『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第4章 天狗神

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04-30 「九州・彦山豊前坊」

【本文】
 九州の英彦山(ひこさん)は、彦山とも書き、北九州第一の高
峰。福岡県と大分県にまたがり、主峰群は最高峰の南岳、中岳、
北岳と連なる尾根からなっています。

 三角点は南岳にあり、中岳に英彦山神社があります。九州修験
の総本山で、新潟県の弥彦山、兵庫県の雪彦山とともに「日本三彦
山」に数えられています。

 この山には、天照大神の子がまつられているので日の子山、日
子山と書かれ、やがてヒコサンになり、のち嵯峨天皇の勅命で彦
山になり、江戸時代、霊元天皇から「英」の尊号を受け英彦山と
書くようになりました。

 英彦山には、豊前坊(ぶぜんぼう)という天狗がすんでいるこ
とになっています。豊前坊も、日本を代表する天狗を集めた「日本
八天狗」に入っている天狗です。

 英彦山神社から2、3キロのところに高住神社があって豊前坊
天狗をまつってあります。近くの岩壁の洞くつが豊前坊の住処と
いうことになっています。

 「彦山縁起」という文書によれば、大昔、神が蒼鷹(あおたか)
に姿を変えて英彦山に降臨し、本体を水晶石(高住宮)になって
あらわれます。のち、役ノ行者が高住宮の旧跡を求めてやって英
彦山にきた時、神は少年の姿であらわれ行者の大願を称賛。こん
どは夜叉の姿に変身して憤怒の相をあらわしました。

 これが豊前坊天狗の本体だといいます。ここの天狗はよく人を
さらうという。昔は、天狗にさらわれた話がよくあったそうですが、
たいていは天狗のすみかがある英彦山まで連れて行かれたといい、
ほとんどが豊前坊天狗の仕業だとされています。

 豊臣秀吉朝鮮攻めの際、軍船をつくる材料に英彦山のご神木の
杉を切ろうということになりました。その采配をするため登って
きた、毛利元就の子で従三位・権中納言まで登りつめた小早川隆
景が、豊前坊天狗にこっぴどく脅かされた話も残っています。・大
分県中津市と福岡県添田町とにまたがる(山頂の境界は途切れて
いる)。

▼英彦山【データ】
【所在地】
・大分県中津市(なかつし・旧下毛郡山国町)と福岡県田川郡添
田町(そえだまち)にまたがる(山頂の境界は途切れている)。J
R日田彦山線彦山駅の南東6キロ。JR日田彦山線彦山駅からバ
ス、銅鳥居停留所下車、さらに歩いて2時間で英彦山中岳。英彦
山神宮上宮がある。さらに南方へ10分で最高峰南岳。1等三角点
(1199.49m)がある。中岳から西南へ30分で北岳。標高点1192m。
さらに北へ逆鉾岩を経由して1時間で高住神社がある。
【位置】
・英彦山:北緯33度28分34秒.4905、東経130度55分33秒.5026
【地図】
・旧2万5千分1地形図名:英彦山

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典44・大分県』竹内理三(角川書店)1991年
(平成3)
・『角川日本地名大辞典40・福岡県』竹内理三(角川書店)1991年
(平成3)
・『山岳宗教史研究叢書16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・『修験の山々』柞(たら)木田龍善(法蔵館)1980年(昭和55)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本歴史地名大系45・大分県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)

 

 

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