童子のことで、病魔や病鬼を払い
除くとされています。
▼「青面金剛」
【本文】
峠や道の辻などで、青面金剛(しょうめんこんごう・せいめんこ
んごう)という字が入った石塔が建っているのを見かけます。石塔
は、たなびく雲と太陽や月、下の方に「見ざる、言わざる、聞かざ
る」の三猿が彫られ、おっかない顔をした六臂(ろっぴ・六本の手)
三眼の憤怒相(ふんぬそう)。合掌型、剣人持型があり、索縄(さ
くじょう)、棒などをにぎり邪鬼を踏みつけた形をしており、病魔
や病鬼を払い除く神とされています。
これも庚申(こうしん)の供養塔です。「青面」はセイメンとも
ショウメンとも読み、もともとは、映画「寅さん」でおなじみ帝釈
天の使者だったという。顔の色が青い金剛童子のことで、病魔や病
鬼を払い除くとされています。青面金剛の初期の作品は、鎌倉時代
につくられた東大寺にある木製のものだという。その像は六臂で、
ハスの台の上に立っており、持ち物は剣以外は失われてしまい、何
を持っていたか不明だそうです。
「陀羅尼(だらに)集経・第九」というお経には四臂だと書かれ
ているそうです。「青面金剛呪法」というものにも、「もし、骨蒸伏
連伝尸気(でんし)病を患らう者、呪を誦(よう)すること千遍せ
ば、その病すなわち癒ゆ」とあるそうです。難しく書いてあります
が、つまりは、青面金剛は伝尸病(肺結核)を治す神なわけです。
この伝尸(でんし)が、道教での三尸(さんし)の虫の三尸と語
音が似ているので、庚申信仰と結びつけられたとされています。そ
の結果、人間の体にひそむ三匹の虫(三尸の虫)の本体は青面金剛
だということになります。
この三尸の虫というのは、ふだんは人間の体の中にいて、その人
間を監視しているという。「何月何日、どこで浮気、ホテル代、○
万円也」てな具合に手帳にビッシリ記入してあります。そして人間
が寝ている間に体から抜け出し、天に昇って天帝(帝釈天)に報告。
この罪の重さによりその人間の寿命が決まります。スネにキズを持
つ人間としては、それでは困ります。
この三尸の虫が天帝に報告に行かせないよう考えたのが「庚申待」
という行事です。村中の者がお堂などに集まり、ごちそうを食べな
がら徹夜して、三尸の虫が体の中から抜け出すスキをつくらないよ
うにしようというわけです。
問題の三尸の虫とは上尸、中尸、下尸の三匹の虫。上尸は顔のし
わを作り、髪を白くします。中尸は命を奪い精を悩ますのだという
ことです。病魔を追い払う青面金剛も、いつの間にか悪い虫に変わ
ってしまいます。庚申の申はサル、だから猿。どんどん変わってい
くのが日本の神のユニークなところなのであります。
石塔の中で、一番最初の青面金剛像を彫ったものは、神奈川県茅
ヶ崎市の八幡社にあるもので、四臂の青面金剛と二猿が刻まれた江
戸時代前期の1654年(承応3)の塔だといいます。また同市金山神
社のものもよく似た形で1655年(承応4)製です。
このような青面金剛像の石塔は、時代が下がるに従い数が多くな
り、各地で建立されはじめ、像の形も二臂、四臂、八臂などができ
てきて、持ち物も多種多様になります。また三猿、二鶏の像など合
わせて彫られるようになっていくのでした。
▼【参考文献】
・『信州の石仏』曽根原駿吉郎(文一総合出版)1980年(昭和55)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本伝説大系3』大迫徳行他(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本の石仏』(国書刊行会刊)1983年(昭和58)
・『日本の民俗・全47巻』(第一法規出版)
・『日本発見 石仏紀行』(暁教育図書)1980年(昭和55)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)
・『柳田國男全集16』ちくま文庫(筑摩書房)1990年(平成2)ほ
か
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