【天狗のはなし】  (toki HP/temg/tem022/022-kaba.html)

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▼022「首都圏・茨城県・加波山の天狗・岩切大神」

【序文】
加波山の名は、神の庭(神庭・かんば)がなまってカバサンになっ
たという。江戸後期の『仙境異聞』にはこの山の天狗がでており、
登山口桜坊にその像がふたつあります。ひとつは羽をつけ烏天狗の
ように嘴がとがり、狐に乗って火炎を背負う天狗。もうひとつは一
本歯の下駄をはいた普通の姿です。
・茨城県桜川市と石岡市との境
▼022「首都圏・茨城県・加波山の天狗・岩切大神」

【本文】
 茨城県にある加波山(かばさん)は、筑波山・足尾山と合わせて
「常陸(ひたち)三山」と呼ばれています。加波山の名は、ここに
まつってある加波山神社・加波山三枝祇(ぎ)神社の庭・神の庭(神
庭・かんば)がなまってカバサンになったとの説があります。この
山には神母山・樺山・加葉山の別名もあるそうです。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)も東征の折り、ここに祠(ほ
こら)を建てたといわれています。この山は、709mと標高は低い
ですが、中世は修験の霊場として栄えたところ。奇岩岩窟の中に加
波山岩屋禅定(ぜんじょう・無念無想の修行)の修行場があちこち
にあります。

 いまでも加波山禅定は行われていて、白衣、わらじ履きの行者が
金剛杖をついて、六根清浄を唱え山中の霊場をめぐる修行が行われ
ています。まつる神を加波山大権現といい、明治の初めまでは神社
を管理するお寺(別当寺)の文殊院がありました。

 しかし、江戸時代後期の弘化3年(1846)に火事にあい、また明
治はじめの神仏分離令で、お寺から加波山神社と改めました。いま
加波山神社には中宮、本宮、親宮の加波山三社があり、社務所を兼
ねた宿坊もあります。里宮は八郷町にあり、祭神は国常立命ほか(加
波山大権現)。ご利益は、農耕・大漁・火災盗難予防・疫病退治な
どだという。

 また1884年(明治17)、政府転覆をはかった「加波山事件」で
は、自由民権運動の富安正安ら16人が爆弾を持って「自由の魁(※
さきがけ)」などの幟(のぼり)を掲げてこの山に立てこもりまし
た。いまもこの幟を立てた旗立石が山頂に残っています。

 またこの山の山頂近くには加波山たばこ神社という珍しい神社が
あります。ここにまつられる神々は、山ノ神の元締めである大山祇
神(おおやまづみのかみ)、野の神の鹿屋野比売神(かやのひめの
かみ)が主神。

 そのほか生産の神である大国主命(おおくにぬしのみこと・大黒
さま)などとともに八雷神(はちらいじん)がいます。八雷神は落
雷やタバコの成育に害のある雹(ひょう)を降らせる雲を払うとさ
れ、ふもとのタバコ栽培農家の信仰を集めた神だそうです。八雷神
をまつることから、昭和33年に神奈川県丹沢大山阿夫利(あふり)
神社(祭神が雷神)を勧請(かんじょう)しています。 毎年9月
5日にはキセル祭りも行われています。

 加波山のふもとに伝わる伝説です。その昔、ある役人が山のふも
とにきたとき、一軒の家で娘と両親が泣いています。事情を聞いて
みると「この村では毎年、化け物に娘をひとり差し出すことになっ
ています。ことしは自分の娘がその順番なのです」という。役人は、
化け物の様子をお宮の中に隠れて見ることにしました。

 真夜中になると白い大きな化け物があらわれました。化け物は「丹
波(たんば)の国のシッペイ太郎に知らせるな。ドッドコドノド」
と歌いながら踊りはじめました。そして夜が明けるとどこかへ帰っ
ていきました。化け物は丹波(たんば)の国(京都府中部と兵庫県
の一部)のシッペイ太郎というのを怖がっているらしい。

 役人は丹波の国へシッペイ太郎を探しに行きました。あちこちと
探しましたがなかなか見つかりません。最後の日に入った家に、シ
ッペイ太郎という大きな犬がいるのを見つけました。役人はその犬
を連れて加波山のふもとの家に帰りました。早速、娘を入れる箱に、
役人とシッペイ太郎が入ると、村人たちがお宮に運んでいきました。

 夜中になり、箱をかこんで化け物たちが歌い、踊りはじめました。
しばらくすると化け物たちが箱を開けました。その刹那、シッペイ
太郎が箱から飛び出し大暴れ、化け物たちを残らずかみ殺しました。
役人が箱から出てみるとそこには大きな白猿が死んでいたというこ
とです。

 ここも天狗の山としても知られる所。江戸時代の国学者平田篤胤
(あつたね)も「加波山には四十八天狗」がいると『仙境異聞(せ
んきょういぶん)』という本に書いています。江戸後期の話です。
下谷の長屋に寅吉と呼ぶ、天狗にさらわれて茨城県岩間山に連れて
行かれ、しばらく天狗と一緒に生活したという不思議な少年がいま
した。それを伝え聞いた平田篤胤は毎日のように寅吉のところに通
い、話を聞き本にまとめました。

 それによると、筑波山塊の天狗は3つに大別され、「岩間山には
十三天狗、筑波山には三十六天狗、加波山には四十八天狗」がいる
という。岩間の杉山僧正も天に祈るときにはわざわざ加波山に行く
という。加波山が一番の神秘な郷だというのです。加波山にいる天
狗の中でも名前をもっている大物は、岩切大神天狗と天中坊(てん
ちゅうぼう)天狗だという。

 岩切大神は、加波山にかくれて見えない加波隠れ山と呼ばれる燕
岳の谷間に建つ天狗祠の主(ぬし)だという。木版の影符を見ると、
ドングリ眼(まなこ)に鼻がとがり、全身が毛むくじゃらで人面獸
身、狐に乗った荼吉尼天(だきにてん)の姿です。またもう片方の
加波山天中坊は、ふもとの里宮、加波山天中社がまつる天狗。

 加波山天中社には、昔から岩切大神とは違う天狗がいるといわれ
ていましたが、どういうわけか名前が分からなくなっていたという。
近年になって宮司が霊媒嬢に祈って貰ったところ、天狗の名前は天
中坊だと分かったという。こんなことがあるのですねえ。

 加波山の登山口・桜坊には、岩切大神天狗と天中坊天狗の像が建
っています。天中坊は一本歯の下駄をはいた普通の姿。岩切大神は
羽をつけ、鼻があるのに烏天狗のように嘴(くちばし)がとがり、
狐に乗って烏天狗(からすてんぐ)をはべらせています。

 しかし岩切大神を見てみると不動さまのように火炎を背負ってお
り、飯縄系とは少し違うようです。加波隠れ山と呼ばれる燕岳を訪
れて、あちこち歩きながら岩切大神の祠を探しましたがどうしても
見当たりません。

 下山口から振り返れば、山頂に建つ大きなアンテナ、そこへつづ
く林道、そして採石場が無惨です。すでに山中を歩いていても天狗
の「テの字」の気配も感じません。とても岩屋に行者が籠もってい
るような環境ではありません。古くさい天狗話などもう過去のもの
になったのでしょうか。

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典8・茨城県」杉山博ほか編(角川書店)1983
年(昭和58)
・『産業の神々」林正巳(東京書籍)1981年(昭和56)
・『祖神・守護神」川口謙二(東京美術)1979年(昭和54)
・加波山神社パンフ
・『古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・『山岳宗教史研究叢書6・山岳宗教と民間信仰の研究』桜井徳太
郎(名著出版)1976年(昭和51)
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮田登・宮本
袈裟雄(みやもとけさお)編(名著出版)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波
書店)2018年(平成30)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系8・茨城県の地名」(平凡社)1982年(昭和57)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

 

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