『新・ふるさとの神々』(上)加筆
第5章 仙 人

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▼05-08「武内宿禰(たけのうちのすくね)」

【本文】
 武内宿禰(たけのうちのすくね)は、『日本書紀』や『古事記』
にも載る大和朝廷初期の人で、日本最初の大臣です。「タケシウチ
ノスクネ」とも、「タケノウチノスクネ」とも読み、『古事記』では
建内宿禰と表記しています。

 第8代とされる孝元天皇の孫(『古事記』)とも、または曾孫(『日
本書紀』)ともいわれ、景行朝初年(西暦71年)とも、3年(西暦73)
に生まれともされています。

 この人は景行天皇から成務、仲哀、神功皇后、応神、仁徳天皇と、
六朝にわたって仕えたというからただごとではありません。その子
孫は巨勢氏、蘇我氏、葛城氏、平群氏などなどたくさんの氏の始祖
で、その氏族は古代の有力廷臣の半分以上を占めているといいます。

 景行天皇の時代(西暦71〜130年)には、東国を巡察、成務朝
で初めて大臣となり、神后皇后を助けて新羅征討を行い、また皇后
の命で忍熊王などの反乱を鎮めたといいます。武内宿禰は仁徳天皇
78年(390)に没したとされ、317歳まで生きていたことになりま
す。しかし異説も多く310歳から、なかには380歳余りなどの説も
あります。

 日本の仙人37仙を解説している『本朝神仙伝』では、「因幡風土
記」を紹介し、難波高津宮(なにわのたかつのみや)(仁徳帝)55
年3月、大臣武内宿禰が360余歳の時、因幡の国(いまの鳥取県東
部)亀金に下向し、双履(そうり)(二つのくつ)のみを残して没
したとあります。

 そして、「蓋(けだ)し聞く。因幡の国法美郡宇部山(別称因幡
山)のふもとに神社あり。宇部神社といえり。これ武内宿禰の御霊
にます。昔、武内宿禰、東国の蝦夷を平らげ還りて、宇部山に入り
てのち、果てますところを知らず」。と結んでいます。

 宇部神社はいまの鳥取県岩美郡国府町にあり、因幡の国一の宮。
創立は648(大化4)年とされています。現在、宇部神社本殿の裏
には、武内宿禰が姿を消したとき残した双履にちなんだその名も双
履石という岩がならんでいるそうです。

 ところが、武内宿禰について書かれていることは大うそっぱちだ
というからガックリです。宿禰の話に出てくる天皇の名前で、仁徳
天皇以外はすべて実在しない名前だといわれちゃうと、ボク困っち
ゃうな。

▼【参考】
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新
潮社版)2005年(平成17)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『古今著聞集』橘成季著:日本古典文学大系84『古今著聞集』永
積安明ほか校注(岩波書店)1987年(昭和62)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成
4)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『本朝神仙伝』大江匡房著:日本古典全書『本朝神仙伝』川口久
雄校注(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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