▼雑学・山の伝承ばなし
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【とよだ時】(豊田時男
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奈良吉野・奥千本の西行庵

【本文】
 あまりにも有名な吉野のサクラ。
かつて役ノ行者小角(おづぬ)が
厳しい修行の末、感得した蔵王権現を
サクラの木に刻みました。
以来、サクラがご神木となり、
金峰山寺(きんぷさんじ)へお参りにくる
人たちがそれぞれ苗を持ってきて、
植えて行く習慣ができたといいます。

 そのサクラが次第に増え、いつしか
吉野中がサクラの木で埋まり、
毎年春になると、吉野山が
全山サクラの花が咲き乱れます。
とくに奥千本地区から、蔵王堂などある中千本、
下千本方面を見下ろした景色は、
まるで夢を見ているようです。

 そのサクラに惹かれ、昔から文人墨客が
たくさん訪れています。
西行法師もそのひとりでした。
西行はここ吉野に3年間庵を結び、
歌を詠む毎日を送ったそうです。
その庵が奥千本にあります。
庵の中には西行法師の像もあり、
いかにも当時の佇まいを残しています。


 そもそも西行は、平安時代末から
鎌倉時代初頭の歌僧。
本名を佐藤義清(のりきよ)といい、
出家して西行と名のりました。
父は藤原氏藤成(ふじなり)流の
左衛門尉(さえもんじょう)、
母は監物清経(きよつね)の女(むすめ)。
先祖には平将門を討ったと伝える、
俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)がおり、
さらに奥州藤原氏とも縁つづきという、
なにやらエラそうな家系の家に生まれたようです。

 16歳のころ徳大寺家(※藤原北家閑院流の公家・
華族だった家)に仕え、
18歳の年に莫大な任料を納めて
左兵衛尉(さひょうえのじょう・
左兵衛府の第三等官)に任官したという、
よく分からないですが相当なお人のようです。

 しかし23歳の若さで出家してしまいます。
その理由は、こともあろうに
鳥羽院(第74代天皇・崇徳院の父)の
女院に思いを懸けていましたが、
どう見ても叶わぬ恋と
あきらめたためともいいますが、
はっきりしません。
(この時奥さんがいたという話もあります…)。


 西行は出家後まもなく吉野山に登り、
庵を結び3年を送りました。
そして大峰で難行苦行をおさめ、
熊野での修行を終えて、
一旦京へ帰ったのちに伊勢に赴きます。
また伊勢を経て東国への旅もしましたが、
30歳以後は高野山を本拠に、
各地を修行勧進してまわったといいます。

 50代のはじめ、
讃岐(さんき・香川県)の崇徳院の墓陵参拝と、
弘法大師の遺跡巡礼を目的に、
中国、四国方面へ行脚したそうです。
63歳になり高野山から伊勢に移ります。
その後、再度陸奥に旅のあと、
河内国の弘川寺に居を定めて、
1190年(建久1・鎌倉初期)、弘川寺で
73歳で没しました。

 西行法師は、お釈迦さまが
入滅した日と同じ日(2月15日)に
この世を去ることを願い、
「願はくは(ば)花のしたにて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ」と詠じていましたが、
その通りになったということです。
しかし、実際は西行忌は2月16日ですが、
釈迦入滅の日も15日なのか16日なのか
はっきりしていないようですので、
そこはそれ、これくらいは許容の範囲と
ご認識下さりますよう……。


 このように西行さんはふつうの歌人とも、
僧とも違った特異な生涯を送っています。
そんなことから人気は急上昇、
いろいろな説話・伝説が生まれます。
出家する時にしても、止める家族に、
幼い娘を足蹴にし奥さんを説得し、
京都西山「勝持寺」に向かったといいます。

 西行の妻は、夫の出家後間もなく尼となり、
高野山のふもとに住みました。
娘は冷泉殿に引き取られましたが、
成人してから父に再会、
父の勧めで尼になったそうです。
そして西行の死後、母子とも相次いで
往生を遂げたそうです。

 さて、こんな話も残っています。
西行が讃岐の崇徳院(顕仁・あきひと)の
墓陵参拝した時のこと、崇徳院の霊があらわれ、
西行と問答をしたことが、
『雨月物語』の白峰の項に載っています。
崇徳院(顕仁)は、
平安時代第75代天皇になりましたが、
父の鳥羽上皇に嫌われ、強引に譲位させられ、
「院」になりました。


 崇徳(顕仁)の父は鳥羽上皇とはいえ、
実際は、父の祖父(白河院)の実子では
ないかといわれています。
顕仁(あきひと)から見れば
「ひおじいちゃん」なのです。
なんとまあ……、何でもアリですね。
そんなことから父・鳥羽上皇から
疎まれていたんでしょうね。

 そこで崇徳院は、せめて自分の息子の
重仁親王を天皇にしたいと願いましたが、
またもや父の指示で、
弟の後白河天皇に、その位を奪われます。
父の死後、崇徳院(顕仁)は臣下の藤原頼長とはかり、
天皇の位を弟の後白河天皇から奪おうと、
「保元の乱」(ほうげんのらん・1156年)を起こし、
後白河・藤原忠通勢と戦いました。

 しかしあえなく敗北、
仁和寺(にんなじ)に監禁された後、
讃岐国の松山(いまの香川県坂出市)に流されます。
そこで軟禁生活を送る崇徳上皇は、
都に帰りたいと願いますがかなわず、
憤怒と怨みのうちに46歳で亡くなりました。


 そんな崇徳院の墓陵を訪れた西行法師は
世間から忘れられ荒れて、
草が生え放題の墓を見て
「保元の乱からまだ11、2年しかたっていないのに、
なんという荒廃ぶり……」と嘆きます。
そして院の墓の前に座って終夜供養を行いました。
すると、深夜に魔王の恐ろしい形相した
崇徳院の怨霊があらわれました。
西行は、崇徳院の怨念を和らげようと、
いろいろ諭しますが納得しません。

 崇徳院は突然、白眼を吊り上げて天狗を呼び、
「どうして早く
平重盛(父の鳥羽上皇方で活躍した)の命を奪って、
雅仁(後白河上皇・父の立場をうけ継いだ弟)や、
清盛を苦しめないのか!」と叫びます。
院の忠実な従者らしい天狗は
「彼奴らの命を奪うのは、いま少し時間がかかります。
12年ほど経てば必ずご希望どおりに致します。
彼が死ねば平家一族の運も尽きましょう」。

 これを聞いた院は手をうって喜び、
「さればよ、かの仇敵どもをことごとく、
この前の海に葬りつくすぞ」と、
嬉しそうに叫びました。
西行は、院の魔道のあさましい姿を見て忍びがたく、
仏道帰依の心を深めたのでありました。
そして天狗の言葉どおり、
平重盛は治承3年(1179)に死んでいるのです……。
ま、それはさておいて、西行は、
俗世間を離れて吉野に庵を結んだ3年間、
「吉野山こずゑの花を見し日より
心は身にもそはずなりにき」などの歌を
たくさん残しています。


 ある年の4月、吉野から高野山へまわり、
小辺路を歩こうと計画を立てました。
吉野はまさに花盛り。
中千本、上千本、奥千本経由で西行庵を訪れました。
西行庵は、開かれた気持ちのいい場所にあります。
庵の前には整備された東屋も建っています。
屋根には雑草が生え、
いかにも当時のたたずまいを彷彿とさせています。
近くの「苔清水」はいまでも人の生活に十分な
水量を保っています。
この清水についてはこんな歌が残っています。
「とくとくと落つる岩間の苔清水
汲みほすまでもなきすみかかな」(読み人知らず)。
余談ながら、かつてはこの歌も
西行のものと思われていたそうです。

 さてここに着いてから大分時間も過ぎました。
そろそろ今夜のねぐらを探さねばなりません。
幸いここは「清水」も近い、
この広場の片隅でテント張って、
西行さまの爪のあかでも
煎じて飲んだ気になろうかと思いました。
しかしそれはあまりにも畏れ多い。
そこで清水の水を汲んで立ち去り、
青根ヶ峰の薮の中に潜り込み、
テントを張ったのでありました。

 ちなみに西行庵に建っている波多野南行作の
漢詩碑「説法驚文覺、談兵服頼朝。
青山留錫處、千古仰高標」は、
「法を説きて文覚を驚かし、兵を談じて頼朝を服す。
青山に錫(錫杖)を留むる處、
千古より高標(吉野山)を仰ぐ」と読むのだそうです。


▼西行庵【データ】
【所在地】
・奈良県吉野郡吉野町吉野山。ロープウエー吉野山駅からバス25分、
終点の奥千本口からさらに徒歩25分で西行庵。広場と休憩所、付近
に水場がある。地形図に西行庵の地名のみ記載。標高なし。西行庵
より北方向500mに金峰神社がある。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・西行庵:北緯34度20分18.29秒、東経135度52分49.56秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「新子(和歌山)」or吉野山(和歌山)(2
図葉名と重なる)。

▼【参考文献】
・『雨月物語』上田秋成:『雨月物語・春雨物語・世間子息気質・東
海道中膝栗毛・浮世床』(日本文学全集・13)円地文子ほか訳(河出
書房新社)1961年(昭和36)所蔵
・『山家集』(さんかしゅう)西行:日本古典文学大系『山家集・金
槐和歌集』風巻景次郎ほか・校注(岩波書店)1961年(昭和36)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)

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