『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第6章 動物の神
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▼06-08「狸 神」
【本文】
タヌキは雑食性でなんでも食べるせいか住宅地のなかでも結構す
んでいるといわれ、知人の庭にもよくあらわれます。タヌキはキツ
ネに比べ考えが浅く、すぐばれる間抜けた話が多い。鎌倉の建長寺
の「狸和尚」は、タヌキが和尚に化けてあちこち説教して歩きまし
た。宿でもイヌが嫌いだといって部屋の中に入ったまま出てこず、
どうも挙動がおかしい。
それを見破ったイヌが襲いかかって、喰い殺した話があります。
この狸和尚が書いた「書」がいまもお寺に残っているといいます。
「分福茶釜」で有名な群馬県館林の茂林寺では、茶釜は寺宝なって
います。また「狸ばやし」で名高い千葉県木更津市の証誠寺にも、
タヌキが大切に飼われています。
都会のど真ん中に狸神の祠があるのをひょんなことから見つけま
した。東京都台東区浅草の観音さま・浅草寺の境内に狸神がまつら
れているのです。仁王門と本堂のちょうど真ん中当たりに伝法院が
あります。その裏側に祠があり、狸神をまつっています。明治のは
じめ、この周辺はヤブと田んぼばかり。上野の山にいたタヌキが戊
辰戦争で焼け出され、このあたりに移住してきました。
しかし、浅草寺がヤブを払ったため、すむところがなくなったタ
ヌキたちは、「やけ」になり、あちこち出没して悪いことをし放題
で、人々は大困惑。また浅草寺の用人の娘に衝いたりもしました。
ある夜、浅草寺の唯我詔舜(ゆいがしょうしゅん)大僧正の夢枕
にタヌキが立ち、「祠を建ててまつってくれれば、火伏せの神にな
ろう」。また上野東叡山寛永寺の多田孝泉僧正の夢枕にも立ったた
め、「鎮護大使者」の称号を与えまつりました。
するとたちまちいたずらもなくなり、人間にとり衝くこともなくな
ったという。明治16(1883)年、祠はいまのところに移したとい
う。以後、火伏せ、商売繁昌、盗難除けの神として参詣人でにぎわ
ったということです。
▼【参考文献】
・『動物信仰事典』芦田正次郎著(北辰堂)1999年(平成11)
・『日本大百科全書14』(小学館)1987年(昭和62)
・『日本の民俗36・徳島』金沢治(第一法規出版)1974年(昭和49)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)
・『柳田國男全集6』柳田國男(ちくま文庫/筑摩書房)1990年(平
成2)
・『柳田國男全集24』柳田國男(ちくま文庫/筑摩書房)1990年(平
成2)
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