『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第4章 天狗神

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▼04-05「鼻高天狗と飯縄系天狗

【略文】

各地の霊山にまつられる天狗には、鼻高天狗とカラス天狗がいます。
天狗の山の代表に東京高尾山があります。登山口の駅やおみやげ店
には立派な鼻の天狗が飾ってあります。しかし、この山の本尊は鼻
の高くないカラス天狗です。山頂直下にある薬王院有喜寺の寺伝
では、ここの天狗は長野県の飯縄系の天狗だという。

▼04-05「鼻高天狗と飯縄系天狗

【本文】
いま天狗といえばだれもが鼻の高い顔を連想します。現に天狗で有
名なお寺や神社のみやげ店で目につくのは全部鼻高天狗お面です。
しかし、室町時代の末期までは鼻高天狗はいなく、すべてくちばし
のとがったカラス天狗だったといいます。あの「太平記」(巻第五)
にある北条八代執権高時がなぶりものにされた「高時天狗舞い」や
(巻第二十五)の「天狗評定」の天狗たちはみなカラス天狗です。

いままでのカラス天狗が鼻の高い天狗になったのは室町時代。足利
何代目かの将軍の夢枕に、牛若丸に兵法を教えた天狗・鞍馬山魔王
大僧正坊があらわれ、「自分の姿を日本画の狩野派2代目・元信に
描かせて、鞍馬寺に安置するように」とのご神託がありました。将
軍が元信に命じると、元信も同じ夢を見たという。(鞍馬山にはた
くさんの天狗がいて、ふつう牛若丸に教えたのは名前の似ている僧
正坊と思われていますが、実際はその上にいる鞍馬山魔王大僧正坊。
鞍馬寺の話もそうなっているという)。

元信は早速制作に取りかかりましたがいかんせん手本がありませ
ん。筆を待ったまま困りに困っていますと、天上からクモが2匹ツ
ーッと降りてきました。そして糸を吐きながら画紙の上をはい回り
ます。元信がその糸を筆でなぞってみると、頭の中で思っていたと
おりの山伏姿の鼻の高い立派な天狗の絵が描けたというのです。

ただ、もちろんこの説を否定する本も多く、元信に依頼した人は別
人だとするものや、天狗像を創り出したのは京大工の祖父だなどと
する本などもあります。また仏教のカルラ王の姿や面相もよく似て
おり、その他、雅楽の「湖徳面」もそっくりなことから、大天狗の
モデル説はかなり異説がありますが。

こうしてできあがった像は、いままでの馬糞トビ姿の醜いカラス天
狗とは比べものにならない大天狗像。当然世間の人気者になります。
「オラホの山の天狗さまもこの形にすんべえ」。こんなことから、
全国あちこちの天狗の山々も次々にこの天狗像に乗り換えしまいま
した。いまでは天狗といえば山伏姿の鼻高天狗をいうようになって
います。それに対して狩野元信の山伏姿の鼻高大天狗に乗り換えず、
もとのカラス天狗のままで押し通ししているのが長野県の飯縄山
(1917m)系の天狗たちです。

長野県飯縄山の天狗・飯網三郎(いづなのさぶろう)は、伊都奈三
郎とも書き、飯縄系の天狗の総元締め。この系列の天狗の姿はほか
の天狗と異なり、荼吉尼天(だきにてん)の姿をしています。飯網
三郎の前身は、泰澄の弟子でいつも寝そべっていたその名も臥行者
(ふしぎょうじゃ)か、またはその系統の行者だろうといわれてい
ます。飯縄山に登って鳥居をくぐると山頂で、その直下にある祠の
中には2匹のキツネに乗った荼吉尼天の石像があります。これがま
さに飯網三郎天狗像です。

飯縄系の天狗は、このほか静岡県の秋葉山三尺坊、神奈川県箱根明
星ヶ岳の道了薩?(どうりょうさった)、東京の高尾山飯縄権現、
群馬県の迦葉山中峰尊者、茨城県の加波山岩切大神などがいます。
これらの天狗は、もじゃもじゃ頭で不動サマのような火炎を背負い、
足に蛇を巻きつけた白いキツネの上に立ち、肩に羽を残したものが
多く、鼻は高いのものととがったものと2種類あります。

東京都八王子市高尾町にある、高尾山も天狗の山というので、登
山口の京王線高尾山口駅や、近くのJR中央線高尾駅には、鼻の
高い天狗の石像やお面も飾られています。しかし先に記したよう
に、高尾山の本尊の天狗はカラス天狗です。

ちなみにその由来については次の通りです。山頂の直下にある真
言宗智山派別格本山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうき
じ)の寺伝の縁起文によれば、「聖武天皇の天平16年(744・奈良
時代)行基菩薩勅命を奉じて開山せり」とあり、奈良時代、聖武
天皇の勅願により行基菩薩がみずから薬師如来を刻み、諸人救済
のため、高尾山の山上に仏像を安置、本尊にして開山したとされ
ています。その後600年たった、永和年間(1375〜79・南北朝時
代)京都醍醐寺の僧・俊源大徳(沙門俊源大徳・さもんしゅんげ
んたいとく)がこの山にきて中興開山、「醍醐山内無量寿院松橋」
の法を伝えたといいます。

社伝では「勇猛精進の師」などと呼ばれ、山中の琵琶滝、蛇滝で
修行、炊ぎ谷(かしぎ谷)で不動明王を勧請、10万枚の護摩を修
し、疲れ果てて仮眠の際、夢で飯縄権現を感得し、その像を権現
堂にまつって本尊とし、修験道の道場としたのだそうです。(『山
岳宗教史研究叢書8』)。

俊源の夢にあらわれた飯縄権現の姿は、顔は人でトビのようにく
ちばしをとがらし、頭に蒼いヘビをのせ、法衣を着て背中に火炎
が燃えており、両わきから翼を広げ、右手に宝剣、左手に索縄を
持った、白狐にまたがった荼吉尼天の姿。俊源に向かい、余はア
バラ(不動)明王である。

長い間世の中が多難で、諸々の魔怪が横行して世を騒がすので、
雷を落として降伏させるために奇瑞をあらわした。これを飯縄の
神女という。山に祭るがよろしいとのおつげ(『若稽旧記』寛延3
・1750年)。

この本には女神とありますが、飯縄権現は長野県の飯縄山の天狗
・飯綱三郎の分家格。そのため、三郎坊と呼ぶこともあります。
飯縄神女とあるのは俊源の聞き違いだろうと専門家はいっていま
す。

▼【参考文献】
・『今昔物語集』(巻第二十):日本古典文学全集24『今昔物語集3』
馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮田登・宮本
袈裟雄(みやもとけさお)編(名著出版)1979年(昭和54)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『太平記』:新潮日本古典集成『太平記4』山下宏明・校注(新
潮社)1991年(平成3)
・『日本書紀』(巻第二十三):岩波文庫『日本書紀4』坂本太郎ほ
か校注(岩波書店)1996年(平成8)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)

 

 

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