山の伝承【山岳はがき画】(02)
とよだ 時(とよた 時改め)
山岳漫画・農山村の風物画文 (主に画文著作で活動)

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▼東北の暴れ山・蔵王山

【序文】
蔵王山も噴火の山で、有史以来34回とも47回ともいう暴れ山。い
まも御釜の北東部丸山沢では噴気活動が続いています。この山の噴
火の記録は鎌倉時代で、ユズの大きさの石が雨のように降ってきた
という記録があります。山名は役ノ行者の叔父の願行という坊さん
が奈良県吉野金峰山(きんぷせん)から蔵王権現を勧請(かんじょ
う)して、まつったからだという。
・山形県と宮城県との境。

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山のはがき画の会

▼東北の暴れ山・蔵王山

【本文】

蔵王山も噴火の山で、有史以来34回とも47回ともいう暴れ山。い
まも御釜の北東部丸山沢では噴気活動が続いています。この山の噴
火の記録は、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』巻廿七にあるのが最初だ
という。

寛喜(かんぎ)2年(1230・鎌倉時代)11月8日条に、「八日、乙
未(きのとひつじ)、晴れ、大進僧都(だいしんそうず)観基、御
所に参じて申して云ふ、去月(10月)十六日夜半、陸奥国柴田郡
に、石雨の如く下ると云々、件の石一つ、将軍家に進ず、大さ柚の
如くにて細長なり、廉(かど)有り、石下る事廿餘里と云々」とあ
ります。ユズの大きさの石が雨のように降ってきたというからただ
ごとではありません。

さて蔵王山というのは、宮城・山形両県を分ける連峰の総称で、大
ざっぱに北蔵王(瀧山)、中央蔵王(熊野岳、刈田岳など)、南蔵王
(屏風岳、不忘山など)に区別されます。ただ蔵王という時は、ふ
つう中央蔵王をさしているようです。

山形県側では山形蔵王、宮城県側では宮城蔵王(表蔵王)などとも
呼ぶそうです。中央蔵王は活火山で、有名な御釜は山形県境からち
ょっとはずれた宮城県側にあって、いままでの火山活動はみなこの
御釜周辺からおこっているのだそうです。

蔵王山は1950年(昭和25)に「毎日新聞」の「観光地百選・山岳
の部」で第1位に選定されて以降、1962年(昭和37)、蔵王エコー
ラインなど交通施設やスキー場の整備が進んで観光地として発展。
有名な杉ヶ峰付近の樹氷やスキーヤーに好まれる雪質、また温泉の
存在などから有数のスキー場として、最近はいろいろな観光施設も
でき、四季を通じた観光地となっています。

蔵王山は昔は、不忘山(わすれずのやま)、刈田嶺(かったみね)
とも呼ばれていましたが、飛鳥時代の680年(天武8)、役行者(え
んのぎょうじゃ)の叔父の願行(がんぎょう)という修行僧が、吉
野(奈良県)の金峰山(きんぷせん)から蔵王権現を勧請(かんじ
ょう・神仏の分霊を移しまつる)して蔵王山と呼ばれるようになっ
たという。

いま刈田岳の頂上には刈田嶺(かったみね)神社(かつては蔵王権
現社)がまつられています(里宮は蔵王町の遠刈田(とおがった)
温泉)。蔵王権現は役行者(えんのぎょうじゃ)が修行中に感得し
た修験道の神。三眼憤怒の形相で右足を持ち上げ、右手は三鈷杵(さ
んこしょ)を振り上げ、検印を結んだ左手を腰に当てています。

そもそも奈良時代、修験道の役行者小角(おづぬ)が、苦しむ人た
ちを救うにふさわしい神を求め、奈良県吉野金峰山(きんぷせん)
に籠もり、苦行のうちに感得した悪魔降伏(ごうぶく)の菩薩だそ
うです。これは仏典には説かれていない日本独自の神だそうです。
ご利益は魔障除去、怨敵退散、所願成就、商売繁盛、事業繁栄とさ
れています。

行者は岩屋のなかに座し「この山の権現として、金峰鎮護の霊神と
なるべき端相をあらわし給え」と祈ったところ、最初に弁天さまが
あらわれました。行者は「女性で優しすぎる」と、さらに祈ると天
女は天河(てんかわ)に去っていきました(これが奈良県天川村の
天河弁財天だそうです)。

次に地蔵菩薩が出現しました。「温和で厳しさがない」と祈りつづ
けました。すると、突然天地が振動して蔵王権現が湧出しました。
それは釈迦と観音と弥勒が合体した像でした。行者は大いに喜び、
その姿をサクラの木に彫って吉野の金峯山寺蔵王堂まつったとされ
ています。

それはともかく「刈田郡宮村宮本坊蓮蔵寺書出」という文書には、
「一、故事来歴之事、往古役小角之叔父願行当村蔵王岳相開候節国
民崇敬仕願行草庵之跡を願行寺と相称した」とふもとの願行行者が
開いたお寺について書いてあります。

蔵王権現が勧請(かんじょう)される前、蔵王は「わすれずの山」
と呼ばれていました。清少納言の『枕草子』山づくしには「山は、
小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。鹿背山。ひ
はの山。かたさり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ」と
あり、「わすれずの山」として挙げられ、蔵王連峰は中央貴族にも
知られていたようです。

この「わすれずの山」がいまのどの山を指すのかははっきりしませ
んが、南蔵王には不忘山という山もあります。しかし、1899年(明
治32年)の『日本名勝地誌』には「不忘山……本名を刈田岳と云
う。刈田嶺の古社あるをもってなり。……中世より専ら蔵王山とい
う。蔵王権現をまつるもってなり。……枕草子等に見えたる奥州名
区の一にして、歌書にはいわゆる、わすれずの山これなるべし」と
あり、「わすれずの山」は刈田岳としています。

ここにある刈田嶺の古社というのは、いま刈田岳山頂にある刈田嶺
神社(明治の廃仏棄釈以前は蔵王権現社)のこと。最高峰の熊野岳
より刈田岳を指すのは、遠くから見ると刈田岳の方が目立つためと
いう。

一方、最高峰である熊野岳の名は、山頂に蔵王、熊野、白山の3権
現を勧請して熊野山神社をまつったからだそうです。蔵王が修験者
の修行の場となったの鎌倉時代ころ。当時、吉野、熊野、白山など
から修験者たちがいつからとはなく集まってきて、修験修行の根本
道場である吉野金峰山(きんぷせん)、熊野山、大峰などになぞら
えたもの。

一般の人たちも登拝するようになるのは戦国時代から。江戸時代に
は最盛期で多くの人たちが登山。蔵王権現、熊野権現、白山権現な
ど峰々をまわってお参りしたのでした。地蔵山には子安地蔵が建て
られ、また刈田岳、熊野岳の山頂にはお金の神さまである金日命も
まつられたそうです。

しかし、明治初年の神仏分離によって、蔵王権現社は水分(みまく
り)神社となり、1875年(明治8)に刈田嶺神社となりました。
その間の廃仏棄釈の暴挙により、蓮蔵寺などの貴重な古記録が焼か
れ、失ってしまいました。さらに1962年(昭和37)以降は蔵王山
神社という名前に変えられてしまったのでした。

このほか蔵王町宮地区には古社として成り立ちの違う同じ名の刈田
嶺神社があります。さて、蔵王にも春になれば雪形があらわれます。
5月初旬の種蒔きころから6月ころ、白石地方から見て南蔵王の真
ん中あたりの「水引入道」(1856m)という山の東斜面に、「蒔き
入道」とか「入道坊主」「雪入道」とかいう残雪模様があらわれま
す。

村人はそれを見て、苗代に種もみを蒔いたという。雪形はその年に
よって杖をついたり、傘を持ってあらわれたりするという。杖を持
つ雪形があらわれた年は日照り、傘の時は雨が多い年になるという
ことです。また、第2次世界大戦末期の1945年(昭和20)には、
アメリカの軍機B29が3機も墜落し、アメリカ将兵34人が死亡し
た事件もありました。

▼蔵王山【データ】
【所在地】
・【刈田岳】は宮城県蔵王町と七ヶ宿町の境。JR奥羽本線かみの
やま温泉駅の東南東15キロ。【熊野岳】は山形県山形市と上山市の
境。JR奥羽本線かみのやま温泉駅の東14キロ。JR奥羽本線白石
蔵王駅からバス、蔵王ハイライン蔵王山頂終点。刈田岳。3等三角
点(1757.8m)と刈田嶺神社がある。さらに歩いて45分で熊野岳。
2等三角点(1840.3m)と、写真測量による標高点(1841m)と、
熊野神社がある。

【名山】
・「日本百名山」深田久弥選定:第018 番:蔵王山(「日本二百名
山」・日本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第15番選定

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・【刈田岳三等三角点1757.8m】北緯38度7分39.96秒、東経140
度26分53.46秒
・【熊野岳標高点1841m】北緯38度8分37.84秒、東経140度26
分23.04秒
・【熊野岳等三角点1757.8mm】北緯38度8分37.21秒、東経140
度26分21.61秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図:「蔵王山」

【参考文献】
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『角川日本地名大辞典4・宮城県』高橋富雄編(角川書店)1979
年(昭和54)
・『角川日本地名大辞典6・山形県』誉田慶恩ほか編(角川書店)1981
年(昭和56)
・『吾妻鏡』鎌倉幕府が編纂した歴史書:岩波文庫『吾妻鏡』(5)
龍粛(りょうすすむ)訳注(岩波書店)1997年(平成9)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『山岳宗教史研究叢書7・東北霊山と修験道』月光善弘(がっこ
うよしひろ)編 (名著出版)1977年(昭和52)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『東北の山岳信仰』岩崎敏夫(岩崎美術社)1996年(平成8)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本百名山』(新潮文庫)深田久弥(新潮社)1979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系4・宮城県の地名』大塚徳郎ほか(平凡社)1987
年(昭和62)
・『日本歴史地名大系6・山形県の地名』(平凡社)1990年(平成2)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)


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