『いなかの神さま仏さま』(改訂版・上)
第4章 天狗神

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▼04-34「天狗の仕業?太平記の記述」

【序文】140字

天狗が一番活躍したのは南北朝時代。『太平記』の仁和寺六本杉の
評定事件、また京都愛宕山で大規模な天狗集会などがありました。
その時の評定通りになり、室町幕府は大混乱。「観応の擾乱」など
は、天狗たちが相談した結果だといわれています。

▼04-34「天狗の仕業?太平記の記述」

【本文】
 天狗が一番活躍したのは南北朝時代だといわれます。北条高時
が自殺し鎌倉幕府が滅び、世は朝廷の時代になりましたが、1336
年、南北朝廷が対立。吉野の南朝と京都の北朝に別れます。そう
した1338年(北朝:暦応1、南朝:延元3)、北朝側の足利尊氏
が、征夷大将軍となり室町幕府をつくりました。

 しばらくしたころ、世聞をアツといわせた事件がありました。『太
平記』(巻二十五)に「宮方の怨霊六本杉に会する事付けたり医師
評定の事」(みやかたのをんりゃうろっぽんすぎにくわいすること
つけたりいしひょうじょうのこと)という項があります。南朝きっ
ての忠臣・楠正行(まさつら)が「四条畷(しじょうなわて)の戦
い」で高師直(こうのもろなお)に殺された1348年、北朝でいえ
ば貞和(じょうわ)4年、南朝では正平3年の夏のこと。京都右京
区にある真言宗御室派の総本山・仁和寺(にんなじ)に不思議な
ことが起こりました。

 通りすがりの禅僧が夕立にあい、仕方なく仁和寺の六本杉の下で
雨やどりしているうち、夜になってしまいました。夜も更けて雨も
あがり、月明かりで見ると愛宕山、比叡山の方から御簾(みす)を
垂らした輿(こし)が次々に空を飛んできて六本杉の梢に集まり、
幔幕(まんまく)を張って中に座を占めます。風で吹き上げた幔幕
の間から見ると、一段高い上座には大塔宮護良親王(おおとうのみ
やもりながしんのう)がいます。護良親王はもと建武新政府の征夷
大将軍でしたが、足利尊氏排斥に失敗して鎌倉に閉じこめられ、「中
先代(なかせんだい)の乱」のときに尊氏の弟・直義(ただよし)
に殺された皇子です。

 護良親王のわきには、これも後醍醐天皇の外戚にあたる峰僧正・
春雅(元弘の乱の時後醍醐天皇に従っていた画僧だった)。さらに
左右には南都(奈良興福寺)の僧・智教上人(かつては後醍醐天皇
に従っていた西大寺の戒律僧)、浄土寺の忠円僧正、その他居なら
ぶ人たちもこの世にいた時は権勢無比の人たちばかりです。どの人
も眼が金色で、羽のはえたカラス天狗の姿をしており、怨念から天
狗になったとされる人物がならび、酒盛りをしながらなにやら相談
中。

 やがて峰僧正が口を開きます。「北条家を亡ぼしたのもつかの間、
尊氏の反逆でまた武家に権力を奪われた。足利一族の悪政で天下は
腐り果てている。足利を混乱させる方法はないものか」。天下の困
窮をよそにおごりたかぶる足利一党にひとあわ吹かせようというわ
けです。すると忠円僧正が「良い方法があります」進み出ます。

 まず尊氏の弟・足利直義の妻のお腹に大塔宮が宿り、男の子とし
て生まれる。次に峰僧正が、禅僧の夢窓国師の弟子・妙吉侍者の慢
心の心に入り込み、よこしまな考えを吹き込み政道にくちばしをは
さませる。夢窓国師は尊氏の帰依(きえ)厚い人なので効き目があ
る。智教上人はやきもち焼きの上杉重能と、畠山直宗の邪心にとり
つき、忠円僧正は師直・師泰兄弟の心と入れ替わって上杉・畑山と
争うようそそのかし滅亡させる。これで尊氏・直義兄弟は仲が悪く
なり必ず戦いをはじめる。「しばらく見物のネタはなくなりません」

 これを聞いて大塔宮をはじめ、居ならぶ天狗小天狗までが「いし
くも計らひ申したるかな」と大賛成。こうして相談(天狗評定)は
まとまり、天狗たちは煙のように消え去りました。これを見ていた
禅僧は身も凍る思い。あたりが明るくなって真っ青な顔で六本杉を
立ち去りました。

 この六本杉の評定があった翌年(1349年・貞和5)にも
天狗が仕掛けた騒動がありました。『太平記』巻第二十七「田楽の
事付けたり長講見物の事」(でんがくのことつけたりちゃうかうけ
んぶつのこと)。都では疫病、干ばつ、豪雨、兵乱と天変地異がつ
づき、人々は不安と混乱の中に打ちひしげていました。陰陽寮から
も「慎みあるべし」との警告が出ていました。そんななかでも貴族
たちは流行していた田楽能にうつつを抜かし、あちこちで演能を催
していました。なかでも京都四条河原で行われていた田楽興行は羽
目をはずして目に余るものがありました。

 それを見て、一人の天狗山伏が「まるで狂気だ。肝をつぶしてや
ろう」と見物客満載の桟敷の柱を「えいやえいやと押すと見えける
が、二百余間の桟敷皆天狗倒しにあひてんげり」。見物客は投げだ
され押しつぶされ、川に放り出されておぼれ、河原は見る見るうち
に死人やけが人が山と重なり目を覆うようなありさま。これはただ
事ではない。天狗の仕業に違いないと人々はうわさしあいました。

 その(1349年・貞和5)6月にも京都愛宕山で大規模な天狗集
会が行われたといいます(『太平記』(巻第二十七)「雲形未来記の
事」(うんけいみらいきのこと)。「またこの頃、天下第一の不思議
あり。出羽(ではの)国羽黒(はぐろ)といふ所に、一人(いちに
ん)の山伏あり。名をば雲形とぞ申しける。希代(きだい)の目に
逢うたりとて…」。羽黒山伏の雲景(うんけい)という人が、希代
の珍しい体験をしたと、「熊野の牛王(ごわう)の裏に告文(かう
ぶん)を書いて出だしたる未来記あり」。それによると、たまたま
行き合った老僧に誘われて愛宕山の秘所に行きました。

 そこは人の目には入らない魔所で、異様な姿の金の笏(しゃく)
を持った高貴な人や高僧が流れきていました。この世のものとも思
えぬその場の雰囲気に雲景が老僧に「どういう人たちか」と尋ねる
と、上座にいる金の鳶姿の天狗は崇徳院、そばで弓矢を前にしてい
る大男が源為朝、左にならんでいるのは代々の帝王である、淳仁帝、
光仁后、後鳥羽院、後醍醐帝など「次第の登位を逐(お)って悪魔
王の棟梁と成りたまふ、やんごとなき賢帝たちよ」。その次の座に
も真済、慈恵、仁海、尊雲らの高僧たちも同じ大魔王となってここ
に集まり、天下を大混乱に導く評定を行っていたのでした。

 その時、第一の座にいた長老で僧の衣装を着た愛宕山太郎坊天狗
が、新顔の雲景がいるのに気づき、「さらばこの間、京中の事ども
をば皆見聞きたまふらん。…」。この間の四条河原の騒ぎについて
聞きます。雲景は、あれは天狗に仕業だと人々がいっています、と
いうと「天狗の仕業とは限らん。天下の難儀を横目に、奢り享楽に
ふける平家一族には神の怒りもあろう」とのことでした。これが愛
宕山の天狗集会だという(1349年・貞和5)。

 こんな天狗集会があった年、尊氏の重臣・上杉重能(しげよし)
・畠山直宗(ただむね)が同じ執事の高師直(もろなお)と対立、
越前に配流され、師直(もろなお)の命令により殺されています。
そして翌々年(1351年・正平6/観応(かんのう)2)、まず直義
(ただよし)と師直(もろなお)が不和になり、尊氏により高師
直(こうのもろなお)一族が亡ぼされ、その翌年(1352年・文和
(ぶんな)元)の2月(六本杉の評定があった4年後)には、尊
氏は直義(ただよし)を鎌倉で毒殺し、観応の擾乱(かんのうのじ
ょうらん・1349〜1352年)になってあらわれたのは歴史の語ると
ころです。尊氏(たかうじ)は直義(ただよし)を毒殺はしたもの
の、その後も直義派の抵抗は止まず、尊氏はその対策に苦慮しなが
ら1358年(正平13/延文3)、病のために死去するのでした。もち
ろん、これは『太平記』の作者が、年代に合わせて創作したのに違
いありませんが、それにしても細部まで状況が合致していることが
不思議です。

▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和
52)
・『太平記』:新潮日本古典集成『太平記4』山下宏明・校注(新
潮社)1991年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

 

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