『いなかの神さま仏さま』(上)
第2章 山の妖怪

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▼02-10「蔑視された土蜘蛛

【序文】(140字)

土蜘蛛とは古代に朝廷に服従しなかった先住の人たちのことを蔑
視しての呼び方で、『古事記』や『日本書紀』などにでてきます。
その姿は背が低く、手足が長いという。『常陸国風土記』には「常
に穴に住んで隠れ、フクロウのような心をもっていて、ネズミの
ように物を盗む」などと書かれています。

▼02-10「蔑視された土蜘蛛

【本文】
 土蜘蛛とは古代に朝廷に服従しなかった先住の人たちのことを蔑
視しての呼び方で、『古事記』(中つ巻)では、登美能那賀?泥?古
(とみのながすねびこ)を指しています。「かれ、その国より上り
行き(いでま)しし時に、浪速(なみはや)の渡(わたり)を経て、
青雲の白肩の津に泊(は)てましき。

 この時に、登美能那賀?泥?古、軍(いくさ)を興(おこ)し待
ち向(むか)へて戦ひき。…(中略)…。」とあります。つまり、
神武天皇軍が、河内国から大和国入りしようと、青雲の白肩の船着
き場に停泊しました。この時、登美能那賀?泥?古(登美?古・と
みびこ)の迎撃に合ったと、出てきます。

 また、『日本書紀』では、(巻第三・神武天皇即位前紀己未年二月
条)に、「……又高尾張邑(たかをはりのむら)に、土蜘蛛有り。
其の為人(ひととなり)、身(むくろ)短くして手足長し。侏儒(ひ
きひと)と相類(あひに)たり。皇軍(みいくさ)、葛(かづら)
の網を結(す)きて、掩襲(おそ)ひ殺しつ。

 因(よ)りて改めて其の邑(むら)を号(なづ)けて葛城(かづ
らぎ)と曰(い)ふ」。……また高尾張邑に土蜘蛛がいた。その体
格は背が低く、手足が長い。侏儒(しゅじゅ)(こびと。見識のな
い人をののしっていう語)と似ている。皇軍は葛の網を結って、襲
って殺した。よって、改めてその村を名付けて葛城というとありま
す。

 さらに『日本書紀』(巻第七・景行天皇十二年冬十月条)にも、
冬十月(むなづき)に、碩田国(おほきたのくに・豊後の国大分郡)
に到着した。それから速見邑(はやみのむら)に着いた。速津媛(は
やつひめ)という女性が、そこの長であった。

 天皇が来ると聞いて、出迎えていうには、「この山に大きな石窟
(いわや)があります。そこに2人の土蜘蛛が住んでいます。ひと
りを「青」といいます。ふたり目は「白」といいます。また直入県
(なおりのあがた)の禰疑野(ねぎの)に3人の土蜘蛛がいます。
ひとり目を「打?(うちさる)」といい、2人目を「八田(やた)」、
3人目を「国摩呂(くにまろ)」といいます。

 この5人の土蜘蛛は、力が強く仲間もたくさんいます。彼らは、
「天皇には従わない」といっています。もし無理に呼び立てれば、
兵を挙げて向ってくるでしょう」といます。話をかい摘んで申しま
すれば、天皇は臣たちと相談し土蜘蛛を討とうということになりま
した。海石榴樹(ツバキ)を伐採して椎(つち)を作って兵士の武
器にし、勇猛な兵卒を選んで武装させました。

 そして山を穿(うが)ち、草を切り開き、石窟の土蜘蛛を襲撃し
て仲間をことごとく殺してしまいました。流れる血は踝(つぶなき
・くるぶし)まで浸したということです。その椎を作った場所を海
石榴市といい、また血が流れた場所を「血田」といいます。さらに
兵を整えて、まず土蜘蛛の「八田(やた)」を禰疑野で撃ち破りま
した。

 土蜘蛛のひとり「打?(うちさる)」は、もはや勝てないと、天
皇に降参しました。しかし許してはくれませんでした。皆んな谷底
に落ちて死んでしまったということです。日本武尊でもそうですが、
各地に悲惨な征伐物語が残っています。

 また『常陸国風土記』には、これらに人々を土蜘蛛とか八握脛(や
つかはぎ)と呼んでいたとあり、「あまねく土窟(つちむろ)を掘
り置きて、常に穴に住み、人来たれなば窟に入りて隠るとし、狼の
ような性質と梟(ふくろう)のような心をもっていて、ネズミのよ
うに物を盗む。」などと、とさんざんに書かれています。

 それはたぶん、水田を耕すことより、狩猟を主として生活する土
着の人々の風俗習慣を、ツチグモにたとえたものらしいとのことで
す。この人々のイメージが年代を経るにしたがい、妖怪として象徴
されるようになり、絵巻に描かれ、源頼光の妖怪土蜘蛛退治などに
創作されたのだろうとのこと。

 奈良県大和葛城山頂から天神ノ森に向かう途中にも土蜘蛛の看板
がありました。「1200年前に編集された『日本書紀』の神話に、昔
葛城山には手足の長い土蜘蛛のような古代人が住んでいて、暴れ回
るので、困った人たちは葛の蔓で編んだ網で捕らえた。だからこの
山一帯を葛城山と称していた」というのです。

 その大和葛城山の南、金剛山の東麓・高天集落の所に「蜘蛛窟」
と地図に記されているのを見つけました。さては、土蜘蛛が隠れ住
んでいた穴か。ある秋、物好きにも行ってみました。細い舗装道路
から杉林へ続く小道に導く案内板があります。蜘蛛窟はその奥にあ
り、径2m位の場所がコンクリートで固められ石碑も建っています。

そこから伸びる踏み跡が一本続いています。荒れた山道を数十分、
途中でザックをおろし、踏み跡をたどりますが行っても行っても。
結構な距離をいや〜歩いた歩いた。直径数mの少しくぼんだ場所が
あらわれました。やっとたどり着いてみれば枯れ葉で埋まった同じ
ようなくぼ地がポツン。説明板もなく、まわりを見ても他になにも
ありません。登山靴で切り株を蹴りつけてやりました。現実はこん
なもの、背中のザックが急に重く感じました。

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典29・奈良県」永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『古事記』池澤夏樹訳(河出書房新社)2014年(平成26)
・『古事記』:『日本書紀(一)』校注・坂本太郎ほか(岩波書店)19
95年(平成7)
・『日本書紀』:『日本書紀(二)』校注・坂本太郎ほか(岩波書店)
1995年(平成7)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成6)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)
・『日本歴史地名大系30・奈良県の地名」(平凡社)1981年(昭和56)
・『常陸国風土記』:日本古典文学大系2『風土記』秋本吉郎校注(岩
波書店)1987年(昭和62)所収

 

 

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