『いなかの神さま仏さま・上』(山と峠の神々)
第4章 天狗神

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▼04-14「丹沢の天狗たち」

【序文】140字

大山は天狗の山。多くの天狗をとりしきるのが伯耆坊という大天
狗。名前の通りもと鳥取県の伯耆大山に棲んでいた。ここにはも
と相模坊という天狗がいたが平安末期香川県の白峰山に山移り。
次いで伯耆大山から伯耆坊が移住したという。その祠が大山寺の
脇に鎮座する。
・神奈川県伊勢原市。

▼04-14「丹沢の天狗たち」

【本文】
「不動まで行くのも女だてらなり」。いまにも女性たちに怒られそ
うな川柳ですが、石尊大権現で知られる相模の丹沢大山(1252m)
も江戸時代は女人禁制で、女性は山頂の奥ノ院へは登れなかった
といいます。

大山ケーブルの途中・不動前駅にある真言宗・雨降山大山寺はも
と、現在の阿夫利(あふり)神社下社のところにあったのだそう
です。それを明治維新の神仏分離令の時、いまの場所に移転した
ものだという。

しかし、登山道が男坂に対して女坂があるとおり、ゆるやかな女
坂を下社、すなわちかつての大山寺までは女性も禁制ではなく登
れたといいます。大山寺の本尊は大聖不動明王であり、冒頭の川
柳の意味がわかってきます。

江戸庶民は、大山まいりの前に水垢離をとるのがしきたりだった
といいます。その唱え言葉に、「南無帰命頂礼、さんげさんげ(懺
悔懺悔)、六根罪障、おしめにはつだい(大峰八大の誤りといいま
す)、大山大聖不動明王、石尊大権現、大天狗、小天狗」とあるよ
うに、大山は天狗の山です。

いまも、山頂奥ノ院には狛犬の台座に、また下社から山頂へ登る
途中の石尊大権現の石柱にも大天狗、小天狗の文字が彫ってある
のが目につきます。

そもそも、大山には有象無象の天狗どもがすんでいるという。そ
の我慢邪慢(がまんじゃまん)の天狗どもを大親分天狗の伯耆坊
(ほうきぼう)が取り仕切っているのだそうです。伯耆坊はもと
鳥取県の名峰・伯耆大山(ほうきだいせん)にすむ天狗でしたが、
南北朝時代の抗争以後、伯耆の大山寺の衆徒が派閥争いをはじめ、
果ては互いの坊を焼き払い、とどのつまり大山寺を炎上させる荒
廃ぶり。

それにあきれ果て、伯耆坊天狗は相模大山に山移りしてしまった
のだといいます。伯耆坊の祠は、いま大山寺にあり、1958年(昭
和33)正宗得三郎描いた絵をもとにして彫った伯耆坊天狗像の碑
も下社わきに造立してあります。

またもう一狗、阿夫利山道(常)昭天狗がいることになっていま
す。これは平田篤胤の門人でいまの市川市の住人・中尾玄仲から
聞いた話を篤胤が「仙境異聞」という本の中で紹介しています。
この天狗は同市の旅籠の主人藤屋荘兵衛のところへ遊びに来て5、
6日逗留。

酒ばかり飲んでいましたが、その時したためた書面の中に「日向
国坂野上、常昭山人」田村氏とあり、相模大山にすんでいると話
し、法号を常昭(または道昭)といい、出身地が日向の国(宮崎
県)、田村という苗字で丹沢大山にいることが分かりました。篤胤
一派の神道家・島田幸安、宮地堅磐という人たちはこの常昭天狗
を見たとか、うわさを聞いたとか書いているそうです。しかし、
歴史的に新しい事から見て、大山では中級天狗だろうとされてい
ます。

▼【参考文献】
・「大山信仰と講社」沼野嘉彦:『山岳宗教史研究叢書8・日光山
と関東の修験道』宮田登、宮本袈裟雄(みやもとけさお)編(名著
出版)1979年(昭和54)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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