『いなかの神さま仏さま』(上)
第2章 山の妖怪

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▼02-13「庚申山の怪人」

【序文】140字

江戸後期、埼玉県の医師・鈴木弘覚が庚申山に薬草採りに登った時、
不思議な怪人親子の水浴びを目撃。長い髪を垂らし、腰には木の葉
のようなものをまとっているだけの裸。同行の老案内人は「30年前
は子どもはいなかった」。どうやらその後、子供が産まれていたら
しい。庚申山は不思議な山です。
・栃木県日光市

▼02-13「庚申山の怪人」

【本文】
 栃木県足尾の庚申山(1892m)は、昔から薬草の豊富な山として
知られていました。庚申山は、申が猿に通じるため「猿の浄土」と
も呼ばれます。この山は奇岩怪岩がつづく山で、町なかでもよく見
かける庚申塔でおなじみ「庚申信仰」の総本山です。ここは、かつ
て古くから年を経た白い老猿がいたとされ、また山男、山婆などの
言いつたえが数々残っています。

 この山の奥深くで、実際に怪人を見たという人がいるのです。そ
れは天狗とも仙人ともつかない子連れの夫婦だったという。見た人
は医師で、篤志家の鈴木弘覚という実在の人。江戸末期、埼玉県埼
玉郡麦倉(いまの北川辺町麦倉)に鈴木大三郎弘覚という医師が住
んでいました。

 弘覚は、医療のかたわら、弟子たちに学問を教え、農業振興にも
貢献、村人に大いに慕われ敬われたという。1894年(明治27)、72
歳で没すると、里人は故人を偲び、その徳を讃えて功徳碑まで建て
たという。その功徳碑はいまでもあるというからそうでたらめな話
でもなさそうです。

 弘覚は老杣を案内人に頼み、薬に使う薬草を採取に庚申山に入り
ました。山なれた木こりや、猟師など総勢6人で庚申山の山深く分
け入ったという。幾日かの野営ののち、ある谷間の行く手に、大き
な岩が立ちふさがっていました。岩陰から谷川の方を見ると、川の
流れの中で3人連れの男女が、しきりに水をすくい上げるしぐさを、
くり返しながら何かしています。

 男も女も腰にあたりをわずかに木の葉で、まとっているばかりで、
髪の毛はうしろに長く垂らしたまま。男の方はたくましい褐色の体
つき。鼻がとがって絶えず四方に気を配り、眼光が鋭い。女性の方
は色は白く、さすが柔和な顔つきをしています。

 もうひとりは子どもで、、12、3歳に見えますが遠くて性別不明。
3人は一生懸命何かしていますが、何をしているのか遠くてよく分
かりません。一行は、息をのんで見つめていましたが、怪人たちは、
しばらくして樹林の中に消えていきました。

 弘覚はなぜ、あんな者たちがこんな所にいるのか案内人の老杣に
聞くと、「自分はこの山々を50年あまりも歩き回っていますが、あ
の者たちの姿を見たのは、30年ほど前に一度、年とった先輩の木こ
りに連れられて山に入ったとき以来です。それ以来こんどが2度目
です」とのこと。

 さらに「その先輩の話では、あれは、このあたりに、古くからす
んでいる山男と山女だと、いっていました。」そして「わしが前に
見たときは子供はいなかったが、その後生まれたのか。先輩もずっ
と若いとき見たときと容貌が変わらない。」といっていう。

 さらに案内人は「わしが30年前に先輩と見たときもいまのと同じ
で、年をとっているようには見えない」と驚きの表情。弘覚坊はそ
の後何度も、そのあたりから日光の周辺の山々を歩き回ってみまし
たが、あの怪人たちと出会えることはなかったということです。し
かし、あの子ども連れ怪人は、一体何だったのでしょうか。明治か
ら大正 時代の国学者で、『本朝神仙記伝』を著した宮地巌夫は、こ
の子連れ夫婦を神仙だといっているそうです。

▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『仙人の研究』知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

 

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【とよだ 時】 山の漫画文著作
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【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

 

 

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