『いなかの神さま仏さま』(改訂版・上)
第5章 仙 人

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05-05「役ノ行者小角

【序文】140字

修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の石像も各地の岩屋や祠
の中に見かけます。やせた体に高げた、杖を持ちこわ−い顔をして
にらんでいます。かたわらに前鬼・後鬼という2匹の鬼を従えてい
ます。役行者は飛鳥時代の人。平安時代後期の『本朝神仙伝』とい
う本には、37人の仙人中、5番目に選ばれています。

05-05「役ノ行者小角

【本文】
各地の岩屋、祠の中に役ノ行者(えんのぎょうじゃ)の石像もよく
みかけます。やせた体に高げた、杖を持ちごわ−い顔をしてにらん
でいるあれです。かたわらに前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)という
2匹の鬼を従えています。役ノ行者は、飛鳥時代に修験道を開いた
行者で、全国各地の山やまを八十座も開山したと伝えます。

平安時代後期の文人大江匡房(まさふさ)が著した『本朝神仙伝』
(ほんちょうしんせんでん)という本には、37人の仙人中、5番
目に選ばれています。役行者は、本名役小角(えんのおづぬ)。634
(舒明6)年1月1日、いまの奈良県御所市茅原(ちばら)で生ま
れたという。現在も生家の吉祥草寺(きちじょうそうじ)というお
寺には「役行者産湯の井戸」や「腰かけ石」のほか行者堂などがあ
ります(JR和歌山線玉手駅から歩いて10分)。

父は賀茂(かも)の公(きみ)大角(おおづぬ)といい、葛城山の
神のお告げを朝廷に奏上する呪術者。茅原郷は葛城山(いまの金剛
山から大和葛城山などの一帯)のふもと。小角は13歳のころから
この山に入り、松葉や木の実、薬草を食料に蜂や谷をかけめぐった
という。こうして自然と一体となって成長した小角は、17〜18歳
になると鳥獣を手なづけるまでになり、ついに山の神である一言主
(ひとことぬし)の神をを自由に使役することができたという。や
がて孔雀明王の法をあみだし、吉野大峰の菊丈窟では「蔵王権現」
を感得し、守り本尊としたという。

さて役ノ行者の石像には、2匹の鬼がピタリとよりそっています。
前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)といい、行者の修行の邪魔をする敵
を排除する従者。兄弟だとも夫婦鬼だともます。前鬼は赤眼でおの
を持ち、後鬼は黄色い□をしているという。酒を飲み、眼を赤くし
て歌を唄っている夫鬼を、黄色い口を開けて笑う女房鬼をあらわし
ているのだとか。もともとは奈良・大阪の県境にある生駒山(いこ
まやま)に住んでいた盗賊だともいわれます。

西暦673(天武元)年、役行者39歳の時、奈良県平群町にある信
貴山(しぎさん)の般若窟(はんにゃくつ)にこもります。しかし、
この修行をはばむ外敵がいます。牙をはやした2匹の鬼で身の丈(た
け)3m。怒った行者は空を飛び、鬼を追いかけ生駒山の奈良県側
で捕まえ(いまの生駒市鬼取の里・鬼取山鶴林寺)、髪の毛を持っ
て大阪側に連れて行き、髪を切って(いまの東大阪市髪切りの里・
髪切山(こぎりさん)慈光寺)(真言毘慮舎那宗)鬼たちを折伏(し
ゃくぶく)させたという(『役行者御伝証図絵』(1849年・嘉平2
年刊)。

こうして行者の忠実な従者になった鬼たちは、大峰山を開く時も献
身的に行者をたすけ、のち、行者の遺志どおり天狗になって前鬼の
里(奈良県下北山村)に住みつき大峰山を守ったという。いまでも
前鬼の里で、その子孫が宿坊を経営しています。

さて、大和国葛城山(いまの奈良県金剛山から大和葛城山あたりを
いっていた)で修行し、神通力を得た役ノ行者は小角は、つぎは吉
野金峰山(きんぷせん)から大峰山、熊野への峰々に入ります。し
かし、吉野金峰山に行ったり、葛城山に戻ったりするのは、どうも
面倒くさい。そこで大峰山と葛城山の間の空中に岩の橋でつなぐこ
とを計画します。

さっそく葛城山の山の神や鬼神、各地の天狗どもをかかり集め、橋
を架けるよう命じます。鬼神や天狗どもは工事に取りかかりますが、
気の短い行者は工事の進み方が気に入らず、早く早くとせめたてま
す。山神や天狗は、嘆き悲しみますが行者はゆるしてくれません。
その山神のなかに葛城山の一言主(ひとことぬし)の神もいました。
一言主の神は、姿が醜いとされ、人に見られるのが恥ずかしいので
「昼間は働けない。夜隠れて働きたい」と申し出ますが、これもも
受け付けられません。

ついに一言主の神は、都人の心に取りつき「役行者が謀反をたくら
んでいる」と、朝廷に訴えます。驚いた朝廷は行者を捕まえようと
しますが、行者は空を飛べるので捕まえられません。そこで役行者
の母を捕え「空を飛ぶのをやめて観念しろ…」。親孝行な行者は自
ら縄につき、捕らえられて伊豆の大島に流されたという(『日本霊
異記』平等初期、『本朝神仙伝』平安後期の本)。この都人に中傷し
たのは、行者の弟子の韓国連広足(からくにのくらじひろたり)だ
ったとの説(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)もあります。

その岩の橋の造りかけが大和葛城山の北側・岩橋山にいまでも残っ
ています。そのあたりにはない大岩でつくった橋のたもとは、大峰
山の方角に向かって積まれています。ただ大きな岩がほっぽり出し
たように置かれているのがなんともおかしい。これでは役行者も怒
るわなと笑ってしまいました。

朝廷に捕まえられた役行者小角は船に乗せられ伊豆の大島に向かい
ました。船が静岡沖を通るころ、にわかにわきおこった黒雪のなか
に孔雀明王が姿を現し、船が転覆せんばかりにゆれたという不思議
なことが続きました。やっと伊豆大島についた役ノ行者は、昼間は
禁制を守っていますが、夜になると「こちらの時間だ」とばかり、
空を飛び富士山頂に登って修行したという。またあちこちの山々を
周遊したという。

その後、ふたたび一言主の神が「行者を早く死刑にせよ」と天皇に
託宣します。朝廷から派遣された勅使が、行者を刀で斬ろうとした
ところ、富士山の神の「行者の殺罪を免除せよ」との神言がありま
す。驚いた天皇は行者を赦し都に迎えます。その時行者は、うらみ
を込め一言主の神を呪力で縛りあげ(葛の蔦で7回りに縛ったとも
いう)、谷底に置きざりにしたという。

その後、役ノ行者はついに仙人になって母と共に天に昇り、唐に渡
ったと伝えます。しかし一言主の神は金剛山の蛇谷でいまも縛られ
たままだという。いまでは黒ヘビになり、役行者を恨む気力もなく
なりただうごめいているだけだと書く本まであります。

▼【参考文献】
・『役行者御伝記図会』(1850年・嘉平3年刊)
・『役ノ行者御伝記』広安恭寿著(藤井文政堂刊)明治41年
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『役行者絵巻』浅井了意著(江戸時代・貞享5・1748年))
・『役行者本記』(一言主の神関連):「役行者伝記集成」銭谷武平
(東方出版)1994年(平成6):(p100・小角奇特の部)小角が伊
・『続日本紀一』:「新日本古典文学大系・12」(岩波書店)青木和
夫ほか校注1990年(平成2)
・『図聚天狗列伝・西日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『仙人の研究」知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・「旅と伝説」1928年(昭和3)5月号(三元社):「民俗学資料集
成・1」収納
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本神話伝説伝承地紀行』(吉元昭治著)(勉誠出版)2005年(平
成17)
・『日本登山史・新稿』山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・『本朝神仙伝』(大江匡房著)日本古典全書古本説話集 川口久
雄・校注(朝日新聞社)昭和46(1971)年

 

 

 

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