『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第1章 山・谷・峠の神と怪物
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▼06-13「鶏神」 |
▼06-13「鶏神」 【本文】 鶏も神であるという。鶏は、常世の長鳴鳥(とこよのながなきど り)とも呼ばれ、日本神話の中でも知られています。天の岩屋にか くれた天照大神(あまてらすおおかみ)に、外に出てきてもらおう と、常世の長鳴鳥を鳴かせます。鶏はまた、路傍の石仏の庚申塔に も2羽(雌雄一対)の鶏が配されています。 60日に一回まわってくる庚申の日、村人がお堂などに集まって、 一晩中、徹夜で供養します。庚申は鶏の鳴くまでといわれます。鶏 が鳴くのは午前2時ころ。鶏は「東天紅」(とうてんこう)と鳴く という。ただ、東天が紅色に染まってから鳴くのではないという。 紅色に染めようと鳴くのだと解釈するのだそうです。 鶏にはまた、行方不明者を探す不思議な能力があるという。水死 者が出て死体が浮んで来ず、行方不明になった時、船に鶏を乗せて 探します。すると、どういう訳か、死体が沈んでいる場所に来ると 鳴くというのです。この方法は、いまでも行っている所もあるとい う。 民俗学者の柳田國男も「山島民譚集」の中で、「?の声は神意。 ……。はからざる?の声が人間を外敵の手から救った例もある。夜 を好む鬼どもの最も希望せざる東雲(しののめ)は、霊?の叫びに 催されて常よりも少し早く白んでくる。……。ここにその一つを載 せておこう。豊前の京都(みやこ)郡に妙覚寺という古い寺がある。 その境内の清涼窟(しょうりょうがいわや)は、古くは鼠竜窟(そ うりゅうくつ)といった。 昔、土蜘蛛の眷属に青鬼、白鬼がこの窟に住もうとした。窟の神 は、鬼に向かって、汝ら一夜のうちに五百羅漢の像を刻みそろえる ことができたら、ここを譲ろう。……。鬼たちが夜中に、像を彫終 わりそうになった時、神がニワトリの鳴くマネをした。鬼たちは驚 いて逃げたという。……(中略)……。京と近江(滋賀県)の境の 逢坂山の山奥に、「鶏石」という大きな石がある。「世の中の乱れん とする時には石の中に?の声を聞くという。」と書いています。 また、同じ「山島民譚集」に、?足(ニワタリ)神とあって「甲 州の中巨摩郡在家塚村あたりでは、いまでも小児の咳の禁厭(まじ ない・きねん)として戸口に?の絵を逆さに貼り付けておく風があ る。これにつきて考え合わすべきは奥州地方に多いオニワタリとい う神さまである。」とあります。オニワタリは「ニワタリ」の転訛 したもの。 「ニワタリ」は、ニワトリ、ミワタリ、ネワタリなどと呼ばれ、 鶏、庭渡、仁和多利、荷渡、二渡、根渡、見渡、宮渡などと当て字 で書かれます。このなかで、ニワタリがニワトリに変わって「鶏大 明神」になり、咳や百日咳を治癒を祈る信仰にもなっているものが あります。祈願のため奉納するには、絵馬を逆さに掛けます。これ は鶏を虐待して咳を追い出すということから起こった信仰だという からどこまで変化していくのでしょう。この願掛けには鶏の絵馬や 鶏卵を供える例が多いそうです。 山梨県甲州市にある黒川鶏冠山(1716m)も鶏の山です。山頂に は鶏冠山神社奥ノ院(黒川権現)があり、かつては黄金の神鏡が 奉納されていたと伝えられます。直下の黒川谷には武田信玄の隠 し金鉱跡があります。金鉱一時は黒川千軒といわれるほどの栄え ようだったという。しかし次第に金鉱も、つきて出なくなり閉山 に追い込まれます。そのとき口封じのため一緒にいた遊女数十人 もの女性を谷底につき落としたといい、「オイラン淵」という地名 が残っています。 ▼【参考】 ・『動物信仰事典』芦田正次郎著(北辰堂)1999年(平成11) ・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54) ・『柳田國男全集5』柳田國男(ちくま文庫/筑摩書房)1989年(昭 和64・平成1) ・山旅通信【ひとり画展】(016・黒川鶏冠山ニワトリ大権現) |
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