とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

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▼732号 「中ア・南駒ヶ岳は本駒の南」

【概略】
かつては木曽駒ヶ岳(本駒)から南に越百山へかけて走る稜線を
竜に見立てていたという。古い本には空木岳や南駒ヶ岳などの名
はなく、ただ駒ヶ岳としてひっくるめています。南駒ヶ岳の山名
は、文字どおり木曽駒ヶ岳の南にあるからです。その頂上付近の
三叉路の大岩の陰に、黒い屋根の南駒ヶ岳神社の祠があります。
・長野県飯島町と大桑村の境。

▼732号 「中ア・南駒ヶ岳は本駒の南」

【本文】
『信州百名山』清水栄一著(深田クラブ会員)によれば、かつて
は、中央アルプスの木曽駒ヶ岳(本駒)から伊那谷に沿って、南
方の越百山(こすもやま)一帯へかけて走る稜線を、空を駈ける
竜に見たてて、駒ヶ岳と総称していたらしいという。

明治39(1906)年編纂の日本の山々を詳しく紹介した『日本山嶽
志』(高頭式編纂)にも、明治7(1874)年、時の政府の命によっ
て編纂した郷土誌『長野県町村誌』にも、空木岳や南駒ヶ岳は載っ
ておらず、ズ〜ッと北にある本峰・木曽駒ヶ岳にひっくるめられて
ただ「駒ヶ岳」と記され、ほかの山名はあげられていません。

南駒ヶ岳の名は、文字どおり木曽駒ヶ岳の南にあるかららしい。
その頂上付近の三叉路の大岩の陰に、黒い屋根の祠があります。
南駒ヶ岳神社というそうです。

南麓の長野県上伊那郡飯島町の『飯島町誌』下巻によれば、木曽
駒のように、頂上付近に祠を造って神々をまつったという言いつ
たえはないという。

ただ、1921(大正10)年に飯島青年会が初めて南駒ヶ岳に登った
ときには、祠がすでにあったといいます。そんなことから、多分
祠は、木曽側の人たちが建てたものらしいとのこと。のち、伊那
側からの登山道ができてからは、飯島青年会が祠の修復、改築を
行ってきたという。

時は移り、1940(昭和15)年、皇紀2600年記念事業として、南駒
ヶ岳神社奉賛会が中心になり、登山口の市ノ瀬に高さ7〜8m、
柱1mの大鳥居を建立。

「その経費は500円で、飯島区から350円、田辺区から90円、本郷
区から60円を、それぞれ男25歳、38歳、42歳、女19歳のいわゆる
厄年の男女を中心に、飯島村の内外からも寄付を集めて建てられ
た」そうです。

その後、有志による参詣登山が行われてきましたが、いまは鳥居
の礎石が残っているだけです。南駒ヶ岳の祠のゆるみかかった針
金やはがれた板などを整理し、さい銭をあげて出発したのが午前1
0時。

奇っ怪な岩峰が並ぶ仙涯嶺を過ぎるころにははりつめていたガス
もあがり、日がさし始めました。越百山へのなだらかな道ばたに
ガンコウランの実がおいしく熟していました。黒い実を口いっぱ
いに頬張りながら両手を力一杯宙に伸ばし背伸びをしました。

▼南駒ヶ岳【データ】
★山名:みなみこまがたけ

★【所在地】
・長野県上伊那郡飯島町と長野県木曽郡大桑村との境。飯田線田切駅
の西11キロ。JR中央本線倉本駅から歩いて延べ14時間で南駒ヶ岳。
写真測量による標高点(2841m)がある。そのほか付近に何もなし。
山頂直下に摺鉢窪避難小屋がある。地形図上には山名と標高点記号
とその標高のみ記載。標高点より西方向直線約570mに摺鉢窪避難
小屋がある。

★【名山】
・「日本二百名山」(深田クラブ選定):第175番選定(日本百名山以
外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる)
・『信州百名山』(清水栄一選定):第79番選定

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・南駒ヶ岳標高点:北緯35度42分05.1秒、東経137度48分38.68秒

★【地図】
・旧2万5千分の1地形図「空木岳(飯田)」

★【参考文献】
・『飯島町誌』(下巻)長野県飯島町(コピーあり)
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『信州山岳百科・2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『信州百名山』清水栄一著(桐原書店)1990年(平成2)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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