『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第2章 山の妖怪
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▼02-03「ダイダラ坊」
【略文】
昔、巨人がやってきて全国を歩きまわっていたという。富士山をつ
くろうとして、運んでいた土がもっこからこぼれ落ちてあちこちに
山ができたという。また歩いた足跡に水が溜まって池や沼になった
など話が数多く伝わっています。巨人の名はダイダラボッチとか大
太法師、デーデッポーなどと呼ばれています。
▼02-03「ダイダラ坊」
【本文】
昔、巨人がやってきて全国を歩きまわっていたという。富士山をつ
くろうとして、運んでいた土がもっこからこぼれ落ちてあちこちに
山ができたという。また歩いた足跡に水が溜まって池や沼になった
など話が数多く伝わっています。巨人の名は大太法師で、ダイダラ
ボッチとかデーダラ坊などと呼んでいます。
そのほかダイタイボウ(茨城県)、ダイタボッチ(東京・埼玉)ダ
イダラホウシ(栃木県)、ダイテンボウ(会津地方)、デイラボッチ
(長野県)、レイラボッチ(山梨県)、ダンダンボウシ(富山県)、
ダタンボウ(三重県)、ダイダラボウ(香川県)、ダイタボウ(愛知
県)、デーデッポー(千葉県)などとなまって呼ばれそれぞれ大男
にちなむ地名伝説があります。この巨人伝説は『古事記』や『日本
書紀』などの神話にも出てきます。
北アルプスは唐松岳の巨人伝説です。大昔、信濃国に雲を突くよ
うな大男のそりのそりとやってきました。西條の湖のほとりまで
来た時、足もとに枝振りのいい小松を見つけました。ここにはも
ったいない唐松だ。もっと高いところに植えてやろう。
見渡すと高山がならぶ先に形のいい木曽御嶽が目にとまりました。
よしあそこの頂上に植えてやろう。巨人が唐松を引き抜き大きな
手のひらに乗せ、木曽御嶽に手を延ばしました。その時、夜がシ
ラジラと明け太陽が顔を出しました。
日の光が嫌いな巨人は大慌て。唐松を放り投げて一目散に逃げ出
しました。唐松は近くの唐松岳の頂上に落ちて根を張ったという。
それから幾千年、西條の湖の跡はなくなってしまいましたが松は
いまでも残っているという。そして信濃国に湖や沼が多いのはそ
の巨人の足跡だとされています。
また、奈良時代の『常陸風土記』那珂郡の条にも具体的な地名が出
てきます。茨城県大洗海岸近くの大櫛という所に巨人が住んでいて、
海に手を伸ばし大ハマグリを捕って食べていました。その貝殻のた
まったのがいまの「大串貝塚」だとしています。
巨人の足跡は長さ360mもあり、面積が40平方mもあり、オシッ
コをしたときにできた穴が40平方mあまりというから半端ではあ
りません。南北朝時代成立の『神明鏡』(作者不詳)には「道場法
師・大駄法師」の名で記載され、下って江戸時代の『松屋筆記』(高
田興清著)巻五「ダイダラボッチの足跡」にも神奈川県相模原市の
大沼はダイダラボッチが富士山を背負おうとし、足を踏ん張ったと
きへこんだ所だとあります。
巨人足跡は関東だけでも30以上あるといわれ、全国的にはどのく
らいあるでしょうか。たとえば東京都世田谷区代田の地名はダイダ
ラボッチのダイタだし、近年まであった同地代田薬師付近にあった
細長い窪地や、長野県の飯縄山麓の大座法師池、埼玉県さいたま市
の太田窪、長野県諏訪市の手長神社境内の1反歩ほど水たまりが数
ヶ所あり、みな大男の足跡だとされています。
房総にも巨人伝説があります。デーデッポーは、富士山に腰をかけ
て東京湾で顔を洗い千葉県側にやってきました。ノッシ、ノッシと
歩いているときエッヘンと咳払い。すると口から島が飛び出しまし
た。それが鋸南町から見える浮島のなったといいます。また昼寝し
ようとデーデッポは横になって寝ころんだところ足が東京湾に届い
てしまったという。その時富山町の富山を枕がわりにしたため、富
山は真ん中がへこみ南峰と北峰の双耳峰になってしまったというこ
とです。
その山麓にもデーデッポの足跡が残っています。先年スイセンロー
ドを歩いたとき足跡を訪ねようと市の職員の方に聞いてみましたが
そこへ行く途中の道が荒廃して藪になっていて通れないとのことで
した。
この巨人をなぜ大太法師やダイダラボッチというのかについて、江
戸時代から「大太坊蹤(だいたぼうあしあと)」(山崎美成)や「大
太法師弁」(明和舟江)、「怪談几弁・かいだんきべん」などで論じ
られていましたが結局は「愚量の及ぶところにあらず」ということ
になっているのだそうです。
現代でもタラは貴人の呼称だとする説(柳田国男)、タタラと関連
して鍛冶屋の伝播説、アイヌ語のダイ(小山)とタラ(背負う)で
「小山を背負う」意味から生まれた巨人名。その他台湾の伝説から
きているとか、はたまたギリシャ神話まで引っ張り出して説明しよ
うとする説まであります。
▼【参考文献】
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮田登・宮本
袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本大百科全書3』(小学館)1985年(昭和60)
・『日本大百科全書4』(小学館)1985年(昭和60)
・『日本の民俗25・滋賀』橋本鉄男(第一法規)1976年(昭和51)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成
6)
・『日本伝説大系4・北関東』(茨城・栃木・群馬)渡邊昭五(みず
うみ書房)1986年(昭和61)
・『日本伝説大系5・南関東』(千葉・埼玉・東京・神奈川・山梨)
宮田登ほか(みずうみ書房)1986年(昭和61)
・『日本伝説大系・7』(中部:長野・静岡・愛知・岐阜)(みずう
み書房)1982年(昭和57)
・『常陸風土記』:日本古典文学大系2『風土記』秋本吉郎校注(岩
波書店)1987年(昭和62)
・『房総の伝説』(日本の伝説・6)高橋在久ほか(角川書店)1976
年(昭和51)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『柳田国男全集4』柳田国男(ちくま文庫)1989年(昭和64・平
成1)
・『柳田國男全集6』ちくま文庫(筑摩書房)1989年(昭和64・平
成1)
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