『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第1章:山・谷・峠の神と怪物

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▼06「峠神

【略文】

山に上下と書いて峠でとうげ。峠は漢字ではなく、日本で作った文
字で「国字」だそうです。いまでこそトンネルを掘って道を作りま
すが、ムカシは山を越えるときは、山と山の鞍部(あんぶ)に道を
つけ、向こう側の村へ用を足しに行くのでありました。その鞍部を
峠といいます。「とうげ」はタワゴエのなまったものといわれます。

▼01-06「峠神

【本文】
山に上下と書いて峠でとうげ。峠は漢字ではなく、日本で作った文
字で「国字」だそうです。いまでこそトンネルを掘って道を作りま
すが、ムカシは山を越えるときは、山と山の鞍部(あんぶ)に道を
つけ、向こう側の村へ用を足しに行くのでありました。

その鞍部を峠といいます。「とうげ」はタワゴエのなまったものと
いわれます。タワとは山歩きで耳にする、また地図にもある「○○
のタワ」などのあれです。早い話がたわんでいるところ、つまり山
と山との鞍部や尾根の上の鞍部のことなのであります。そこを越え
るのがタワゴエ。

これが時代がたつにしたがい、タワゴエ、タウゲエ、タウゲ、トウ
ゲになったのでありますと。ムカシの人は、この峠にも神がおわす
と考えました。峠神は柴折り神、柴神ともいい、峠にホコラを建て
たりしてまつります。

山を歩いていると、まして峠付近では、急に冷や汗が出て、極度の
疲労や、お腹のすくことがあります。これはヒダル神がとりついだ
ためと人々は思いました。ヒダルのヒは疲労の疲。ダルはタルミの
タルでだるさのダル。いやこれはでたらめ。

この悪霊を追い払うには、柴を折って峠神に供えます。峠神はホコ
ラであったり、古木であったり、自然石のときもあります。柴を手
向けるので、手向けがなまって「とうげ」になったという説もあり
ます。

また峠神・柴神はいろいろな祈願の対象にもなり、こどもの機嫌の
悪い時や腫傷疾の病気にも治るように祈ったりします。地蔵や観音、
薬師などにも柴折り地蔵、柴とり観音、柴折り薬師として信仰して
いるところもあるそうです。

ヒダル神にとりつかれると腹がへりはじめ、手足がしびれて歩けな
くなる、そういう時は米という字を手に書いて食べるまねをするそ
うです。

神奈川県丹沢表尾根の登山口ヤビツ峠は新しくつくった峠で、か
つてはもっと西側にありました。いまでもその跡が残っています。
この旧ヤビツ峠は、かつて餓鬼道と呼ばれ、ここを通る人は食べ
物を山の餓鬼たちに投げてやる習慣があったといいます。かつて
この旧峠からの道は秦野から札掛地区へ食糧を運ぶ重要な運搬道。

ある冬、何日も雨や雪が降り続き、札掛地区の食糧が乏しくなり
ました。心配になった秦野の荷揚げ役の加藤老人は、力自慢の若
者に食糧を背負わせ、札掛に向かいました。やがてヤビツ峠にさ
しかかると案の定、腹がへってやりきれません。

「さっき、食べたばかりなのに……」と思いながら、無理に歩い
ていましたが、どうにもなりません。ついに腰がふらつき歩けな
くなり、ひざをつきて地面をはいずるしまつ。それでも懸命には
いながら峠を下ると、うそのように元気になったといいます。前
もって充分に食事を食べていてもそのありさまです。

このあたりは戦国時代の永禄年間(1558〜1570)、甲斐の武田信
玄と小田原の北条氏康との激戦の場でありました。その時その時、
戦いに敗れ傷つき、腹をすかしながら死んでいった武士たちがた
くさんいました。

村人たちは、その亡霊が食べ物を探してさまよっているのだと噂
しあったそうです。それからというもの、村人たちはここを餓鬼
道と呼び、峠越えをする時はあらかじめ食糧を余分に持って行き、
自分が食べる前に山の餓鬼たちに与えるようになったということ
です。

▼【参考文献】
・『日本の神々・多彩な民俗神たち』戸部民夫(新紀元社)1998年
(平成10)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)

 

 

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