『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第4章 天狗神
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▼04-12「東京・高尾山の天狗」
【略文】
南北朝時代の永和年間、俊源大徳という偉いお坊さんが高尾山に
やってきて、山中の滝で修行をしていました。疲れてウトウトし
た時夢の中に飯縄権現が現れました。その像をまつって本尊とし、
修験道の道場としたといいます。この飯縄権現は長野県飯縄山の
天狗・飯綱三郎の分家格。白狐に乗った荼吉尼天の姿です。
・東京都八王子市
▼東京・高尾山の天狗
【本文】
東京都民の山高尾山はあまりにも有名です。日本百景にも選定、
また「明治の森高尾国定公園」に指定されています。さらに2007
年(平成19)には、ミシュランガイド(実用旅行ガイド)で最高
ランクの「三つ星」の観光地に選ばれているそうです。
この山域は古くから竹木の伐採を禁じられ、天然の森林が保護され
てきました。そのため珍しい植物も豊富。いまでも植物の採取、鳥
類の捕獲も禁止されているそうです。明治以降は、牧野富太郎博士
をはじめ、多くの研究者によって新しい植物が次々とこの山で発見、
発表されています。山頂は十三州見晴台と呼ばれ、天気のよい日に
は富士山も雄姿を見せてくれます。
山頂の直下には、真言宗智山派別格本山薬王院有喜寺があって、
真言宗の関東三山(成田山新勝寺、川崎平間寺)のひとつに数え
られています。高尾山の名前の「タカオ」とは、山の尾根が高い
ところで左右に長く伸びていることを示す山名(「日本山岳ルーツ
大辞典」)だという。また高尾山は高雄山の異名があるように、京
都市右京区の梅ヶ畑の地にある高雄(山上に真言宗の名刹がる)
に模した山ではないかという人もいます。
寺伝の縁起文によれば「聖武天皇の天平十六年(七四四)行基菩
薩勅命を奉じて開山せり」とあり、奈良時代、聖武天皇の勅願に
より行基菩薩がみずから薬師如来を刻み、諸人救済のため高尾山上
に仏像を安置、本尊として開山したのがはじまりということになっ
ています。その後600年たった、南北朝時代、北朝でいう永和2
年(1376)、京都醍醐寺の僧・俊源大徳(しゅんげんたいとく)が
この山にきて、琵琶滝、蛇滝で修行、炊ぎ谷(かしぎ谷)で不動
明王を勧請、10万枚の護摩を修し、疲れ果てて仮眠の際、夢で飯
縄権現を感得しました。
俊源は、早速その像を彫り、権現堂にまつって、修験道の道場に
したということです。(『山岳宗教史研究叢書・8』)。この飯縄権
現は、長野県の飯縄山の天狗・飯綱三郎の分家格です。右手に宝
剣、左手に索縄(さくじょう)をもち足にヘビをまきつけ、白狐
にまたがった荼吉尼天の姿。そして「醍醐山内無量寿院松橋の法」
という難しいものを伝えたという。寺伝では「勇猛精進の師」な
どと呼ばれています。これが高尾山修験道のはじまりで、俊源大
徳から歴代の住職は30数世にもなり、その法流をいまに伝えてい
るという。
俊源の夢にあらわれた飯縄権現の姿は、顔は人でトビのようにく
ちばしをとがらし、頭に蒼いヘビをのせ、法衣を着て背中に火炎
が燃えており、両わきから翼を広げ、右手に宝剣、左手に索縄を
持った、白狐にまたがった荼吉尼天の姿。神は俊源に向かい、「余
はアバラ(不動)明王である。長い間世の中が多難で、諸々の魔
怪が横行して世を騒がすので、雷を落として降伏させるために奇
瑞をあらわした。これを飯縄の神女という。山にまつるがよろし
い」とのおつげ(『若稽旧記』寛延3・1750年)があったと伝えま
す。
ちょっと待って下さい。この本には飯縄権現は女神だとあるので
す。そうすると高尾山の天狗は女性ということになってしまうで
はありませんか。飯縄権現は長野県の飯縄山の天狗・飯綱三郎の
分家格です。そのため三郎坊と呼ぶこともあります。そんなはず
はない。『若稽旧記』に飯縄神女とあるのは俊源大徳の聞き違いで
はないかと、天狗研究者知切光歳氏は『天狗列伝・東日本編』で
述べています。
それはさておき、このように高尾山の天狗の鼻は高くありません。
室町時代末期、日本画の狩野派3代の祖、狩野元信が、それまで
は天狗といえばくちばしのとがったトビのような烏天狗だったのに
対し、京都愛宕山の天狗「鞍馬大僧正坊」をイメージし、いままで
とは違って「カッコイイ」、鼻の高い山伏姿の大天狗を描き出しま
した。以来、各地の天狗を売りにしていた山の信奉者が「おらほの
天狗もこっちの姿にしよう」と言いはじめました。そして次々に、
この大天狗の姿に乗り換えてしまいました。
そんな中で飯縄系の山々は昔の烏天狗のままでおしとおしていま
す。飯縄山や、高尾山、箱根大雄山、秋葉山、迦葉山、加波山な
どはみんな飯縄系の天狗です。登山口の京王線高尾山口駅や、近
くのJR中央線高尾駅には、鼻の高い天狗の石像やお面も飾られ
ています。このくちばしのある高尾山の天狗(荼吉尼天姿の天狗)
が、「天狗といえば鼻の高い天狗が当たり前」と勘違いされ、ふも
との駅に堂々と建てられてしまっているいま、飯縄神女の話など
永遠の謎になってしまうのでしょうか。
▼【参考文献】
・『若稽旧記』寛延3年(1750)刊
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『全国神社仏閣ご利益小事典』現代神仏研究会編(燃焼社)1993
年(平成5)
・『高尾山の山岳宗教』山本秀順:(「山岳宗教史研究叢書8・日光
山と関東の修験道」(名著出版)1979年(昭和54)所収
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『「日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
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