『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第1章 山・谷・峠の神と怪物

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▼01-10「夜叉神

【略文】

夜叉(やしゃ)。なんとも不気味な響きです。古代インドのベーダ
聖典に人を害する鬼神として登場。半神半鬼の性格を持ち、醜怪な
姿をしており、人の肉を食うとされています。南アルプスの入り口
・夜叉神峠は、昔、御勅使川源流に荒ぶる神がおり、悪疫、洪水、
暴風雨と暴れ放題。困った村人がこの峠にホコラを建てしずめたと
いう。

▼01-10「夜叉神

【本文】
夜叉。なんとも不気味な響きです。ヤシャは、サンスクリット語
のヤクシャ、パーリ語のヤッカの音写だそうです。もとは「光の
ように速い者」とか「祀(まつ)られる者」を意味しており、超
自然的神聖な存在だったといいます。時には羅刹(らせつ=イン
ド神話にあらわれる悪鬼)とも同一視されます。

夜叉は、古代インドのヴェータ聖典に初めて人を害する鬼神とし
て登場する名前で、醜怪な姿をしており人の肉を食うとされてい
ます。のち、仏教の八部衆「天竜八部衆=仏法を守護する天・竜
・夜叉・闥乾波(けんだつば)(「だつ」は門構えのなかに達)・阿
修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩?羅
伽(まごらか)(「ご」は目偏に侯)の八部の衆類」に入り、毘沙
門天(びしゃもんてん)の従者になったという。

しかしその激しい性格は変わらず、半神半鬼の性格で神通変化の
力をもっているといいます。そのため、人を助け利益を与え仏法
を守護する半面、信仰のない人間には害を加えるような凶暴さを
あわせもつたたり神だといいます。とくに女夜叉(夜叉女・ヤク
シニー)は人間の肉や血を食う凶悪な性質をもつと百科事典にあ
ります。あまり付き合いたくない神様ではあります。

南アルプスの入り口、その名も山梨県南アルプス市に夜叉神峠
(1770m)があります。その昔、甲斐の国を流れる釜無川の支流、
水出川(いまの御勅使川・みだいがわ)の源流に猛々しい神が棲
んでいました。身の丈20数m、眼はらんらんと輝き、暴風雨を自
在にあやつり、洪水を起こすわ、悪疫をばらまくわのし放題。人
々はこの神を夜叉神と呼びました。

平安時代のはじめ、天長2(825)年の洪水は下流の釜無川、甲府
盆地を越えて一宮まで被害を与えました。見かねた甲斐の国造(く
にのみやつこ)の文屋の秋津は、この惨状を朝廷に奏上。淳和天
皇は心を痛め勅使を送り、水難防止除けを祈ったという。そのた
め、水出川は御勅使川と名を変えました。

これとは別に村人たちは、御勅使渓谷を一望できるこの峠に石の
祠を建て、念入りに祭祀しました。それ以来、夜叉神のたたりは
ぴたりとやみ、今は豊作の神、縁結びの神として、夜叉神峠小屋
の北側に祭られています。

またまたこんな話もあります。夜叉神が、米子という村の娘を掠
奪し悪行のし放題。そこへ坂上田村麻呂がやってきて夜叉神を退
治します。夜叉神は空を飛び男鹿の山に逃げましたが米子は、田
村麻呂の矢に当たって死んでしまいます。村人は娘を厚く葬り米
子の名をとりむらの名を「女米鬼」としたという伝説が秋田県雄
和町字女米木(女米鬼)にあります。

▼【参考文献】
・『甲斐国志」(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三省堂)1979年(昭和54)
・『日本の民話7・妖怪と人間』宮本常一ほか監修・松谷みよ子ほ
か編(角川書店)1973年(昭和48)
・『日本伝説大系2・中奥羽編』(岩手・秋田・宮城)野村純一編
(みずうみ書房)1985年(昭和60)
・『日本大百科全書23』(小学館)1989年(平成1)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成
6)
・「夜叉神峠の由来」夜叉神峠小屋パンフ

 

 

 

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