とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼840号 「名山伝説の山・甲斐駒ヶ岳」

【概略】
甲斐駒ヶ岳の名は山麓が名馬の産地なのでついた名前。肩に銀の翼
が生えた白馬・天津速駒(あまつはやこま)が山中にいたという伝
説から、聖徳太子の黒駒が空を飛び、ここに降りたという伝説から。
山容が駿馬の駆ける形に見えるからなどの説などがあるそうです。
・山梨県北杜市と長野県伊那市との境

▼840号 「名山伝説の山・甲斐駒ヶ岳」

【本文】
南アルプス北端の駒ヶ岳(甲斐駒ヶ岳)は、各地にある駒ヶ岳のな
かでも富士山の頂上にある一峰の駒ヶ岳を除くと最高峰(2967m)
です。

山頂からは北に八ヶ岳、北アルプスの山なみ、西に中央アルプス、
南に仙丈ヶ岳から北岳つづく南アルプス、富士山などがそれこそ「丸
見え」です。「信州山岳百科」によれば「日本の高い山は全部見え
る」という程の展望です。

山頂には一等三角点(2965.6m)と甲斐駒ヶ岳神社の本宮があり、
ブロックで積まれた頑丈そうな祠(開山威力不動尊をまつる)があ
ります。

駒ヶ岳という山は日本各地にたくさんあり、手元の山名事典で調べ
ても17座もありました。これらはたいがい良馬の産地とか、馬の
形の雪形が出るなど馬にちなんだ名前だといいます。それほど車の
なかった昔は馬が大事だったわけですね。

この駒ヶ岳は、甲州にあるので甲斐駒ヶ岳と呼ばれていますが、山
梨県だけでなく長野県伊那市との境になっています。一般的に使わ
れている甲斐駒ヶ岳(甲斐駒)はもとは山梨県側の呼び方で、長野
県側の伊那地方では東駒ヶ岳とか東駒、また以前は白崩山、赤河原
岳とも呼んでいたといいます。

甲斐駒ヶ岳の駒ヶ岳の名については、(1肩に銀の翼が生えた白馬
・天津速駒(あまつはやこま)が山中にすんでいたという説、(2
「聖徳太子伝暦」などにあるように、聖徳太子の黒駒が空を飛び、
ここに降りたという話からついた名前。

(3山梨県巨摩(こま)郡第一の峰だから。(4このふもとは高麗
からの渡来人が多かったことから、(5良馬の産地があるからだ、
(6雪渓に馬の姿の雪形が出るから。(7山容が駿馬の駆ける形に
見えるからだなどの説があるそうです。

山頂にまつられている大己貴命(おおなむちのみこと・大国主命)
が、ここの名産の名馬に乗って各所をめぐり蹄の跡を残したという
伝説もあります。そのひとつがいまに残る駒岩であり、また竹宇
前宮にも井保石、金毘羅石だとしています(「山の伝説」)。

「日本書紀」(雄略紀13年・西暦468年)にも、名工の命を救う
ため処刑場に甲斐の黒駒を走らせ、やっと間に合ことができた時
に詠んだ歌として「ぬば玉の 甲斐の黒駒 鞍著(くらき)せば
 命死(いのちし)なまし 甲斐の黒駒」とあります。

このあたりは古くから名馬の産地で「甲斐の黒駒」は大和朝廷に
献上される馬の中でも代表的な名馬だったといいます。

推古天皇6年(598年)、聖徳太子は諸国から集めた名馬のなかか
ら4本の足だけが白い甲斐の烏駒(くろこま)を選んだという。
9月になり太子がその黒駒に乗ると、馬は太子もろともたちまち
雲の中に飛び去り、帰ってきたのは3日後だったいう。

その間に太子は、富士山頂に行き、その後は信濃国を廻っていた
のだという(「扶桑略記」)。この黒駒のほかにもう一頭、太子に献
上された白馬があります。天津速駒(あまつはやこま)といい、建
御雷神(たけみかづちのかみ)の霊から生まれた名馬だという。

この馬は、肩に銀の翼を生やし、天空を飛びまわり夜は山頂にもど
り眠るというのです。この天津速駒についてはこんな物語がありま
す。

栃木・福島・茨城県境の八溝山(やみぞさん)にはどう猛な八岐
大蛇(やまたのおろち)がすんでいました。那須の国造(くにの
みやっこ)はこの大蛇退治を命じられました。

しかしそれにはどうしても駒ヶ岳の天津速駒に、乗鞍岳にある天
安鞍(あめのやすくら・暴れん坊の馬からも決して落ちないとい
鞍)を借りて駒に着け、さらに槍ヶ岳から天日矛(あめのひぼこ
・矛先が燃える槍)と立山から天広盾(あめのひろたて・相手の
数に応じて広がるという盾)を手に入れなければ退治することは
できません。

国造は甲斐駒ヶ岳にやってきてさんざん苦労の末、油断している速
駒を捕まえました。国造は早速、北アルプスの乗鞍岳から天安鞍
を、立山から天広盾(あめのひろたて)を、槍ヶ岳からも天日矛
を借り受けました。そして速駒にの乗り、天空をかけて八溝山に
向かい大蛇が放つ毒霧の間をかいくぐり近づきついに退治してし
まったという。

※なお、1928年(昭和3)発行の「旅と伝説」や1930年(昭和5)
発行の「山の伝説」には、神馬天津速駒のすむのは中央アルプス
編(駒ヶ岳)としています。

この名馬の生産場所として横手駒ヶ岳神社の社記に「釜無川の水源
に神馬の精があるによりて此水を飲て畜育にあたる高麗は必ず霊あ
りと云」とあります。

この神馬の精となる水の源というのは,速駒が時々水を飲みにあら
われたという姫ヶ泉(秘めが泉)のことでしょうか?また釜無川の水
源は甲斐駒ヶ岳に近い北西側鋸岳横の横岳峠に突き上げています。
富士川水源の標注があるというあたりでしょうか。

なお、速駒の生みの親の建御雷神は、神話の「国譲り」の時、反対
した建御名方神(たけみなかたのかみ)と戦い、長野県の諏訪湖
まで追いつめて降参させた神です。

その後諏訪湖の祭神になった建御名方神は、甲斐駒ヶ岳の雄大な姿
にうたれ、父親神である大己貴命(大国主命)を山頂にまつった
のが駒ヶ岳神社のはじまりだという。

そんな山になぜ敵である建御雷神の化身である天津速駒が登場す
るのか不思議です。

★甲斐駒ヶ岳【データ】
【所在地】
・山梨県北杜市(旧北巨摩郡白州町)と長野県伊那市(旧上伊那
郡長谷村)との境。中央線日野春駅の西14キロ。JR中央本線甲
府駅からバス、広河原乗り換え北沢峠、歩いて4時間20分で甲斐
駒ヶ岳。一等三角点(2965.6m)と、写真測量による標高点(296
7m)と、甲斐駒ヶ岳神社の本宮がある(この神社は山頂に本宮が
あり、里宮は前宮になっている)。地形図上には駒ヶ岳の山名と三
角点の標高、すぐ西に標高点の標高のみ記載。三角点より東方向直
線約95mに鳥居の記号がある。

【ご利益】
・【駒ヶ岳神社本宮】:病気平癒・家内安全・農耕・豊作・縁結び
(安産・子宝)・福の神

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第77番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第48 番選定)
・山梨県選定「山梨百名山」(第29番選定)
・清水栄一選定「信州百名山」(第92番選定)
・田中澄江選定(1981年)「花の百名山」(×選定外)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第75 番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【標高点】緯度経度:北緯35度45分28.63秒、東経138度14分12.4

・【一等三角点】緯度経度:北緯35度45分28.97秒、東経138度14分
11.93秒

【基準点閲覧】国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」から検索
・基準点(三角点):(基準点コード:TR15338510901)(点名:甲
駒ケ嶽)(冠字選点番号:記載なし)(種別等級:一等三角点)(成
果状態:正常)(測地系:世界測地系)(緯度経度:緯度 35°45′
28.5229、経度 138°14′12.4807)(標高:2965.58m)(現況状態
:正常 20011010)(所在地:長野県伊那市大字黒河内3211−
1)(点の記図:閲覧可)

【地図】
・2万5千分の1地形図:「甲斐駒ヶ岳(甲府)」。5万分の1地形
図「甲府−市野瀬」

【山行】
・第3日目:1995(平成7)年8月5日(土・快晴):「新宿駅、韮崎
駅、竹宇駒ヶ岳神社、横手分岐、黒戸尾根五合目小屋泊、七丈小屋、
甲斐駒ヶ岳、早川尾根小屋泊、広河原、甲府駅、高尾駅」:「南ア・
黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・「新稿日本登山史」山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)。
・「旅と伝説」(第1巻・通巻1号〜6号)(岩崎美術社)1928年(昭
和3)
・「日本三百名山」(毎日新聞社編)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本書紀」巻第十四(大泊瀬幼武天皇・雄略天皇13年9月の
条):720年(養老4):岩波文庫「日本書紀」巻3(校注・坂本太
郎ほか)(岩波書店)1995年(平成7)
・「日本歴史地名大系19・山梨」(平凡社)1995年(平成7)
・「扶桑略記」:「国史大系・第12卷」國板勝美ほか編纂(吉川弘
文館)1965年(昭和40)
・「名山の文化史」高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)
・「山の伝説」(青木純二)(丁未出版)1930年(昭和5)
・横手駒嶽神社の由緒
・竹宇駒嶽神社の由緒

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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