【天狗のはなし】(toki HP/temg/tem009/ten009.html)

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009「鼻高天狗と飯縄天狗」

【序文】140字
いま天狗といえばだれもが鼻の高い顔を連想します。しかし、昔の
天狗はすべてくちばしのとがったカラス天狗だったといいます。足
利時代、狩野元信がいまのような鼻高天狗を創り出しました。しか
し、飯縄山系の天狗たちは、もとのカラス天狗のままで押し通しし
ています。
009「鼻高天狗と飯縄天狗」

【本文】
いま天狗といえばだれもが鼻の高い顔を連想します。現に天狗で有
名なお寺や神社のみやげ店で目につくのは全部鼻高天狗お面です。
しかし、室町時代の末期までは鼻高天狗はなくすべてくちばしのと
がったカラス天狗だったといいます。あの「太平記」(巻第五)に
ある北条八代執権高時がなぶりものにされた「高時天狗舞い」や(巻
第二十五)の「天狗評定」の天狗たちはみなカラス天狗です。

足利何代目かの将軍の夢枕に、牛若丸に武術を教えた天狗・鞍馬山
僧正坊(そうじょうぼう)があらわれ、「自分の姿を日本画の狩野
派二代目・元信に描かせて、鞍馬寺に安置するように」とのご神託。
将軍が元信に命じると、元信も同じ夢を見たという。

元信は早速制作に取りかかりましたがいかんせん手本がありませ
ん。筆を待ったまま困りに困っていますと、天上からクモが一匹ツ
ーッと降りてきました。そして糸を吐きながら画紙の上をはい回り
ます。元信がその糸を筆でなぞってみると、頭の中で思っていたと
おりの天狗の絵が描けたというのです。

ただ、もちろんこの説を否定する本も多く、元信に依頼した人は別
人だとするものや、天狗像を創り出したのは京大工の祖父だなどと
する本などもあります。また仏教のカルラ王の姿や面相もよく似て
おり、その他、雅楽の「湖徳面」もそっくりなことから、大天狗の
モデル説はかなり異説があります。

こうしてできあがった像は、いままでの馬糞トビ姿の醜いカラス天
狗とは比べものにならない立派な大天狗像。世間の人の人気者にな
ります。全国あちこちの天狗の山々も次々にこの天狗像に乗り換え
しまい、いまでは天狗といえば山伏姿の鼻高天狗をいうようになっ
ています。

それに対して狩野元信が創り出したとされる山伏姿の鼻高大天狗に
乗り換えず、もとのカラス天狗のままで押し通ししているのが北信
の飯縄山(1917m)系の天狗たちです。この天狗の姿はほかの天
狗と異なり、背中に火炎を背負い、白いキツネに乗った荼吉尼天(だ
きにてん)の姿です。

飯網三郎の前身は、泰澄の弟子でいつも寝そべっていたその名も臥
行者(ふしぎょうじゃ)か、またはその系統の行者だろうといわれ
ています。飯縄山といえば、飯縄法の発祥地ですが、飯縄法は飯網
三郎をまつる飯縄修験や戸隠修験とは関係なく、それらよりもずっ
とあとの時代におこったものだそうです。

飯縄山へは、ふもとから第一不動明王、第二釈迦如来、第三文殊菩
薩……と、第十二大日如来へ続く石仏をたどっていきます。鳥居を
くぐると山頂で、その直下にある飯網神社の祠の中には2匹のキツ
ネに乗った荼吉尼天の石像があります。これがまさに飯網三郎天狗
像です。

飯縄系の天狗は、このほか静岡県の秋葉山三尺坊、神奈川県箱根明
星ヶ岳の道了薩た(どうりょうさった)、東京の高尾山飯縄権現、
茨城県の加波山岩切大神などがいます。これらの天狗は、室町末期
に狩野元信が鼻の高いかっこいい天狗を描き出したあとでも、この
姿にのりかえず、昔から変わらない、もじゃもじゃ頭でくちばしの
とがった姿を守りとおしています。

飯縄系の天狗のいる山、東京都民のオアシス高尾山。南北朝時代の
永和元年(1375)、醍醐の僧と伝えられる俊源が修行中に夢のなか
で長野県の飯縄権現が飛び来る姿をみて、その像を彫って守護神と
してまつったという。

その姿は、右手に宝剣、左手に索縄を持って両足首にヘビが巻きつ
いて白キツネに乗った姿でした。JR高尾駅や京王線高尾山口駅に
は天狗の石像がありますが、この像は鼻の高い普通の天狗の姿をし
ており、飯縄権現の姿を表わしたものではありません。

神奈川県箱根明星ヶ岳の道了薩たは、道了尊の名があり、これは大
雄山最乗寺のバス停の名前にもなっています。小田原駅から出てい
る伊豆箱根鉄道の終点大雄山駅構内にも道了薩たの石碑がありま
す。ちなみに、最乗寺境内にある道了尊はまだ荼吉尼天狗になる前
の人間の姿をしてまつられています。

この最乗寺には、大天狗とカラス天狗なども仁王のようにたたずみ、
大きな天狗げたなども奉納されています。神奈川県相模生まれの道
了は、三井園城寺の行者だったという。あるとき、同郷の了庵が最
乗寺を建てていると聞くや、了庵のもとにはせ参じて弟子入りをし、
寺の創建に協力します。

最乗寺が完成した18年後の応永元(1394)年、師の了庵が他界し
ます。道了は、これから最乗寺を守ることに専念すべく、天狗の姿
に変身し、明星ヶ岳をめざして飛び去ったと伝えられています。以
後、道了は地元の人たちに道了尊(どうりょうさん)と呼ばれて親
しまれています。

▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「天狗の山々」(「山と渓谷」92年2月号)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

 

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