とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

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▼719号 「山の花・ヤマオダマキ」

【概略】
オダマキやミヤマオダマキなどの仲間。花言葉は勝利の誓い。静御前が
「しずやしず賤の苧環くりかへし」と頼朝の前で舞ったことに由来するとい
う。花は褐紫色で下向きに咲きます。黄白色の品種もありキバナノヤマオ
ダマキというそうです。
・キンポウゲ科オダマキ属の深山に生える多年草

▼719号 「山の花・ヤマオダマキ」

【本文】
ヤマオダマキも山へのアプローチでよく目にする花です。高山植物のミ
ヤマオダマキや庭で栽培される観賞用のオダマキ(オダマキはミヤマオ
ダマキからつくりだしたものだそうです)の仲間だそうです。

オダマキは漢字で苧環。その名は、花の形が、つむいだアサの糸をなか
を空洞になるように球形に巻いた「苧環」に似ているところからつけられ
たと植物図鑑にあります。

ヤマオダマキは、その名のように深山の道ばたや林のふちなどに生えて
います。高さ30から50センチ。根生葉は2回3出複葉(軸から対生する小
軸に柄のある小葉を3枚つける)で、小葉は扇形になっており、粗い切れ
込みがあります。

花は1個ずつ下向きにつけ紫褐色のものが多い。細長卵形の萼片の内
側に花弁があって、先端が徐々にせばまってまっすぐに長い距(きょ)
(花びらやがくの付け根にある突起部分)になっています。黄白色の
花を咲かす品種もあり、キバナノヤマオダマキと呼ぶそうです。

また距が先端近くで内側の曲がるものもあり、オオヤマオダマキという変
種だというからこんがらかります。ちなみにオダマキの花言葉は「勝利へ
の誓い」。

これは源義経の寵妾静御前が、「しずやしず賤の苧環くりかへし」と、頼
朝の前で舞ったことに由来するそうです。そもそも源義経は、鎌倉の兄
の源頼朝に疎まれ怒りを買い、いまは追われる身。義経と一緒に奈
良県吉野山に籠もっていた静御前でしたが、執行(しゅぎょう)、
悪僧らが義経たちを探して、連日山の中を捜索しだしました。

それを知った義経は静御前に金銀の類をたくさん持たせ、共の者
をつけて京へ送らせました。ところが、ところが共の者たちは、
財宝を奪って静(しずか)を金峰山の雪の中に置き去りにしてし
まったのです。静御前は吉野の蔵王堂の僧に助けれはしましたが、
捕らえられ、頼朝のいる鎌倉に連れていかれました(文治2年(118
6)3月1日)。

そこで頼朝に尋問されますが助けてくれた蔵王堂の僧の名は忘れ
たといい、義経の居所も知らないといい張ります。鎌倉幕府が編纂
した幕府自身の歴史書といわれる『吾妻鏡』文治2年4月8日の条
にこんなことが載っています。

頼朝と御台所(みだいどころ)政子が鶴岡八幡宮に参詣したおり、
静(しずか)に舞曲を奉納するよう命じます。静は病気を理由に
断りましたが、政子の所望と頼朝の命令で、仕方なく舞うことに
なりました。

このとき静が歌った歌は、「よし野山みねのしら雪ふみ分けていり
にし人のあとぞこひしき」。これに続けて「しづやしづしづのおだ
まきくり返し昔を今になすよしもがな」と謡ったのです。歌に託
して義経への恋慕と悲嘆を漏らしたのでありました。

これを聞いて頼朝は怒りました。しかし政子が、かつて自分が味
わった苦しさを話してとりなしたため、頼朝は怒りをしずめ、静
に衣を与えたということです。これがオダマキと静御前とにちな
む話だということです。
・キンポウゲ科オダマキ属の多年草。

▼【参考文献】
・『吾妻鏡』文治元年十一月六日:岩波文庫「吾妻鏡・一」龍粛訳
注(岩波書店)1997年(平成9)
・『吾妻鏡』文治二年四月八日:岩波文庫「吾妻鏡・二」龍粛訳注
(岩波書店)1997年(平成9)
・「植物の世界・8」(朝日新聞社)1996年(平成8)
・「世界の植物・6」(朝日新聞社)1975年(昭和50)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『和漢三才図会』(巻第九十四の末・吉野静、二人静)寺島良安:
東洋文庫『和漢三才図会17』訳注・島田勇雄ほか(平凡社)1991
年(平成3)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

 

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