『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第9章 路傍の石碑
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▼09-03「甲子(きのね)」
【前文】
神社の境内や畑の農道わきなどに「甲子」と書かれた塔を見かけます。こ
れは「きのえね」と読む石塔だという。60日に1回おとずれる干支の甲子
の日に、村人が集まって大黒天の掛け軸をかけて礼拝するのが甲子講。
甲子待(まち)ともいい、掛け軸に二股ダイコン、ダイズ、クロマメを供えま
す。
▼「甲子(きのね)」
【本文】
畑の農道わきなどに「甲子」と書かれた塔を見かけます。これは
「きのえね」と読み、甲子講にまつられる神の石塔だという。
甲子とは、甲、乙、丙、丁、……と続く十干(じっかん)の甲(き
のえ)と、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)……と続く、
十二支(じゅうにし)の子(ね)にあたる年月日をいっています。
よくカレンダーや暦に書いてある「きのえね」「きのとうし」「ひの
えとら」などのあれです。
この日は、大黒天の縁日とされ、60日に一度訪れる甲子の夜、
村人が集まって大黒天の掛け軸拝んだのち、当番の家がつくったご
ちそうを、食べながら楽しく子の刻まで過ごすという甲子講です。
甲子待(こうしまち)ともいい、掛け軸に二股ダイコン、ダイズ、
クロマメを供えます。
これは現世の福を得るためだそうです。甲子の日でも記念すべき
講のときには「甲子」とか「大黒天」と刻んだ石塔や、福神の姿を
した像を建てたりしました。それが道ばたで見かける石塔です。
大黒天はインドでは、憤怒の形相のこわーい神でしたが、日本で
は大国主命(おおくにぬしのみこと)と、音が似ているために混同
され、福の神になり、また田の神や家の神にもなっています。
大黒天が、甲子さまの主尊になったのは、北方子の神が大黒さま
だからとか、大国主命・大黒さまのお使いがネズミであり、子(ね)
であるからだといわれているそうです。
甲子塔には、大黒天の像を彫ったものと文字塔があり、像塔には、
恵比寿さまと対になって建っているものもあります。また、文字塔
では「子待塔」、「甲子塔」、「大黒天」、「甲子塚供養」、「甲子大黒天」
などと彫ったものがあります。
▼【参考文献】
・『日本大百科全書6』(小学館)1985年(昭和60)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
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