『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第4章 天狗神
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▼04-21「妙義山の天狗たち」
【略文】
妙義山には上野妙義坊と妙義山日光坊、それに金洞山長清法印の3
狗がいるという。上野妙義坊は妙義山の天狗のなかで最長老だとい
う。関東の代表天狗のひとり。妙義山日光坊は日光から山移りして
きた天狗。金洞山長清法印は父の仇討ちのため金洞山に住み、金洞
窟で修行していたが、浮き世のむなしさを悟り、仏門に入ったとい
う。
▼04-21「妙義山の天狗たち」
【本文】
妙義山には上野妙義坊(こうずけみょうぎぼう)と妙義山日光坊、
それに金洞山長清法印(ちょうせいほういん)の3狗がいるという。
妙義山の最高峰の相馬岳(そうまだけ)(1104m)東麓には妙義神
社があって天狗のお面が飾ってあります。天狗の名は上野妙義坊。
この天狗は関東きっての長老だという。上野妙義坊の天狗になる前
の姿についてはさまざまな説があるそうです。江戸時代文化2年(1
805)出版で、京都から江戸に至る中山道を描いた地誌『木曾名所
図絵』(秋里籬島(あきさとりとう)編、西村中和(にしむらちゅ
うわ)画)には菅原道真の師であった、比叡山の座主の法性坊尊意
僧正だとしているものもあります。
しかし尊意は比叡山法性坊という天狗になって、比叡山を護法して
います。あるいは尊意の弟子で呪験(じゅげん)秀でた者が、妙義
高顕院に住みながら自分の師をまつったものを、いつしか天狗に模
されてしまったのではないかという。
また南北朝時代、南朝最後の名臣として名高い花山院(かざんいん)
長親(ながちか)が、発心して妙魏(みょうぎ)法師と号し、洛東
華頂山(かちょうざん・京都,東山三十六峰の一)の奧に隠棲した
という。そののち、10年あまりも過ぎてから、漂泊しながら妙義山
に着き、ついにこの山で終わったという。
それを哀れんで寺の僧たちが、塚を建てたことからそれまで白雲山
と呼んでいた山名を妙魏(妙義)と呼ぶようになりました。そんな
ことから妙義坊は妙魏法師のことであるという説があります。しか
し、妙義坊はやはり地主神の妙義山神であると見た方が無難であろ
うと研究者はいっています。
2番目の妙義山日光坊は日光からなぜか妙義山へ山移りしてきた天
狗だそうです。妙義山には上野妙義坊という第一の古参天狗がいる
のになぜここを選んだか不思議です。考えられることは宗派の関連
しかないと研究者は見ています。
つまり、妙義山の別当(神社の経営管理を行う)高顕院で、この寺
は有力な天台宗です。そんなことから先の天狗、上野妙義坊を第13
代天台座主(ざす)の法性坊だとする人も多いくらいですから、妙
義修験のなかには日光坊を歓迎する空気があったのではないかとし
ています。
3番目の金洞山長清法印は、金洞山にはすんでいる天狗です。ここ
金洞山は長清法印が開いた山。その山麓には中之岳神社があります。
山頂に武尊(日本武尊)祠があり、直下に長清法印が籠もって修行
したといわれる金洞窟があります。その洞窟の外にある碑文や『金
洞山縁起』(鈴木我古)から採ったとされる『本朝神仙記伝』には
長清法印のことが詳しく書かれています。
それによると法印の父は小田原北条の家来で、戦場で敵に討たれた。
長清はその仇を討つため金洞山に籠もり、木の実や野草を食しなが
ら苦修練行を重ねるうち神通力を得て、ついに仇を討つことができ
たが、同時に浮き世のむなしさを知り仏道を志し上野寛永寺境内の
元光院に入門、通力にさらに磨きをかけ再び金洞山にもどり、登山
道を開き、岩高寺を創建したという。
長清法印は、いつも鉄の下駄に鉄の杖をたずさえ、風にまたがり雲
に乗って山中を徘徊していたという。また、ふもとの農家の庭の柿
の木のてっぺんから、そのまま雲を踏んで金洞山の庵室に帰ってい
ったとか、ある夜、山が崩れるような風雨雷鳴を一喝のもとに鎮め
てしまったとかを目撃した者は多く、長清法印の妙術はふもとの里
人の間では衆知の事実だったという。
また、あるとき一匹の小牛がどこからともなくやって来て、洞窟の
前を動かずついに長清の下僕のように仕え、長清法印を乗せて山を
登り降りしていた牛は、岩石奇岩の妙義山の山道を平地のように歩
いていたという。
長清法印は筋肉たくましく、怪力で敏捷、顔色つねにうす赤く、50
歳ぐらいに見えたという。しかし、江戸時代前期の延宝元(1673)
年、いつもの岩窟にこもり岩の扉で入り口をふさぎ、入定したとき
は148歳であったというから、生まれたのは戦国時代の大永5(152
5)年ということになります。霊牛もまた長清入定と共に岩窟前で
餓死していたという(『天狗列伝東日本編p374』)。
中腹の中之岳神社には長清法印が愛用した鉄の下駄が、いまでも宝
物として保存されているといいます(『角川日本地名大辞典・群馬
県』)。また長清法印天狗のお面は上信電鉄下仁田駅構内に飾られて
います。
▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
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