ヤマケイの本『日本百霊山』 陽気な妖怪ばなし
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山旅通信【ひとり画ッ展】
『日本百名山』の伝説と神話
(山の神・伝説神話)
【本文のページ】(02)
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▼日本百名山(092番)「伯耆大山」
「国来くにこ」の国引き伝説と天狗の話
(長文です。ご興味ある部分を拾
い読みしてください)
【目次】
・伯耆大山とは
・山名
・歴史
・大神山神社奥宮
・国引き伝説
・開山伝説
・山の背比べ伝説
・天狗伝説
・戦を止めようとした天狗
▼【本文】
★【伯耆大山とは】
鳥取県の西部にある大山(だいせん)は『日
本百名山』の92番目に出てくる山です。山
頂は大山町にありますが、琴浦町、江府町な
どにもわたっています。三角点のある弥山(み
せん・1710.6m)を主峰としていますが、最
高点はその東方にある剣ケ峰(1729m)で、
中国地方で一番の高峰です。
さらにその東に連なるのが天狗ケ峰で、弥
山から天狗ヶ峰までの約4キロが主稜となつ
ています。しかし人が入れるのは頂上避難小
屋までで、弥山の三角点には立ち入り禁止に
なっています。その主稜から東南へ槍(やり)
ヶ峰、烏(からす)ヶ山が連なり、東北へは
三鈷(さんこ)峰から野田ヶ山、宝珠(ほう
じゅ)山とつづいています。
★【山名】
大山(だいせん)は、旧国名から「伯耆大
山」(ほうきだいせん)とも呼ばれています。
また見る方向によっては富士山にも似ている
ため、伯耆富士と呼ばれます。さらに、とな
りの出雲(島根県)からの方が眺めがよいの
で「出雲富士」ともいいます。
★【歴史】
この山は大昔からから神います山とされ、
霊山としてあがめられてきました。有名なも
のに、大山(伯耆大山)を杭に、夜見ヶ浜(弓
ヶ浜)を綱にして保崎(島根半島)を引き寄
せたという神話があります(後述)。
またここも開山は役行者だとされ、平安時
代になると修験の寺院としての大山寺(だい
せんじ)が創建されました。大山寺は、バス
停から夏山登山道を右に見送り行者コースを
行くと間もなく右への道に入ったところにあ
ります。
★【大神山神社奥宮】
また「行者コース」の大山寺を見送った先
にある大神山神社奥宮は、伯耆大山の修験者
が、遥拝所を設置したのが元だとのこと。祭
神は大己貴命(おおなむち)。本社は米子市
にあり、大穴牟遅神(おおなむち)をまつり
ます。両方とも大黒さまのことで、大己貴命
は、『日本書紀』の表記、大国主命は『古事
記』、大穴牟遅は別名のことだそうです。
★【国引き伝説】
さて大山(だいせん)には、有名な「国引
き伝説」が残っています。奈良時代の『出雲
国風土記』意宇(おう)郡の条に、「意宇(お
う)と号(なづ)くる故は、国引きましし八
束水臣津野命(やつかみずおみつののみこ
と)、詔(の)りたまひしく、「八雲(やくも)
立つ出雲の国は、狭布(さの)(狭い)の稚
国(わかくに)(未完成)なるかも。…
…初国(はつくに)(はじめに作った国)
小(ち)さく作らせり。故(かれ)作り縫(ぬ)
わな(ほかの土地を縫い合わせて大きくしよ
う)」と詔りたまひて、「たく衾(たくぶすま)
(タクの布で作った寝衣)志羅紀(しらぎ)
(新羅国)の三埼(みさき)(岬)を国の余
(あまり)ありやと見れば、国の余(あまり)
あり」と詔(の)りたまひて、うんぬん」と
つづく文があります。
つまり、八束水臣津野命(やつかみずおみ
つののみこと)という神さまが国を作る時、
出雲の国は狭い未完成の国なので、ほかの国
の余った土地を引っ張ってきて、広く継ぎ足
そうと思いました。北の方を見ると、海の向
こうの朝鮮半島の新羅(しらぎ)の国に余っ
た土地があります。命(みこと)は幅の広い
鋤(すき)を使い、大きな魚を突き刺すよう
にその土地に打ち込み、魚のみを裂くように
して土地を切り離しました。
そして三つによった太い丈夫な綱をかけ、
川船でも引くように「国来(くにこ)、国来
(くにこ)」と唱えながら引っ張ると、その
土地はもそろもそろ動き、出雲の国にくっつ
きました。こうして合わさった国は、日御碕
(ひのみさき)から平田までの間の北山にな
りました。その時、引っ張ってきた土地が離
れていかないように大きな杭を打ち込み、そ
れに綱を結びました。その杭がいまの三瓶山
(さんべさん)で、その綱は園の長浜になっ
ているのだといいます。
その後も、命(みこと)は、次々にほかの
国の余った土地を引っ張ってきて、出雲の国
にくっつけていきました。これで出雲の国は
大分大きくなりましたが、命(みこと)はま
だ不満です。「もう少し大きくしなければ」
といってまた北の方を眺めていましたが、高
志(こし)の国に余りの土地があるのを見つ
けました。
命は「あれを引いてきて終わりにしよう」
といって、またその国に綱を打ちかけ、同じ
ように「もそろ、もそろ」と引いてきてこち
らの国につなぎ止めました。これがいまの千
酌(ちくみ)あたりから美保関(みほのせき)
までの山、つまり中海の北の半島だというこ
とです。
この時もまた、くっついた土地が離れない
ように、南の山の中にひときわ大きい杭を打
ち込み、それに引いてきた綱の端を結びつけ
ておきました。その時引っ張ってきた綱が弓
ヶ浜になり、また大杭を打ち込んだ山はいま
の大山(伯耆大山)になっています。こうし
て出雲の国は、八束水臣津野命(やつかみず
おみつののみこと)の国引きによって、いま
のように大きくなったということです。『出
雲国風土記』は、奈良時代の天平5年(733)
に完成とされる出雲の神話などが記載される
文書です。
★【大川寺縁起】
先の神話のほかに伯耆大山にはこんな起源
伝説が残っています。修験の寺院の文書『大
山寺縁起』(だいせんじえんぎ)という文書
の「巻上・一段」に、「我が朝に地蔵菩薩の
化(け)導を顕(あらわ)し給ふそのおこり
を尋ぬれば…」とはじまり、おおよそ次のよ
うなことが書かれています(『山岳宗教史研
究叢書18』)。
伊弉諾(いざなぎ・男神)、伊弉冊(いざ
なみ・女神)の神の大昔、兜率天(とそつて
ん・天上界の一つ)の第三院巽(たつみ・東
南の方角)の角より、ひとつの大盤石(ばん
じゃく・大きな岩)が落ちてきました。その
岩は三つにわれて三つの山になりました。そ
の一つは和歌山県の熊野山にとどまり、もう
ひとつは奈良県大峰山脈の金峰山(きんぷせ
ん)になり、残りの一つはここ伯耆大山にな
ったのです。
巽(たつみ)の角より落ちてきた盤石の山
というので、この山を「角磐山」(かくばん
ざん)と名づけ、熊野山・金峰山とともに日
本第三の名嶇(めいく)(名山・霊山)だと
いっています。『大山寺縁起』は、鎌倉時代
後期に成立した作者不明の大山信仰に関する
貴重な史料だそうです。また神奈川県相模大
山(おおやま)にも同じ題名の『大山寺縁起』
があるので注意が必要です。
同書『大山寺縁起』「巻上・二段」にはこ
んな話もあります。仏覚・密勝・一角仙人・
良寛・智覚・道與仙人・智勝・齊從という八
人の神仙が、新経一部・本経一部を金箱に入
れ王の筺(はこ)に納めて、梵字の最初の「阿」
の字が出現したあの山上の中池の底に納め供
養しました。
すると、池の底から白赤(びゃくしゃく)
二尊の毘盧舎那(びるしゃな)と、金色裸質
の不動明王が出現しました。そこで道場を造
り二尊の毘盧舎那と、不動明王の合わせて三
尊をまつるために「中覚院」というお寺を造
ったといいます。この時以来、この山を仏峰
山(ぶつぶせん)ともいうそうです。
★【開山伝説】
また同書『大山寺縁起』「巻上・五段」に
は、この山の開山は役行者であるとも記して
います。天武天皇の12年(684年)、役優婆
塞(えのうばそく・役行者)がこの山に登っ
て、奈良の大峰山や葛木山でしたように長い
年月修行を重ねた話も載っています。
さらに同書「巻上・六段」には、行基(ぎ
ょうき)が開山したとも記してあります。聖
武天皇5年(738年)行基菩薩が、文殊童子
の社壇で修行をしていましたが水場がなく、
仏さまに供える功徳水もありません。そこで
「明神願はくば此の岸に水をたれ給へ」と祈
りながら、金剛杵(こんごうしょ)を岩に打
ちつけると清水がしたたり出したとの記事も
あります。
またこんな開山伝説も載っています。同書
『大山寺縁起』「巻上・七段」には、出雲国
玉作(島根県八束郡玉湯町玉造)の猟師の依
道(よりみち)の話です。猟師の依道が、た
またま美保の浦を通りかかった時に、海底か
ら金色の狼があらわれたというのです。依道
があとを追っていくと、狼は伯耆大山の山中
の洞に入り込みました。依道が矢をつがえ射
ようとすると、そこに地蔵菩薩があらわれま
した。
猟師が驚いていると、こんどは尼さんの姿
に変わり、「私は登攬尼(とうらんに)とい
う山ノ神である。あなたに地蔵権現の利益を
あずからせようと、獣の姿になってここまで
導いた」といいました。依道は、あまりに不
思議な出来事に畏(おそ)れおののき、髪を
そって出家、金連聖人(こんれんしょうにん
・※草冠なし)と改名しました。
そして谷川の水に心すまし、厳しい修行を
重ねているうち、「光雲南におほひ」釈迦如
来像がいつもあらわれるようになりました。
そこで聖人は、南光院というお寺を開いて釈
迦如来をまつり、さらに阿弥陀如来を感得し
て西明院を建立し、まつったということです。
★【山の背比べ伝説】
一方、山の高さ比べ伝説もあります。この
伯耆大山の北西、鳥取県大山町と淀江町の境
に孝霊山(こうれいざん・751m)という山
があります。一名韓山(からやま)といい、
ここにも山の背比べの話があります。柳田國
男も「日本の伝説」(山の背比べ)で、孝霊
山は大山(だいせん)と背比べするためにわ
ざわざ韓から渡ってきた山なので韓山(から
やま)というのだといっています。
韓山が背比べをした時、大山(だいせん)
よりも少し高さが勝っていました。負けて腹
を立てた大山(だいせん)は、木履(ぽっく
り)をはいたまま、韓山の頭を蹴飛ばしまし
た。韓山の頭は割れて低くなってしまいまし
た。そのため、いまでもこの山は頭が欠けた
ようになっているのだといいます。またその
昔、朝鮮からきた渡来人が故国の山(孝霊山)
を持ってきて、大山と背比べをしました。し
かし敗れてしまったので、この山を置き去り
にして帰ってしまったという言いつたえもあ
ります。
★【天狗伝説】
さらに大山(だいせん)は天狗の山として
も知られています。首都圏で人気のある神奈
川県丹沢大山(おおやま・相模大山)の阿夫
利神社下社わきにあるレリーフ(石碑)の天
狗、伯耆坊はここ伯耆大山(だいせん)から
山移りしてきたものだそうです。いまそのあ
との伯耆大山にいるのは清光坊(せいこうぼ
う)という天狗だといいます。
大山(だいせん)では、昔から「大山の烏
ヶ山を吹く風は、天狗風か恐ろしや」と伝え
る里謡があります。これは伯耆坊天狗のこと
だそうです。丹沢大山にいる伯耆坊天狗は日
本を代表する「日本八天狗」にも入っている
エライ天狗ですが、伯耆大山の清光坊天狗も、
山伏たちが唱える『天狗経』の48狗に入る
天狗です。
★【戦を止めようとした天狗】
天狗関係ではこんな話もあります。『陰徳
太平記4』という本に、出雲の戦国大名の尼
子晴久(あまごはるひさ)が、月山富田城(が
っさんとだじょう)の戦い(いまの島根県安
来市)の時、安芸(現広島県)の毛利元就(も
うりもとなり・吉田郡山城)を討とうとして、
兵を集めている晴久に、この山の天狗が、大
山(だいせん)の神大智明権現(だいちみょ
うごんげん)の神託(お告げ)を伝えて思い
とどまらせようとした記述(1540年(天文
9)室町時代後半)があります。
「伯耆大山(だいせん)神勅(しんちょく)
(神のお告げ、命令)ノ事 或時、富田の城
へ、色白う丈(たけ)高く清げなる山伏一人
来(た)り、伯耆大山の使僧なりと案内を請
ふ。晴久対面せられしに、彼の山伏、今度芸
州(安芸)御出張の思し召し、留まられ候か
しと申しければ、晴久、それは衆徒中よりの
使いに候かと問い給ふ。いや是(これ)は権
現御神託にて候。御疑ひを晴し申すべき為な
れば、証拠を示し候べしとて、懐中より鶏の
蹴爪の如くなる物、長さ一尺余りならんを出
したり。
晴久、是は不思議の御事、有り難き神勅か
な。かかる神勅を受けながら、違背申さんは
冥慮(めいりょ)の程恐れ入り候と雖も、諸
国の軍士、羽檄(うげき)(急を要する檄文?
(げきぶん)。昔、中国で緊急の触れ文に鳥の
羽を挟んだところから?)に応じて、すでに
当国に馳せ集まりて候へば、此上にて又、約
を変じ、各々帰国仕り候へと申さん事、晴久
が胡論(うろん・胡乱の間違い?)と云ひ、
当家の軍法、信を失する第一にて候間、今更
已(や)むことは能はざる所にて候。
……山伏は暇乞ひて帰りにけり。……又翌
くる夜、前の山伏来たりて、晴久御返答、権
現へ敬白仕り候へば、只幾度も芸州御出張引
延宜しかるべしとの御神勅に候。斯(か)く
再三申し候と雖も猶御疑心止まず候上は、事
の明歴所をば、本(もと)の姿を顕はして見
せ申さんとて、両の腋下(わきした)よりだ
いなる翅(つばさ)をさし出しければ、晴久、
とかく幾度も同じ御返事にて候。……山伏、
その由、反命仕るべく候。然れ共かく両度の
神勅、御違背候ふ事、彼れ是れについて宜し
からざる御事に候。猶も能く能く御思惟(し
い)候べしとて、座敷を立つ」。長い文でス
ミマセン。
晴久はあわてて緋縅(ひおどし)の鎧一領
と黄金作りの太刀一振りを寄進しました。し
かし戦い(吉田郡山城の戦い・第一次月山富
田城の戦い)の結果は、少ない兵力の毛利勢
に散々うち破られてしまいました。これが、
尼子家衰運の第一歩で、それから16年後の
永禄9年(1566)、毛利軍に攻められて尼子
の月山富田城は落城(第二次月山富田城の戦
い)してしまいました。この『陰徳太平記』
は.、室町時代を書いた軍記物語。正徳2江
戸時代の (1712) 年刊。岩国領(いまの山口
県)の家老香川正矩によって編纂、香川景継
(宣阿)が補足刊行したものだそうです。
▼大山(だいせん)【データ】
★【所在地】
・鳥取県大山町、琴浦町、江府町など。J
R山陽本線米子駅の東19キロ。JR山陽本
線米子駅からバス、大山(だいせん)寺下
車、3時間半で弥山(大山町)。避難小屋
と3等三角点がある。
★【位置】
・弥山三角点:北緯35度22分15.93秒、東経1
33度32分24.2秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図:伯耆大山
▼【参考文献】
・『出雲国風土記』:東洋文庫145『風土記』
吉野裕訳(平凡社)1988年(昭和63)
・『陰徳太平記』:軍記物語。岩国領の家老香
川正矩編纂、香川景継(宣阿)が補足。正徳
2 (1712) 年刊。
・『角川日本地名大辞典31・鳥取県』竹内理
三(角川書店)1982年(昭和57)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著
(名著出版)1990年(平成2)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三
省堂)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書・18』(修験道史料集
・2)五来重編(名著出版)1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『修験の山々』柞(たら)木田龍善(法蔵
館)1980年(昭和55)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三
樹書房)1977年(昭和52)
・『世界大百科事典・8』(平凡社)1972年
(昭和47)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975
年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書
房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞
社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004
年(平成16)
・『日本伝説大系11・山陰』(鳥取・島根)
野村純一ほか(みずうみ書房)1984年(昭
和59)
・『日本登山史・新稿』山崎安治著(白水社)
1986年(昭和61)
・『日本の民話15』(岡山・出雲篇)石塚尊
俊ほか(未来社)1974年(昭和49)
・『日本歴史地名大系32・鳥取県の地名』(平
凡社)1992年(平成4)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河
出書房新社)2004年(平成16)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ちくま文庫)
1990年(平成2)
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【とよだ
時】山と田園の民俗伝承探査・漫画家
from
20/10/2000



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