『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第5章 仙 人
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▼04-25「伊吹山の怪人はチョー身軽」
【略文】
滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山には三朱沙門飛行上人という怪人
が住んでいたという。体重わずかに3朱(1朱は1匁の4分の1)。
身が軽く飛べたので飛行上人。ある時、重い病気にかかった皇后の
ため、空を飛び琵琶湖をひとまたぎ。御所に降り立ち祈祷、皇后の
病気を治したという。
▼04-25「伊吹山の怪人はチョー身軽」
【本文】
滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山(1377m)は高山植物の大宝庫。
その数1700種におよび、頭にイブキの名をつけた植物は32種もある
と聞きます。開山は奈良時代の開山といわれるだけあって『古事記』
や『日本書紀』にも登場。荒ぶる山神が宿り、妖怪や天狗も棲むと
いわれるなど神秘の山。
伊吹山の「イブキ」は、古来、荒ぶる山神が山気や霊気を吐く「息
吹き」の意味の恐れられた山。日本武尊とも関係の深いとされ、ま
た鎌倉時代には、悪業を働いたとして佐々木信綱に討たれた柏原庄
(いまの滋賀県山東町)の柏原弥三郎為長の霊が伊吹山に宿ってい
るという。この山の妖怪・伊吹童子(伊吹弥三郎)は、弥三郎為長
の霊だとされるなど不思議な話がたくさんあります。
その昔、伊吹山には三朱沙門(さんしゅさもん)飛行上人という天
狗が数百年も苦行を重ねて住んでおり、山のあちこちの峰に仏跡を
残したといいます。
室町時代の説話集で、僧の沙弥玄棟(しゃみげんとう)作『三国伝
記』飛行上人ノ事の項には、「三朱沙門(さんしゅさもん)というの
は、上人の体重がわずかに3朱(1朱は1匁の4分の1だから3朱
は4分の3匁・それだけ身が軽かった」とあります。ちなみに1匁は
3.75グラム)。
修行の功積んで、山や谷もちろん、岩壁であろうが、何の苦もなく
飛び越えることができたので飛行上人と呼ばれました。そして伊吹
山中に長尾、弥高、遍満の3つの寺を開いたとあります。
ある時、都の帝が飛行上人の名声を聞いて、重い病気にかかってい
る皇后のために、加持祈祷するよう使いを出したという。険しい道
をやっとの思いで勅使が伊吹山山頂までくると、飛行上人は白雲の
かかった屏風のような大岩に足を組んですわっていました。
使いの話を聞いた上人は一本歯の高下駄をはいたかと思うと、勅使
を抱えて空に飛び上がりそのまま琵琶湖を飛び越えて、御所の庭に
降り立ちました。休む間もなく祈祷に入り、しばらくすると皇后の
病気はたちまちのうちに治ってしまったという話が残っています。
また『今昔物語』巻第十二の第十二に、三修禅師が学業を放り出し
念仏の功徳だけで往生を遂げようと念仏三昧。それを憎んだ伊吹の
天狗が如来の迎えが来たといってだまし、大杉の梢に裸で縛りつけ
た。
それでもまだ念仏を続けている僧を弟子たちが見つけ助け下ろしま
したが「仏さまが迎えに来るというのになぜ助けて往生のじゃまを
する」と恨み言をいいながら死んでしまったという。この悪戯をし
た天狗は飛行上人の弟子の話ではないかと研究者はいっています。
▼【参考文献】
・「伊吹山の山岳信仰」満田良順:『山岳宗教史研究叢書11・近畿霊
山と修験道』五来重編 (名著出版)1978年(昭和53年)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)1
980年(昭和55)
・『古事記』:新潮日本古典集成「古事記・中つ巻」西宮一臣校注(新
潮社)2005年(平成17)
・日本古典文学全集24「今昔物語集」(3)馬淵和夫ほか校注・訳(小
学館)1995年(平成7)
・『三国伝記』玄棟(天台僧カ)著:応永14年(1407)から文安3
年(1446)の間に成立したと考えられている仏教説話。
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『天狗と天皇』大和岩雄(白水社)1997年(平成9)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』(平凡社)1989年(平成元)
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