『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第2章 山の妖怪

……………………………………………………

▼02-14「山梨県・茅ヶ岳の怪人」

【略文】

茅ヶ岳は本峰のほか金ヶ岳、金ヶ岳南峰、大明神岳など4つのピー
クがあります。茅ヶ岳と金ヶ岳との間は、歩いて40分という近さで
す。このふたつ山には怪人が住んでいたという。茅ヶ岳に怪人荏草
(江草とも)孫右衛門が、また金ヶ岳には、金ヶ岳新左衛門という
怪人がいて、お互いに競り合っているといいます。

▼02-14「山梨県・茅ヶ岳の怪人」

【本文】
 山梨県北杜市と甲斐市にまたがる茅ヶ岳は、山の形が八ヶ岳に似
ているというので「ニセ八ツ」の異名もあります。茅ヶ岳は本峰の
ほか金ヶ岳、金ヶ岳南峰、大明神岳など4つのピークがあります。
山の名は、山ろくに茅(カヤ)が多く生えているのに由来するとい
われています。

 また、本峰となりの金ヶ岳としばしば混同されていたという。実
際、甲斐国の地誌『甲斐国志』巻20にも、「一、金岳・茅岳 一山
ニシテ別峰ナリ」とあり、また江戸後期の地誌『甲斐叢記』(かい
そうき)(別名『甲斐名所図会』にも「金ガ嶽と云。又鐘ガ岳とも
作」とあります。このように混同が重なり、金ヶ岳がなまって、茅
ヶ岳になったのではないかともされています。

 茅ヶ岳と金ヶ岳との間は、峰つづき。しかも歩いて40分という近
さです。このふたつ山には怪人が住んでいたという。江戸時代中期
の『裏見寒話』という本には、茅ヶ岳に怪人荏草(江草とも)孫右
衛門が、また金ヶ岳には、金ヶ岳新左衛門という怪人がいて、お互
いに競り合っているという話が登場します。

 ただ書物によって、孫右衛門が孫左衛門になったり、孫左右衛門
にしたり、江戸時代の文化年間になると、このふたりを統一して「孫
左衛門」としたものまであらわれて紛らわしくなります。しかしこ
こでは、茅ヶ岳は荏草(江草とも)孫右衛門、金ヶ岳は金ヶ岳新左
衛門ということにします。

 先の『甲斐国志』に、「土人曰ク昔ニ逸見筋浅尾村ノ樵夫孫左衛
門(孫右衛門のこと)山中ニ入リテ仙人トナレリ其ノ経年幾許ヲ知
ラズ間、此ノ山及ビ曲岳(マガリダケ)ニ遊ビ或ハ大石ヲ深谷ニ転
ジ或ハ鹿ヲ遂(おっ)テ走リ或は或ハ岩上ニ踞スルヲ見ル蓬髪大眼
ニシテ身に長ケ丈余、草葉木皮ヲ綴リテ衣トス人ト言語ヲ通ゼズト
云フ」とあります。

 これらの書物や、山で孫右衛門に会ったという木こり、聞いたり
見たりした人たちの話を総合するとこんなふうになります。孫右衛
門は上野国(群馬県)の出だという。幼いころ両親を亡くして以来
非行に走り、故郷を追われ、茅ヶ岳のふもとの江草村(いまの山梨
県北杜市須玉町江草)に流れてきました。

 ここにきた時は、武田信虎(信玄の父)の全盛時代だったという。
すると孫右衛門が、茅ヶ岳に盛んに姿をあらわしたのが延宝年間(1
673〜1680)のころですから、それから数えても160年も前の話にな
ります。ある時孫右衛門は山の中で、仙人が碁を打っているのをわ
きで見ているうち、つい夢中になり、気がついて家に帰ってみたら、
まわりは知らない人ばかりになっていました。

 あれこれ聞いてみると、「それは先年亡くなった、爺さまの爺さ
まの時代のことだ」との返事。すでに3代もの時が過ぎていたので
した。それ以来孫右衛門はまわりの人たちとのつき合いが、うまく
いかず、山の中での生活をするようになったという。

 明治から大正にかけての国学者宮地厳夫の著、『本朝神仙記伝』(下
之巻)によると、「我は元来勇猛強力なれば、深山に入て猟をなし、
鹿猿狐兎の類を食し、村へ出ざる事数年、自然と山谷(さんこく)
を棲所として光陰を送る、今より三十年許(ばかり)以前までは、
府下(ふか)へも出て遊び、或時は魚町へ行て、干魚を買求めしこ
となども有しが、近来は人家の交はり五月蠅く、常に駿甲豆遠(す
るがかいいずとほたふみ)等の山を巡りて楽しみとすと、樵夫昼飯
を与へければ、悦びて食し、烟草を与ふれば掌(たなごころ)へ請
て食す、其後は折々人に見ゆるまでにて、近寄ること無し、近来は
曽(かつ)て沙汰も無(なか)り」。

 時々は、むら里に姿を見せてはいましたが、最近はすっかり姿を
見せなくなったというのです。それから40年ほど経った、正徳(17
11〜1715・江戸中期)のころの話です。江草村のある農夫が、山の
中で草刈りをしていると、怪物が大岩の上にいます。

 真っ白な髪の毛を逆立て、胸までとどく頬ひげ、ランランと眼を
光らせています。すると、たちまちにして暴風が起こり、真っ黒な
雲が山を包んだかと思うと、雷鳴がとどろきはじめ地面までゆれま
した。肝をつぶした農夫は命からがら村へ逃げ降りたという。

 これについて『本朝神仙記伝』(下之巻)は、「是(これ)全く孫
右衛門が、熟眠の場を知らず、草を苅(かり)て驚かせし故に、斯
(かか)る変を示したるものならん、人々語り伝えしとなん。今も
時として姿を顕(あら)はすことあり。村人恐れて、孫右衛門天狗
と云ふとぞ」と記しています。茅ヶ岳西南の新左右衛門尾根(尾根
名をつけた時代はこの名を使っていたようです)にはいまも孫右衛
門を祀る祠があるといいます。

 さてもう一方、茅ヶ岳の北西方向歩いて30分の所にある金ヶ岳に
も怪人がいます。名前を新左衛門といい、仙人だともいわれます。
新左衛門はこの山に住んでからすでに数百年。やはり自由に空を飛
べ、雨や風、雷なども自在にあやつるという。

 同じ『本朝神仙記伝』(下之巻)には、「金ヶ岳新左衛門は、其元
(そのもと)何国の者と云ふことを詳(つまびらか)にせず。いつ
の頃よりか、甲斐国逸見筋なる金岳の深山に在(あっ)て、変異を
現はす。全体鬼形に化して、常に此(こ)の山岳を廻り、時に或(あ
るい)は風雨雷電を起す。其(そ)の猛烈実に恐るべきものなりと
云へり。逸見筋の農家、渠(かれ)が怒りを恐れて、新左衛門と云
ふ名を付けたりと云へり」とあります。

 「或(ある)年信州諏訪の温泉に、甲斐より来りて入湯する者あ
り。諸所より来たれる浴客と共に、睦敷(むつまじ)く相語らひ居
たる中に、一人あり、姓名を問へば、金嶽(金ヶ岳)の新左衛門な
りと答ふ。問へる者愕然として大に驚き、兼て聞(きき)及びたる
に、金嶽(金ヶ岳)新左衛門は、山犬(狼)の類(たぐひ)にして
人に交わることなし。

 客、戯(たはむ)れにも鬼畜の名を名乗ること勿(なか)れと。
彼亦(また)答へて云ふ。我数百歳、金嶽の嶺に住む。天然の飛行
自在にして、風雨雷電を起こし、平日天狗に交はりて魔術に通達す。
故に怒る時は鬼形に変じて、見る人をして死に至らしむることあり。
又和する時は人体と化して人と交はりを結ぶこと心任せなり」と、
いったというのです。

 金ヶ岳新左衛門はつづけて、となりの峰に住む茅ヶ岳孫右衛門の
ことを、「荏(江)草の孫右衛門が如きは、術未だ至らずして、自
在の変化をなしこと能はず、猶(なお)未熟の者なり、我に於(お
い)ては猛獣毒蛇と雖も、更に恐るる者なし」と勇ましい。

 茅ヶ岳山頂は大勢の中高年の登山者が休憩中。おやつやコーヒー
を分け合い賑やかです。いっしょに登ってきた犬が、そばを通る人
の足やお尻をいちいち嗅いでいます。金ヶ岳も同じこと。天狗の
「テ」、仙人の「セ」の字の気配もありません。孫右衛門・新左衛
門はどこへ行った?

 「茅ヶ岳には伏流水はあっても川になって流れることがない。そ
れは仙人の呪術によるものだ」と、地誌『甲斐国志』にあります。
深田久弥記念公園から茅ヶ岳に向かう途中の、かつては簡易水道の
水源地だったという女岩は、唯一の水場になっています。

▼茅ヶ岳【データ】
【所在地】
・山梨県北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)と同県甲斐市旧敷島町
各地区名(旧中巨摩郡敷島町)との境。中央本線韮崎駅の北11キロ。
JR中央本線韮崎駅からバス・穂坂柳平から歩いて3時間30分で茅
ヶ岳。二等三角点(1703.6m)がある。そのほかは何もなし。地形
図に山名と三角点の標高の記載あり。
【地図】
・2万5千分の1地形図「茅ヶ岳(甲府)」

▼金ヶ岳【データ】
【所在地】
・山梨県北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)と山梨県甲斐市旧敷島
町各地区名(旧中巨摩郡敷島町)との境。中央本線韮崎駅の北東11
キロ。JR中央本線韮崎駅からバス、穂坂柳平から歩いて3時間で
金ヶ岳(かながたけ)。写真測量による標高点(1764m)がある。
そのほかは何もなし。地形図に山名と標高点の標高の記載あり。
【地図】
・2万5千分の1地形図「茅ヶ岳(甲府)」

【参考文献】
・『甲斐国志』第二巻(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):
(「大日本地誌大系・45」(雄山閣)1982年(昭和57)
・『甲斐伝説集』(甲斐民俗叢書2)土橋里木著(山梨民俗の会)19
53年(昭和28)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・『甲州の伝説』(日本の伝説10)土橋里木・土橋治重(角川書店)
1976年(昭和51)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『仙人の研究』知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成7)
・『本朝神仙記伝・下の巻』宮地厳夫著(本朝神仙記伝発行所)192
9年(昭和4)国会図書館」デジタルコレクション。
・『山の人生』柳田国男:(『柳田国男全集・4』(筑摩文庫)1989年
(平成元)所収)

 

 

 

【目次】へ(プラウザからお戻りください)
………………………………………………………………………………………………