■003・斜里岳「斜里岳・水の神がすむ竜神ノ池」
【本文】
斜里岳は舎里岳ともいい、北海道東部にある知床半島のもとの部
分にある山。斜里町と清里町との境にそびえています。山頂には3
つの寄生火山と数個の火口があります。山名の斜里岳は、斜里川の
水源にあるためについた名で、これはニホン人がつけた山名です。
シャリとは、アイヌ語で「サル」(葦の湿原)の訛ったもの。つ
まり、「葦(茅)がたくさん繁茂する」という意味だといいます。
地元では「オンネヌプリ」(大きな山)と呼ばれ、斜里コタンの人
々に敬われていたらしい。これはアイヌの人たちが呼んでいた名前
だそうです。
山頂からは、知床半島から斜里平野、網走市能取岬(のとろみさ
き)までのオホーツク海、弟子屈町(てしかがちょう)の摩周湖や、
阿寒の山なみまでが望見できます。高山植物は、頂上付近のヨツバ
シオガマ、チシマワレモコウなどをはじめ、ミヤマキンポウゲ、チ
シマキンバイソウ、エゾノハクサンイチゲ、シャリスゲなど、70
余種にも達するといいます。
馬の背の稜線にでると眺望が開け、山頂は目前です。足元の白い
小さな祠は、清里町側の斜里岳神社です。1935年(昭和10)年の
創建といい、大山祇命(おおやまつみのみこと)と天之水分神(あ
めのみまくりのかみ)をまつっているといいます。大山祇命(神)
は『日本書紀』での表記で、『古事記』では大山津見神と書かれて
いるというややこしい。
その上別名があるのでお手上げという、わたしは罰当たりです。
有名な木花開耶姫(このはなさくやひめ)のお父さんで、大山を司
る神であり、酒造りの祖神になっています。また天之水分神は、『古
事記』にだけ出てくる神で『日本書紀』には記述がありません。ミ
クマリとは水の分配、つまり農業用水を分配する役割の神であり、
農業神になっています。
また上二股直下の竜神ノ池にまつわる龍神神社(清里町江南)が
あります。斜里の文字のついた神社には斜里岳神社のほか、斜里町
本町に「岳」のつかない「斜里神社」という神社もあります。ちな
みにここは1936(昭和 11)年には、イギリス人ストラットンが、
日食観測を行ったことでも知られています。
さて、山ろく清里町の清岳荘から山頂を目指します。旧登山口、
旧清岳荘跡を過ぎ、下二股から新道コースをたどり、ピーク1250
mのコブを過ぎるてしばらくすると、わき道に入ってすぐ、神秘的
な池「竜神ノ池」があらわれます。この池には、古くから水の神で
ある「竜神サマ」がすんでいると伝えます。1932年(昭和7)、こ
のあたりが干ばつに見まわれ、日照りがつづきました。
村人は鐘や太鼓を叩き、徹夜で雨乞い祭をして、高台に竜神をま
つる神社を建てました。さらにワラで大蛇をつくり、斜里岳に登山、
「竜神ノ池」にそれを泳がせて夜通し祈願したそうです。その甲斐
があってか、山を降りるころにはポツリポツリと雨が降り出し、や
がて本降りになったということです。しかしこんどはなかなか降り
止まなかったそうです。そのあとはどうなったのか知りたいところ
です。
この池の言いつたえに、「斜里岳に登ったら必ず龍神の池に立ち
寄ってきれいに掃除して帰りなさい」というものがあるそうです。
そこは竜神サマが身を清めるため、行水する池なので、棒でかき回
したりすると、天気が荒れるといわれています。事実、天気が安定
しない時にかぎって、池に行ってみると、必ず池が汚れています。
そして掃除して帰ると、不思議に天気が安定することが多いという
のです。
こんな不思議なことがありました。1988年(昭和63)に、行者
に夢のお告げがあり、竜神神社を訪れました。行者が氏子に「竜が
喜んでおられます」と伝えました。その時、行者の両腕には、竜の
うろこが浮かび上がっていたそうです。
また北ろくの斜里町にはこんな話が伝わっています。ここにも義
経伝説があります。源義経は岩手県の衣川で死んだことになってい
ますが、実は生きていて、三厩(みうまや・青森県外ヶ浜町)で船
出の風が吹くのを待ち、竜飛(たっぴ・外ヶ浜町)から北海道へ渡
ったというのです(『義経北行伝説』)。そしてアイヌの人々に溶け
込んで、農耕や舟の作り方とか、操法、機織りの技法を教えました。
アイヌの人たちは、義経をホンカンカムイと呼び、神として敬い
仰いだというのです。斜里町の串多という所には、柱石が重なるよ
うに突き出ています。これは昔、義経が魚を串に刺て焼いた所で、
残りを捨てたものが石に化したいい伝えられています。
また同町にあるカモイエバ(大岩)と呼ばれる奇岩は、マムシの
首が海に突き出たようになっています。ここには昔、義経の家来弁
慶の妹が住んでいたといいます。それを大蛇が呑み込まんとして近
寄ってきましたが、弁慶に気づかれ踏みつぶされ、岩になってしま
ったもの。
その時、そばに5柱の神が立っているように見えました。これが
シャリを守護している神々で、弁慶の加勢に現れ、そのまま岩にな
ったといわれます。それがいまいうアシキネシユマ(五岩)という
ことです(『知床日誌』、『日本伝説大系1』)。
またこんな話もあります。斜里から、知床半島へ向かう途中に、
宇登呂(うとろ)という集落があります。この集落の港の沖に浮か
ぶ、怪獣に似た岩ばかりの島があります。周囲が切り立った絶壁の
ような島です。昔は「オロッコ族」という部族が住んでいたとそう
です。
この部族は、島のなかの高い岩の上に登り、付近を通りかかる船
に、丸太や石を投げつけて船を止め、積んでいる荷物を奪ったりす
る悪さのし放題。怒ったアイヌの人たちは、何度もオロッコ族を攻
め込みましたが、なにせ周囲が絶壁の島。その上、岩壁の上から岩
や石などなんでも飛んでくるので手がつけられません。
ある時、アイヌの酋長が村の衆を集め相談。闇夜に絶壁の下の海
岸にうち寄せた海草を集め、鯨の形を作りました。その上になぜか
川から捕ってきた魚をならべました。朝になり海鳥たちが魚を食い
に集まり大騒ぎになりました。それに気がついたオロッコ族は、寄
り鯨(座礁鯨)だと勘違いして、大喜びで島から海岸へ駆け下りて
きました。
ところがアイヌたちは岩かげに身をひそめ、この時を待っていた
のです。オロッコ族が船場へ走りかけた時、彼らを一斉にとり囲ん
で攻撃、とうとう全滅させてしまったのです。それからというもの、
この島を誰いうことことなく「オロッコ岩」と呼ぶようになったと
いうことです。
さらにもうひとつ「妖怪コンシュンプ」という話です。明治の初
めころ、イぺランケという老婆がいました。この老婆が若かった頃
の話です。老婆の若い夫は、海でアザラシ猟の仕事にしていました。
ある日、きれいな斑点のあるアザラシが穫れました。これが、きれ
いな女性に化ける「コンシュンプ」という妖怪でした。
若い夫はこの化け物にすっかり取りつかれて夢中になり、老婆の
イラペンケが邪魔になって虐待するようになったのです。たまりか
ねた老婆は、なにか夫につき物がついているに違いないと考えまし
た。そんなある深夜、こっそりと家に忍び込む者がいました。老婆
はその者にマサカリで一撃を加えました。そこにはきれいな片腕が
落ちていたのです。
次の晩、きれいな女性が家に入ってきて、老婆のイラペンケに泣
きながら訴えました。「私はコンシュンプという妖怪ですが、アザ
ラシに化けてあんたの夫に取り憑いたため、昨夜は片腕を取られて
しまいました。しかし、これからはあなたの夫に、あなたを虐待す
るようなことはさせないし、あなたに一生不自由のない暮らしがで
きるようにします。そのかわり片腕を取られた代償としても、夫を
私に下さい」。
そういったと思うと老婆は夢から覚めました。目が覚めてみると、
あの女の片腕がなくなっているではありませんか。それからは妖怪
コンシュンプのいったとおり、夫は老婆に優しくなりましたがまも
なく他界。夫は妖怪コンシュンプのところにいったのだといいます。
そして老婆イペランケは、妖怪コシュンプのいったとおり、一生な
に不自由なく、暮らすことができたということです。
▼斜里岳【データ】
【所在地】
・北海道網走支庁斜里郡清里町と斜里町との境。JR釧網本線知
床斜里駅からバス、斜里岳登山口。さらに歩いて6時間で斜里岳。
1535.8m。二等三角点名:「斜里岳」と標高点1547mがある。
【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・三角点:北緯43度45分56.85秒 東経144度43分5.5秒
・標高点:北緯43度45分56.69秒 東経144度43分3.59秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:斜里岳(斜里)
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典1・北海道(上巻)』編(角川書店)1991
年(平成3)
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新
潮社版)2005年(平成17)
・『知床日誌』(松浦武四郎)文久3(1863)年
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本大百科全書11』(小学館)1986年(昭和61)
・『日本伝説大系・1』(北海道・北奥羽)宮田登ほか(みずうみ書
房)1985年(昭和60)
・『日本歴史地名大系1・北海道の地名』高倉新一郎ほか(平凡社)
2003年(平成15)
|