『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第5章 仙 人

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▼05-01「仙人とは」

【前文】

仙人峠とか仙人窟などの地名も多く目につき、仙人は天狗とともに
むら里にはつきものです。仙人には天仙、地仙、尸解仙、陸仙、仙
女などの種類があるといいます。仙人は肉食をせず、仙人になる薬
を飲んでいるという。その仙人にも落ちこぼれがいて、飛翔術が未
熟で2、3mのところをヒョロヒョロ。悪ガキどもに竿で追いかけ
られたという。

▼05-01「仙人とは」

【本文】
天狗とともに山につきものは仙人です。仙人は人偏に山。中国の神
仙思想や道教によって想像された理想的な人間像で、不老不死の術
を修め神通力で空を飛び俗世間をはなれ、文字通り山の中に住むと
いわれます。仙人の「せん」は「遷」で山に遷(うつ)りすむ人を
いうのだそうです。昔は「僊人」とも書いたそうです。

仙人は肉食をしないという。また仙人になる薬があるという。最上
薬が「金丹」というもので、以下、上薬に、「丹砂」・「黄金」・「白
銀」・「五芝」・「五珠」・「真珠」。中薬に、「雲母」・「雄黄」・「石中黄
子」・「石桂」・「石英」・「石脳」・「石硫黄」・「石飴」・「曽青」。また、
松葉や松ヤニ、松の実、茯苓、地黄、ゴマ、黄蓮、コウゾの実など
も食べるという。

仙人には天仙、地仙、尸解仙(しかいせん)、陸仙、水仙、新仙、
童仙、玉女、仙女などの種類があるといわれています。また日本で
は、仙人へのなり方で神仙(神)、仏仙(僧として修行を積んで仙
人になった)、尸解仙(死んだのち、屍ごとなくなり仙人になって
いた)と分けています。

中国の仙人の本『列仙伝』や『神仙伝』にならって、日本にも『本
朝神仙伝』という本がつくられました。この本は、平安後期の1097
(承徳元)年ごろの成立で、著者は文人官僚・大江匡房(おおえの
まさふさ・1041〜1111年)だろうといわれています。

この本にあげている仙人は、「(1)大和武尊(やまとたける)。(2)
聖徳太子。(3)武内宿禰(たけしうちのすくね)。(4)浦島太郎。
(5)役ノ行者。(6)徳一上人。(7)泰澄上人。(8)久米仙人。
(9)都藍尼(とらんに)。(10)善仲上人。

(11)善算。(12)窺詮(きせん)法師。(13)行叡居士(ぎょうえ
いこじ)(14)教待(きょうたい)和尚(15)報恩大師。(16)弘法
大師。(17)慈覚(じかく)大師。(18)陽勝仙人。(19)陽勝仙人
の弟子の仙(ひじり)。(20)河原院の大臣(おとど)の侍。(21)
藤太君(とうだのきみ)。(22)源太君(げんだのきみ)。(23)売白
箸翁(白箸を売るおきな)。(24)都良香(みやこのよしか)。(25)
河内国樹の下の僧。

(26)美濃国の河の邊(ほとり)の人。(27)出羽国石窟の仙(ひ
じり)。(28)大嶺(おおみね)の僧。(29)大嶺山の仙。(30)竿打
ちの仙。(31)伊予国長生(ちょうせい)の翁。(32)中算(ちゅう
ざん)上人が童(わらべ)。(33)橘正道。(34)東寺の僧。(35)比
良山の僧。(36)愛宕護(あたご)山の僧。(37)沙門日蔵」の37
仙があげられています。しかし、順番が下がってくるにつけ名前が
分からない人も出てきて、(35)比良山僧は、比良山に住む何某の
僧ということになっています。この僧は、仙道を学び修行を重ねて、
ならぶ人がいないほどの能力を身につけていたという。

ある日、琵琶湖を行く船に、鉄鉢を飛ばす「飛鉢の法」で托鉢に行
かせました。その船には大津に向かう米俵を積んだ官米輸送の役人
が乗っていて、飛んできた鉄鉢に、「薄汚い鉢がまた飛んできた。
米が欲しいならこれでどうだ」と、小さな鉢に米俵を乗せたところ、
空に舞い上がり比良山の向かって飛んで行きます。ところがその後
を追って船の中の俵が次々に飛んでいきます。あわてた役人が比良
山の仙人に平身低頭して謝り、米を返してもらったということです。

また36の愛宕護僧は京都愛宕山に住む僧侶のことで、やはり氏も
素性もいつからこの山に住みついたかも分からないという。この仙
人は持っている銅の瓶を飛ばす術があり、大堰川まで飛ばして水を
汲んで来させるという。比叡山に増賀上人(1003年没)という名
僧がおり、8人の弟子をこの仙人につかせて修行させたことがあり
ました。8人は修行を積み薄い板の上に乗ってもたわわない位に身
が軽くなりました。しかし仙人は、弟子たちのトイレの便を点検し、
「お前たちは米の飯を食べているのか。それでは仙人にはなれない」
とたしなめたというエピソードも残っています。

また仙人のなかには落ちこぼれ仙人もいます。(30)の竿打仙人が
その人。奈良時代、大和の国出身の「竿打(さおうち)仙人」と
いう仙人がいました。これが未熟な仙人で、仙薬を飲んで一生懸
命修行をしますが、いっこうに空を飛べません。半分あきらめか
かっていたころ、勢いをつけて飛び上がったら、どういうはずみ
か、2〜3mの所をヒョロヒョロ飛べるようになりました。それ
でも大人たちは、普通の人のできる技ではないとすっかり感心し、
うわさになりました。

しかし、喜んだのは悪ガキどもです。トンボやチョウを追うのと
同じように、竿をもって仙人を追い回します。竿打仙人はあわて
にあわてて、必死に逃げ回ったということです。竿で追いかけら
れていたので「竿打仙人」と呼ばれていましたが、いつしかいな
くなり「その終(は)つる所を知らざりけり」と『本朝神仙伝』
は書いています。

▼【参考文献】
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成
1)
・『大日本百科全書13』(小学館)1987年(昭和62)
・『東西遊記2』(西遊記)橘南谿(東洋文庫249)宗政五十緒校注
(平凡社)1988年(昭和63)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『本朝神仙伝』大江匡房著(日本古典全書・古本説話集 川口久
雄・校注)(朝日新聞社)1971年(昭和46)
・『南方熊楠全集8』南方熊楠著(平凡社)1991年(平成3)

 

 

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