『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第3章 鬼 神
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▼03-03「東北岩手山の鬼・大猛丸」
【略文】
東北の名山・岩手山の名は、岩手富士の異名があります。その名は、
凶暴な鬼が改心し、その証拠として岩の上に手形を押して、「岩手」
としたのにちなむという。その名は大猛丸。昔、この鬼が岩手山に
すんでいて、その館があったという。いまでも山頂南側の外壁には
峻険な屏風岩があり「鬼ヶ城」といっています。
・岩手県雫石町と八幡平市・滝沢村との境。
▼03-03「岩手山大猛丸」
【本文】
岩手富士の異名のある岩手山(2038m)は雄大で、東北南部地方
のシンボルとして人々の心に生きる山です。その名は、ここに住ん
でいた凶暴な鬼が改心し、その証拠に岩の上に手形を押し「岩手」
としたのがはじまりといいます。そのほか現在、啄木記念館がある
岩手県玉山村渋谷地区の、突き出た大岩「岩出の森」、またアイヌ
語のイワァ・テェケ(岩の手・枝脈)にちなんでいるなどの異説も
あります。
岩手山の外輪山内側の噴火口内の妙高山の東側火口に岩手山神社
奥宮があります。神仏習合の時代には岩鷲権現(がんじゅごんげん)、
田村権現、田村大明神などといったという。岩鷲の名は、岩手山の
異名である岩鷲山からきたもの。田村、田村とつづくのは、社伝に
ある延歴20(801・平安時代初め)年、あの坂上田村麻呂(さかの
うえのたむらまろ)が蝦夷(えみし)を平定し、国土安泰を祈願し
てここに神社を創建したという故事からでしょうか。この権現様は
獅子頭をご神体にするという。そういえば岩手山の外輪山薬師岳付
近に石の獅子頭も置いてあります。
岩手山は東西岩手山からなり、東岩手の外輪山にある薬師岳は、
この山の最高峰。強風に耐えてコマクサが咲き乱れています。山頂
の西下にはお苗代湖とお釜湖の二つの池があって、その南に連なる
外壁用屏風岩のヤセ尾根を鬼ヶ城と呼んでいます。昔、このあたり
は、赤頭の高丸と異名をとる鬼・大猛丸の領地だったという。その
せいか山ろくの地名にも鬼の文字が多く見られます。大猛丸は、岩
手山の南西ろく渓谷葛根田にある大岩屋・玄武洞を出城とし、雫石
町大竹に本拠を置いた鬼神です。大猛丸は名にし負う乱暴者で、悪
事のし放題やり放題。山麓を荒らし村人は困り果てていたとされて
います。
そのころ東北地方にやってきた征夷大将軍坂上田村麻呂は、人々
のうわさにのぼる鬼神を退治しようと、森ヶ岡(いまの盛岡)に陣
をしき、大猛丸を攻め立てます。大猛丸は奥の舘である岩手山の鬼
ヶ城にたてこもります。当時の岩手山は霧隠山ともいわれるほど常
に霧深い山。舘の状態や地形を知らない田村麻呂は手も足も出ませ
ん。そこで霧深い山には、同じ霧でと思ったのかどうか、配下の霧
ヶ原太忠義という武将らを山の裏側・いまの松尾村側から魔地川
(現在の松川)沿いに登り偵察させます。
源太忠義の館の様子や地形の報告を受けた田村麻呂は、霧の晴れ
間を見はからい、一挙に攻めたてます。たまりかねた大猛丸は館を
後にして、秋田と岩手の県境にある八幡平に逃げますが、ついに捕
まり亡ぼされたということです。伝説では、平安時代になったばか
りの797年(延暦16)とも、同じく807年(大同2)のことだと伝え
るお話です。この鬼神大猛丸は朝廷に従わぬ、このあたりに住んで
いた蝦夷を象徴し語りつがれています。
こうして東夷を平定した田村麻呂は、いまの八幡平の八幡沼のほ
とりに全軍を集合させ、神威による戦勝を感謝して、ここに応神八
幡大神を勧請。応神八幡のシンボルである八本の旗を立てて武運長
久を祈願し八幡神社を建立しました。そしてこの地を去るにおよび、
地名を「八幡平」と命名したということです。いまでも八幡平の八
幡沼のほとりには「応神八幡」を祀る祠があります。
岩手山から八幡平にかけてには、源太森、松川、松尾、寄木、時
森などの地名があります。源太森は、田村麻呂の部下源太忠義が物
見をした山で、松川は、魔の住む魔地川、松尾は鬼の出る境の魔地
尾、寄木は賊の集まる寄鬼、時森は賊の大将登鬼森だとの地名伝説
もあります。
岩手山の鬼ヶ城は、その名の通り城壁のようなゴツゴツ岩。かす
かにふみあとがつづくヤセ屋根です。北に八ツ目湿原から遠く八幡
平、南に雫石への裾野が広がっています。お花畑の不動平に下ると、
急に人が多くなります。歩きにくい鬼ヶ城尾根より西岩手山お苗代
湖、八ッ目湿原のコースをとる人が多いらしい。
お花畑の不動平から外輪山を一周できます。その時、帽子が風で
舞い上がり、はるか松川温泉の方に飛ばされていきました。ふり返
えると、噴火口内にある妙高山が、ケルンやガレでちょうど鬼の形
になっていました。
▼【参考文献】
・『岩手の伝説』平野 直著(津軽書房刊)1983年(昭和58)
・『角川日本地名大辞典3・岩手県』高橋富雄ほか編(角川書店)1
985年(昭和60)
・「雫石町教育委員会社会教育課の手紙」
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『東北の山岳信仰』岩崎敏夫(岩崎美術社)1996年(平成8)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説大系2・中奥羽編』(岩手・秋田・宮城)野村純一編(み
ずうみ書房)1985年(昭和60)
・『日本歴史地名大系3・岩手」(平凡社)1990年(平成2)
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