『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第1章 山・谷・峠の神と怪物

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▼01-19「川の神は、泉の神・池の神・カッパ神」

【略文】

「カワ」という言葉は川のほか、池や泉、井戸などを含めた意味に
使われます。そのため水神と共通の性格で、水のある場所により川
の神になったり、泉の神、滝の神、池の神、井戸神などの名で信仰
されます。川の神と河童。そういえば川天狗というのもあり、河童
に近いものだそうです。

▼01-19「川の神は、泉の神・池の神・カッパ神」

【本文】
 一般に「カワ」という言葉は、川の意味だけではなく、池や泉、
井戸などを含めた広い意味に使われます。そのため水神と同じよう
に、水のある場所により川の神になったり、泉の神、滝の神、池の
神、井戸神などの名で信仰されています。

 川はまた洪水を起こし、人を水死させたりすするので恐れられま
す。そこで川のほとりで祭りを行います。みこしを川辺へ担いでい
ったりする祭りがいまも各地で行われています。川の神をまつる神
社の前には、精進川という川があって、お祭りするにはそこで身を
清めます。

 川の神は『日本書紀』にも出てきます。仁徳紀11年に「……。
茨田堤(まむたのつつみ)を築(つ)く。是の時に、両処(ふたと
ころ)の築(つか)ば乃(すなは)ち壊(くづ)れて塞ぎ難き有り。
時に天皇(すめらみこと)、夢(みいめ)みたまはく、神有(ま)
して誨(をし)へて曰(まう)したまはく、「武蔵人(むざしひと)
強頸(こはくび)・河内人(かふちひと)茨田連(まむたのむらじ)
衫子(ころものこ) 衫子、此をば?呂母古(ころもこ)と云ふ。
二人を以て河伯(かはのかみ)に祭らば、必ず塞ぐこと獲(え)て
む」とのたまふ。則(すなは)ち二人を覓(ま)ぎて得(え)つ。
因りて、河神(かはのかみ)に?(まつ)る」と、でてきます(岩
波文庫『日本書紀』坂本太郎ほか校注から)。

 第16代仁徳天皇11年といえば、『世界大百科事典』(平凡社)か
ら換算すれば、西暦323年。茨田堤(いまの大阪府枚方市から寝屋
川市にかけての淀川東岸の地の堤)を築いたときに、ある日天皇の
夢の中に神があらわれて、「武蔵人強頸(こわくび)と河内人茨田連
衫子の2人を川の神に供えると、堤はできあがるだろう」といいま
した。さっそく天皇は2人を探すように命じ、人身御供として川の
神に奉げることにしたというのです。

 長野県北アルプスふもとの犀川(さいかわ)にはサイがいるとい
い伝えられるように、川にはオロチ、ウシ、ウナギなどのヌシがい
るとされています。江戸時代末期、赤松宗旦(あかまつそうたん)
が著した利根川中・下流域の地誌『利根川図志』のいまの茨城県利
根町押付の本田水神社(すいじんじゃ)縁起の項には、水神が潜牛
(かわうし)に乗ってやってきて、釣り人のさおを奪おうとする絵
が描かれています。

 川の神は水の神と同じように、河童だとも考えられています。川
太郎、川子(かわこ)など呼ばれるものはどれも河童と同じように、
水の神のお使いでもあります。川の神はとくに九州地方で多く聞き
ます。長崎県の壱岐島では、毎月二十九日は川の神が水筋を通って
ほかの井戸や池に通う日だといいます。

 神が水筋を通る時は、「ヒュー、ヒョー」という声が聞こえ、生
臭い臭いがするといいます。またこの神には羽があり空中を飛ぶと
も伝えます。そのなかでも正月、五月、九月の二十九日のカワマツ
リには、竹の棚に日形や月形のシトギ(米の粉でつくった餅)と、
竹の樽十二本などを供える風習があります。

 熊本県天草のカワマツリは春の彼岸に行うもので、竹を使って川
の中に棚をつくり、ご弊やお神酒といっしょにシトギを月の数だけ
わらの器に入れて供えという。また長崎県の平戸市でも神主などが
川祭り、土用祭りを行っているそうです。

 6月に全国的に行われる川祭りや、川施餓鬼(かわせがき)には、
河童が好きなキュウリを供えたりします。川の神と河童。そういえ
ば川天狗というのもあり、河童に近いものだといわれています。川
天狗は宮天狗、海天狗、道天狗などの天狗の一種で、くちばしがと
がった形で河童の口に似ています。

 神奈川県西部の丹沢湖畔にある川天狗は、ダム工事で丹沢湖がで
きる時、水没する集落から山の神や馬頭観音、庚申などの石仏を移
転したもの。小さな沢沿いに石碑が建っています。川の不思議な伝
説に多いのは、一定の時期水がなくなる「水無川伝説」です。

 そのひとつに「大根川」というのがあります。これは弘法大師が
ある農家にダイコンを所望したところ、欲深い農夫に断られました。
それからというもの、毎年ダイコンの収穫期になると大根を洗う川
に水が涸れてしまうというのです。

 また「音無川」というのもあります。あるところに水の流れがや
かましい川がありました。住民が困っていると、やってきた弘法大
師(または偉い人)が流れの音を封じてくれたというのです。

▼【参考文献】
・『世界大百科事典・6』(平凡社)1972年(昭和47)
・『世界大百科事典・7』(平凡社)1972年(昭和47)
・岩波文庫『日本書紀・2』(校注・坂本太郎ほか)(岩波書店)1996
年(平成7):『日本書紀』720年(養老4)
・『日本大百科全書12』(小学館)1986年(昭和61)
・『日本の民俗46・鹿児島』村田煕(ひろし)(第一法規出版)昭
和50(1975)年
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)

 

 

 

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