山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼200号「富士山・富士登山者昔むかし」

【概略】
富士山に最初に登ったのは木花開耶姫だという。2番は中国秦の徐
福(前330年)。3番めはあの大和武尊(西暦110年?)と伝えます。
4、聖徳太子(598年頃)。5、役の行者(680年頃)。6、都良香が
取材した人(898年以前)。7、僧末代(1149年頃)…私はいったい
何千万人めにあたるのでしょうか。
・山梨県と静岡県との境

▼200号「富士山・富士登山者昔むかし」

【本文】
いまではすっかり観光地化され、ゴミの山イメージになってしま
った富士山。清掃登山も盛んに行われるようになってきましたが、
「山ヤ」さんの間では、冬以外もはや登山の対象ではなくなてい
ます。

しかし遠く北アルプス白馬(しろうま)岳、北陸白山、和歌山県
の山からも望めるその姿は、やはり気になります。富士山に最初
に登ったのは誰でしょうか。

@:最初に登ったのは木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。縄文時
代、いまから3000年前の新富士山形成時から紀元前400年前後まで
の間に「永遠の命を天に求めるため登った」という。『古事記』や
『日本書紀』などに記載されている伝説の中ながら、この神は神
武天皇(紀元前711年生まれということになっている)の曽祖母に
あたるというから古い話です。

A:中国の仙術士除福(じょふく)。秦始皇帝の命令で不老長生回
春の薬草を探しに登ったという。中国945〜954年ころ、僧義楚
が編纂した『義楚六帖』(きそろくじょう)という本には除福、富
士山に漂着し、その子孫は「秦」と称していまに至るとあります。
330年ころと伝えます。

B:弥生時代、西暦150年代?日本武尊(やまとたけるのみこと)
が東征のおり登頂したと伝えます。C:あの聖徳太子。598年ころ
(17歳の時)、甲斐の国より献上された黒駒に乗り、空を飛んで富
士山に登ったと「聖徳太子伝暦」などに記載がある。

C:次は役ノ行者。奈良の葛城山で一言主神の讒言により伊豆の
大島に流された行者は、昼間は勅命に従って島の内にいておとな
しくしていたが、夜になると富士の山に登って修行したと『日本
霊異記』(平安初期・僧景戒著)にあります。680年ころ。

E:桓武(かんむ)天皇(800年頃・平安時代初期)。F:空海(807年
ころ)。G:平安初期の漢学者の都良香(みやこのよしか)が会った
登山者。良香は富士山に登った人から聞いて「富士山記」(879年)
のなかで、噴火口の沸騰池、虎岩など見た者でしか分からない細か
い描写をしています。

H:平安後期の末代(まつだい)法師。久安年中(1145〜1151)
に山頂奥宮の位置に大日寺を建立。I:鎌倉時代に入ると、猪之
頭の民が源頼朝の「巻狩り」の時に、山頂の雪を献上した記録が
あります。

続いて親鸞上人が、また日蓮上人が登り経ヶ岳に経を埋め、1518
年には、暴風で13人の道者が遭難した記録もあります。江戸時代
に入ろうとする1600年ころになると、128回登山の記録を持つ藤原
角行が富士講を開き、以後、講を組んで「六根清浄」と唱えなが
らの富士登山が隆盛をむかえます。……私はいったい何千万人め
の登山者にあたるのでしょうか。

▼【データ】
★【山名】
・富士山、不尽、不二、布士、富慈、芙蓉峰(ふようほう)、富岳
などの呼び方がある。富士山8合9勺(はちごうきゅうしゃく=33
60m)からから上、約400万平方mは、徳川家康が富士山本宮浅間
大社に寄進したとの記録があるが、明治維新後国有地にされていた。
8合目から上の神社の施設のある約16万平方m分は1952年(昭和27)
に大社に譲与されているが、富士山頂が返還されなかったため、大
社側が国を相手取って裁判を起こしました。

1974年(昭和49)、最高裁の判決で大社側の所有が認められた。し
かし静岡、山梨の県境が確定しておらず、登記手続きがとれず(東
海財務局)、2004年(平成16)12月17日、土地の所有権が国から富
士山本宮浅間神社に移った。(2004年(平成16)12月18付け朝日新
聞から)。

しかし、土地の所有権は認められはしたものの、山頂付近の静岡県
と山梨県の県境はまだ定まっていないという。したがって、土地登
記が出来ずじまい。住所は、もちろん静岡県でもなく山梨県でもな
い。所在地は、日本国富士山無番地なのだそうです。

同大社側は「これで所有権の手続きは解決した。県境の問題は県民
感情もあり、登記に向けて時間をかけて解決したい」と話している
という。

★【所在地】
・山梨県富士吉田市、山梨県南都留郡鳴沢村と静岡県富士宮市、富
士市、御殿場市・静岡県駿東郡小山町との境だが八合目付近から上
部は富士山本宮浅間大社の「私有地」になっており、境界がはっき
りしていない。

富士急行河口湖駅からバス、河口湖口五合目から5時間30分で富士
山頂。山頂剣ヶ峰に電子基準点(3777.39m)と二等三角点(3775.
63m)、白山岳に二等三角点(3756.36m)がある。火口内に写真測
量による標高点(3535m・標石はない)がある。

★【位置】
・山頂剣ヶ峰に電子基準点と三角点、白山岳に三角点、火口内に標
高点がある。
・剣ヶ峰に電子基準点(※標高3774.9m)(北緯35度21分38.75秒、
東経138度43分38.3秒)
・剣ヶ峰電子基準点のすぐ南に三角点(標高3775.6m)(北緯35度2
1分38.26秒、東経138度43分38.52秒)
・白山岳に三角点(標高3756.4m)(北緯35度22分0.02秒、東経138
度43分46.43秒)

★【地図】
・2万5千分の1地形図「富士山(甲府)」5万分の1地形図「甲府
−富士山」(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

★【参考】
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『義楚六帖』(ぎそろくじょう):中国五代晋の出帝開運2年(945)
から後周(こうしゅう・五代十国)の世宗顕徳元年(954)に僧義
楚が編纂した。
・「富士山記」(都良香著)(「本朝文粹註釋巻第12」に収納)柿村
重松・註(内外出版)1992年(平成4)
・『富士山・史話と伝説』遠藤秀男(名著出版)1988年(昭和63)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
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